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政府が高校での日本史の必修化を検討していることが1月5日、明らかになった。日本史は現在は選択科目だが、海外で活躍する日本人が増える中、自国の歴史を理解している人材を育成すべきという判断からだ。グローバル人材たるもの日本をこそ知るべきだ、という意見は従来から根強い。果たしてどこまで必要なのか、どんな風に必要なのかを考えてみたい。

日本史の知識なんかなくたって海外での仕事は困らない

日本人は、母国についての知識が乏しいとよく言われる。歴史を知らず、政治を語れず、文化を理解していない日本人を海外へ出しては恥ずかしいという論調である。本稿では、文化や政治にまで話が及ぶと広くなりすぎるので、ニュースとなっている「日本史」に焦点をあてて論議したい。

結論から言えば、日本史の知識はグローバル人材にとってプラスではあるが、知らなくても困らないというのが現実だろう。日本発グローバル人材のなかには海外で暮らした経験が長く日本でほとんど教育を受けていない人も多いし、日本語能力に難ある人だって少なくないが、彼らが日本史を知らなくて困ったことなどないはずだ。

その意味で、この日本史必須化論には、違和感を感じてはいる。なぜグローバル人材に日本史知識が必要なのかがあいまいなのだ。政府の方針として教育にまで落とし込むからには、日本史が苦手かつ苦痛で仕方がない一部の高校生にも必須科目として習得を強いる以上は「必要」と断じる根拠を示すべきだろう。

私は「必要」だとは思っていない。だが、日本史を学ぶ「意義」はあると言いたい。これから仕事人としてデビューし、望む・望まないに関わらず海外と交流を持つことになる若い人たちにとって、日本史という教養がプラスになるということを知ってもらいたい。私自身は、日本史選択で大学を受験し、山川出版社の教科書を隅から隅まで暗記したクチである上、少し前の言葉で言うなら「レキジョ」の類に入る日本史好きである。だからというわけではないが、これからの日本史授業が、若い世代にとって得になるようなものに変身してほしいのだ。

歴史とは「知識」というより「教養」だ。

日本史を知らなくたってなんとかなる、と先述したが、知っていることで国際間のコミュニケーションが豊かになることがある。一度、海外クライアントとの会食で「あなたが思う“武士道”とは何か」といきなり聞かれ、どぎまぎしながら葉隠についての講釈をたれた。当該クライアントは葉隠のスピリットをとても美しいと称し、西欧騎士との違いについて興奮して語った。

むろん、このとき私が武士道について語れなかったとしても、仕事に差しさわりはなかった。会話が盛り上がらなかったとしても、契約解除だとか交渉不成立などの事態にはならなかった。しかし、私はこの経験から、外国人から日本についての話題を持ちかけられたとき、楽しく知的に応じられるキャリアパーソンでいたい、と思うようになった。ビジネスとは、ときに会食や接待が伴う場合があるから、そんな機会に「あの日本人はインテリジェントだ」と一目置いてもらいたいし、金勘定以上のビジネスパートナーにもなりたい。さらには、目の前のビジネスが終わった後も「私には日本に教養深くすばらしい友人がいる」と言ってもらいたい、そんな感じの欲求だ。

ちなみに、このときの質問主は別段日本びいきというわけではなく、幅広い見識を持つバース大学出身の英国紳士である。“ブシドウ”についてのドキュメンタリーをテレビで見て大いに興味を持ったそうだ。彼が母国・英国の歴史に明るいかどうかは不明である。

高校での日本史、必須化よりその中身を見直しては

個人的には、日本がよりよきダイバーシティ社会を目指すために、高校教育は必須科目を減らして多様な選択科目を増やしたほうが良いと思っている。日本史が必要だ(好きだ)と思う高校生にとっては積極的にどんどん学べる機会を提供すべきだが、国策として日本史に興味を持つ人を増やしたいなら、高校以前の義務教育課程で取り組みを強化すべきだろう。

むしろ高校では、必須化による日本史授業の「数」を増やすより、選択科目としてその「質」に着目したほうが良い。日本史は、知れば知るほど面白く、人生に、仕事に深みを持たせてくれるものだ。その面白みを教えることこそ、義務教育を終えた高校教育に課せられた使命だ。

そもそも、日本の歴史は長く、深い。どこまで知らなければならないかというのは難題だ。例えば、アジアや中東とビジネスをするにあたって、宗教と連動した政治史・文化史を知ることは意義がある。また、中国や韓国との歴史認識をめぐる論議が外交や経済に及ぼす影響を考えれば、古代にさかのぼったアジア史を理解する必要がある。こうなってくると世界史の教養も無視できない。日本史と世界史の連動も、日本史授業の「質」に求められてくるのかもしれない。

また、縄文時代から始まって近現代まで時系列に授業が行われていると、多くの高校で近現代に突入できないという問題もある。第二次大戦前から戦後史、そして現代に至る過程の理解は現代グローバルビジネスを担う人にとって極めて重要と思われるが、タイムリミットに迫られ、駆け足で終わってしまうという現状がある。

一方で、経営者のなかには、戦国武将の生きざまを自身の理念としている人が多いことにも着目したい。人心掌握術、少数突破戦略、リーダーシップ論など、戦国武将の誰かをメンターとする人が多いのは偶然ではなかろう。だが、「武将の○○に夢中になったきっかけは高校の日本史の授業でした」という経営者はあまりいないのではないだろうか。

先述した宗教観についても触れたい。宗教観というのは国際的素養として持っておくと良いものだ。えてして日本人は、宗教が生活に根差している国の人たちと交流するにあたって、宗教観に対するデリケートさに欠けている。口に出してはいけないもの、配慮しなければならないもの、そのようなエチケット感は、一字一句教わるものではない。宗教を日常で感じることの少ない私たち日本人にとっては、ここの肌感覚が備わっていないのだろう。恐らく、歴史的教養をつけていく過程で、理屈としての宗教観を育てていくしかないだろう。

以上のような授業の「質」に対する要求は、公立高校ではムリがあるかもしれない。だが、私立高校においてはぜひ「もっと日本を知ろう」という関心の糸口になりうる日本史授業をしてもらいたい。ユニークで、先生の創意工夫が詰まった授業だ。高校で日本史のすべてを網羅することはできない。しかし、高校時代のある1時間がきっかけで大経営者が生まれたり、外交手腕に長けた政治家が生まれるかもしれない。そんな希望を持てる日本史授業の出現を心から期待している。

《参考記事》
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留学ジャーナリスト 若松千枝加


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