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メジャーリーグオールスターの前日記者会見におけるダルビッシュの発言が話題となっている。その発言とは、近年メジャーリーグのピッチャーに急増する肘の故障に関してだ。快進撃を続けていたヤンキースの田中将大に肘の靭帯の部分断裂が見つかり、故障者リストに入ったこともあって、言わずにはいられなかったのだろう。

■発言の背景
現在メジャーリーグでは、ピッチャーの肘は消耗品だと考えられている。それが本当だとするといつかは限界が訪れ、肘の靭帯が断裂するという結果が待っている。断裂した肘の靭帯を削除し、正常な腱を移植するトミー・ジョン手術を受けることで、90%の確率で復帰が可能ではあるが、実践復帰までリハビリに1年以上かかることから、ピッチャーにとって肘の故障によるキャリアへの影響は計り知れない。

一方、チームマネジメントの面から見ても、ピッチャーの長期離脱は好ましいことではない。近年、どのメジャーリーグの球団にとってもピッチャー不足は深刻化している。先発ローテーションを回すための5人の投手を揃えることも困難であり、質の高いピッチャーを獲得するためには、長期契約を結ばざる得ない状況だ。

ダルビッシュも所属するレンジャースとは6年の長期契約を結んでいる。もし故障でもするようなことがあれば、球団にとっても損害は甚大である。こうした状況もあって、メジャーでは1試合の投球数を100球程度に制限することが、常識となっている。この制限に対してダルビッシュは会見で以下のように異議を唱えたのだ。
「中4日は絶対に短い。球数はほとんど関係ないです。120球、140球を投げても、中6日あれば靱帯の炎症も全部クリーンにとれる」

ダルビッシュによれば1試合の投球数は重要ではなく、中4日で登板することの方が肘には負担が大きいということらしい。ただしダルビッシュ個人の経験から来る発言であり、登板間隔を中6日に変更するとピッチャーの故障が減少するかどうかの真偽は不明だ。では、現在の指標である1試合100球という投球数制限の根拠はどこにあるのだろうか?

それは、野球専門のシンタンクであるベースボールプロスペクタス社が考案したPAP(Pitcher Abuse Point)、投手酷使ポイントに由来する。

■PAPとは何か?
PAPは1999年に公開された。投球数の多さがピッチャーにとって悪影響があるという想定の元、1988年から1998年の試合データを用いて3週間単位で投球回数と防御率の関係を調べたところ、投球数が90球、もしくは130球以上の時に、以前の3週間と比較して以後の3週間では防御率が悪化することが確認された。

投球数と前後3週間のRA(防御率)の比率
(http://www.baseballprospectus.com/article.php?articleid=1477 Performance measurements項のチャート「RA Ratio-All pitchers」参照)

投球球の影響により防御率が悪化すると考えるのであれば、90球における防御率の悪化度合いが100球~120球の場合と比較して高いのは何か別の理由があると想定される。防御率はピッチャーが取られた点数(自責点)を投球回数で割ることで算出されるため、90球のデータには、ピッチャーは点を取られすぎてで早いイニングでマウンドを降りてしまっている質の悪いピッチャーが多く含まれるという仮説が立てられる。

そこで、全ピッチャーの投球回数の平均値を算出し、その平均値を基準として投球数の多いグループと少ないグループの二つのグループに分けて再度分析を行ったところ投球数の多いグループ(High Endurance)では、100球を過ぎたあたりから右肩上がりとなる傾向が得られた。

投球数と前後3週間のRA(防御率)の比率(High vs Low Endurance)
(http://www.baseballprospectus.com/article.php?articleid=1477 Other PAP formulae項のチャート「Percentage change In 21 days following start High Endurance Pitchers (w)midpoint correction」参照)

