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ダンダリンの第5話は、労働者側からの退職の申出がテーマであった。ろくすっぽ仕事をしない労働者が辞めてくれるのあれば諸手を挙げて歓迎なのだろうが、会社の中核業務を担っている重要な労働者が退職すると言い出したら、会社はあの手この手で引きとめようとするであろう。ダンダリン第5話も、まさにそんなストーリーであった。今回の記事では、退職にまつわる法的な権利義務を、労働者、使用者の双方の観点から説明してみたい。

労働者から退職する場合の法律上のルール

労働者には原則として退職の自由が認められていることは、ドラマの中で段田凛が説明していた通りだ。ただし、法律で定められた一定のルールを守らなければならない。

労働者が自己都合で退職したいと考えた場合、通常は労働者が「退職願」を事業主に提出し、退職日を事業主と話し合った上で、退職の手続を進めることになるであろう。これを法的には「合意退職」といい、労働者と事業主が退職日やその他の退職条件を話し合い、円満に退職手続を進める形になるので、基本的にトラブルの発生につながることは少ない。

ところが、今回のダンダリン第5話のように、退職しようとしている労働者が、事業主の会社運営にとって必要不可欠な存在で、彼に辞められたら困るという場合、事業主は労働者からの「退職願」を受け取ることを拒否するであろう。そうなると労働者は「退職願を受け取ってもらえないから、会社を辞めたくても辞められない・・・」と、途方に暮れてしまうのである。

しかし、決してここで諦めモードやヤケクソになってはいけない。苦しい環境で我慢して働き続けるのは心身に良いことではないし、逆に出社拒否をした場合は法的には無断欠勤になってしまうので、会社の就業規則に基づいて懲戒処分を受けたりしてしまう。

ここで労働者がすべきことは、「退職願」ではなく、「退職届」を出すことだ。「願」と「届」一字違いではあるが、法的にはまったく別物である。「退職願」はあくまで「お願い」なのだから、事業主が拒否したら合意が成立せずそれでおしまいである。ところが、「退職届」ならば、労働者からの一方的な「届出」で足り、届出後、法律が定める所定の期間を経過すれば法的には当然に退職が成立する。これを法的には「辞職」と言っている。

例えば月給制で働いている労働者の場合は、月の前半に退職届を提出した場合は当月末、月の後半に退職届を提出した場合は翌月末に「辞職」が成立する。就業規則に「退職届は半年前に出すこと」、など書かれていても、法律に違反した就業規則はその部分が自動的に無効になるので気にする必要はない。

尚、事業主が「退職届」の受取自体を拒否した場合は、内容証明郵便で退職届を事業主宛に送付すればよい。退職届の内容証明郵便が、「辞職」の意思表示をした動かぬ証拠となる。

結局のところ、いくら事業主が労働者を会社に縛りつけようとしても、法的には絶対に許されないのである。なぜならば、憲法22条で「職業選択の自由」は全ての国民に認められた権利であるし、同じく憲法18条は「何人も奴隷的拘束を受けない」「意に反する苦役に服させられない」と宣言しているからだ。労働基準法もこのような憲法の思想を取り入れ、第5条で「強制労働の禁止」を宣言しており、これに違反した事業主には労働基準法上最も重い刑罰が課せられることになっている。ただし、最後は、段田凛が言うように、労働者自身が自分の権利を守るのだという意識をどれだけ強く持つか次第だ。

労働者が損害賠償の請求を受けるリスク

ここまでの説明で労働者の退職する権利自体は法的に絶対的なものであることは分かったが、それでは、事業主の意に反して退職した労働者が民事上の損害賠償を受けるリスクは実際のところあるのだろうか。

この点、法律に定められた手順を守って退職する限り、損害賠償の請求を受けることは無いので安心をしていただきたい。もし、退職する自由はあるが損害賠償を受ける恐れがあるとなると、間接的に退職を抑制することになるからだ。退職届を事業主に提出して、法定の日数を経て退職すれば、たとえ事業主から「お前の採用や教育にかかった費用を返せ」とか「シフトに穴を空けた責任を取れ」と言われても、それは法的に根拠のない「脅し」であるので屈する必要はない。

ダンダリンの第5話でも、洋菓子店の売上を一手に担う菓子職人が退職しようとしたとき、その店主がデパートへの出展費用や予定されていた大口注文のキャンセル料などを損害賠償として請求しようとしていたが、実際に裁判になったとしても、菓子職人が退職の法的手続きに違反していない限りは、まず損害賠償は認められないであろう。

ただし、一点注意しなければならないのは、「期間の定めのある労働契約」を締結している場合である。この場合、事業主はやむをえない事情がない限り契約期間の途中で労働者を解雇をすることができないのと同様、労働者も契約期間の途中で正当な理由が無いにも関わらず退職することは法的に許されていないのだ。正当な理由とは、妊娠や出産、病気、親族の介護、職場でのいじめ、などをイメージしていただきたい。このような事情が無いにも関わらず、契約期間の途中で「もっと良い仕事が見つかった」とか「何となく仕事が嫌になった」とか単なる自己都合で退職する場合には、その退職の結果、事業主に損害が生じたことについて因果関係が立証されたときには労働者は事業主に対して損害賠償を支払わなければならない。

例えば、ある建物を設計するために設計事務所に雇用された、専門スキルを持つ労働者が、その設計を完成させることなく一方的に退職し、設計事務所は発注元から契約をキャンセルされてしまたというような場合には損害賠償の請求を受ける可能性が相当程度高いであろう。

しかし、バイトでレジ打ちをしていた労働者が契約期間の途中で退職したというような場合は(むしろこちらのほうが身近な例であろう)、シフトに穴が開いたとしても事業主や他の労働者でカバーできる可能性は高く、また、その労働者が辞めたことと損害が発生したことの因果関係も証明は困難であるし、少額の損害のために裁判を起こすと弁護士報酬などで費用倒れになってしまうので、「脅し文句」として使われる場合は別として、損害賠償を法的に請求されたという例は、少なくとも私は聞いたことがない。

結論としては、一般の労働者が退職するときには、正社員であれ契約社員であれ、よほど例外的な事情がない限り、法的には退職時の損害賠償の義務は無い、と考えて良いであろう。

経営側の対策

以上のように労働者の退職は法律の要件さえ満たせば自由に行うことができる。しかし、視点を変えて経営者側に立ってみると、長期雇用を前提に採用し手塩をかけて育てた「期待の星」が突然辞めてしまったり、身勝手な労働者が法律上の権利だからと引継ぎもままならないまま突然辞めていくことは、あまりにもダメージが大きい。

もちろん、本人の病気や親族の介護などやむを得ない場合は仕方が無いと思うが、私は社会保険労務士として「社会人としての最低限の配慮」を欠く退職は許さないような就業規則を提案しているので、そのノウハウのいくつかを紹介したいと思う。経営者の方や人事担当者の方は以下を是非ご高覧頂きたい。

今回紹介するノウハウの1つ目は、就業規則の「自己都合退職」に関する条項を「合意退職」と「辞職」の2種類に書き分けた上、「合意退職」と「辞職」で退職金の支給額に差を設けるということだ。言い方は悪いが、退職金を「人質」にとることによって、最低限の引継ぎすら行わず、退職届の提出と同時に有給を消化していなくなるという身勝手な退職者が発生することを、高い確率で防ぐことができる。

実務的には労働者と次のような折衝を行うことになる。「合意退職扱いにしたければ、無理なく引継ぎが完了できる日以降を退職日にしましょう。そうすれば退職金は自己都合の場合の満額支給されます。しかし、あなたが、あくまで退職日は今月末ということにこだわるのなら、会社としては退職日に合意できませんので、辞職扱いで退職金は半分になりますが、よろしいでしょうか?」という内容だ。大抵の人であれば、よほどの事情がない限り、退職金を半分して退職を強行するよりも、きちんと引継ぎを行う道を選んでくれるであろう。

ノウハウの2つ目は、退職時にまとめて有給を消化されて引継ぎができなくなることの対応だ。事前対策としては、会社の勤務日カレンダーの中に「有給休暇の計画的付与」の制度を取り入れることを提案したい。労使協定を結べば会社は5日を越える部分の有給を会社が定める日に取得させることができるようになるので、お盆休みや正月休みで有給の強制消化日としてしまえば、退職時に行使される有給休暇は最大で5日に抑えることができる。

事後対策としては、どうしても退職日まで全て有給休暇を消化することに退職予定者がこだわる場合、業務命令として休日出勤を命じるという裏技がある。もともと休日である日に有給休暇は行使できないので、労働者は正当な理由がなければ休日出勤を拒否できない。会社には休日出勤手当が負担になってしまうが、どうしても引継ぎが必要な場合はやむを得ないであろう。

さらに、近年は、退職時に引継ぎを無視して有給消化をすることは認めないという画期的な判例も出ている(ライドウェーブコンサルティング事件【東京高判平21.10.21】)。この判例では、その労働者が専門業務型裁量労働制が適用される労働者であったことなども考慮されていると思われるので、必ずしも一般化することはできないかもしれないが、退職時の有給消化があまりにも背信的な場合は、労働者側の権利の濫用として、会社に時季変更権が認められる余地があるということは、退職日の調整の際に会社側の切り札のカードとして持っておいて良いであろう。

ノウハウの3つ目は、会社から高額の費用援助を受け海外の大学院に留学させてもらったにも関わらず、MBAを取得して帰国したとたんに退職してしまうような場合の対策である。このような場合であっても、かかった費用を事後的に損害賠償として請求することは法律上困難である。したがって、効果的な対応方法としては、留学をする時点で、留学費用につき「帰国後一定期間勤務することを条件とした消費貸借契約」を労働者と結んでおくことだ。こうすれば、その一定期間勤務することなく退職をした時点で、「貸したお金を返してください」と、労働契約から生ずる債権債務とは別問題として、退職した元従業員に対して、留学にかかった費用の返還を求めることができる。

これらはノウハウの一部であるが、終身雇用制度が揺らぎ、労働者の退職・転職が珍しいことではなくなっている現代において、「最低限度のルールを定め、あとは従業員の良心に任せる」といったような、昔ながらの就業規則では対応しきれないような事象も次々に発生している。しかし、あらかじめ就業規則を見直しておけば防げる労働トラブルもたくさんある。

就業規則の見直しは、確かに面倒な作業であるが、トラブルが起こってからの事後対応よりも、事前にリスクを摘み取っておくほうが、会社にとっての負担ははるかに小さいであろう。

色々と法律論を展開してきたが、最後につけ加えると、私の思いとしては、やはり、労働者と使用者がそれぞれ法律上の権利をガチンコで振りかざして火花を散らすのではなく、お互いが譲り合って、「円満退職」を実現することが一番であると願ってやまない。

特定社会保険労務士・CFP 榊 裕葵


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