この傾向を公式化したものがPAP(ベースボールプロスペクタス社では、PAP^3と記載)であり、
その計算式は、

PAP^3=(投球数-100)の3乗

と表される。つまりPAPとは投球数と防御率悪化の関係を表したものだといえる。

次にピッチャーの故障との関係調べるため、PAPによる計算ポイントと、トータルの投球数、及び投手の故障率との関係が調べられた。するとトータルの投球数に対するPAPの平均値で二つのグループに分けると、PAPの値の大きいグループにおける故障した投手の割合が、故障しなかった投手の割合の3倍以上であることが分かった。

PAPと投球回数の関係
(http://www.baseballprospectus.com/article.php?articleid=1480 Career PAP as a Predictor of Injury項のチャート「Total PAP vs Total Pitch Counts」参照)

これがPAPがピッチャーの故障と関係があるという根拠である。この公式を受け入れ管理するために編み出されたのが、1試合あたりの投球数100球という制限ということになる。

一般的にメジャーリーグの先発ピッチャーは、年間30回程度の試合に先発する。1試合で100程度の球数を投げるとすると年間の投球数は3000球となる。グラフから読み取ると、3000球の時のPAPの平均値は10万ポイントである。つまり、PAPの累計が10万ポイント以下であれば、ピッチャーの故障するリスクを軽減できるということになる。

PAPの計算式では、100球以下の投球数であればPAPの値はゼロである。しかし、100球以上投げた場合、105球なら5の3乗で125,110球なら1000、120球なら8000、140球なら64,000とPAPは指数的に増加していく。

もし1試合で140球以上投げさせた場合、10万ポイントの内、60%以上をたった1試合で使ってしまうことになる。監督にしてみれば、高額で獲得した選手ほど100球以下で先発投手を交代させたいという心理が働くのは当然だろう。

昨年の日本シリーズの第6戦では、田中将大は160球を投げ完投し、負け投手になったが、160球投げた場合のPAPは、216000となりメジャーにおける基準を遥かに超えてしまっている。PAPの観点から見た場合は、田中将大の力投は大問題というしかないのだ。

■PAPは信頼に足りうる指標か?
以上のことからPAPがデータに基づいて算出された一定の根拠がある計算式であることは理解できるだろう。だからといって、今後もPAPに基づいて先発ピッチャーの投球数を100球に制限することが正しいかというとそうでもない。

第一にPAPが開発された時期である。PAPの元となるデータは1988~1998年までと現在から25年~15年前のデータが使われている。イチローや松井秀喜がまだプロにもなっていない頃のデータが含まれていることを考えるとPAPが現状を正しく表しているかどうかは疑問が残る。

第二にデータの範囲の問題がある。試合における投球数に焦点を当てるのであれば、出場したすべての試合が対象となるはずだ。そうなると高校や大学、マイナーリーグでの投球数も考慮する必要があるが、残念ながらそこまでデータを準備できなかったらしく、PAPではメジャーリーグでの出場試合のみが分析の対象となっている。

第三にPAPの計算式自体の問題だ。もともとPAPの計算式は、投球数と防御率の悪化度合いとの関係が投球数が100を超えた時点から指数的に増加することを表している。つまり故障率が指数的に上昇する訳ではないということだ。投球数と故障率に因果関係を求めたいのであれば、故障率を目的変数とする計算式の方が望ましい。分析に携わる者としては違和感が残るところだ。

以上のことから考えると、PAPは公表された当時はともかくとして、年月の経った現在においても適用できるかについては疑問が残ると言わざるを得ない。だとすれば、このままPAPを球数制限の根拠とするより新たな指標を作り出すことも一考すべきだろう。なぜなら現在の蓄積データと分析技術を持ってすれば、ピッチャーの故障をより正確に予測することは十分可能なはずだからだ。

■まとめ
チーム年俸総額メジャーリーグ最低クラスだったアスレチックスが、セイバーメトリクス(野球における統計的分析)を用いてメジャー最高勝率を記録した経緯を綴ったベストセラー「マネーボール」が発売されたのは2002年のことだ。今期もアスレチックスは、7月30日現在で2位に1.5ゲーム差をつけて、アメリカン・リーグ西地区で首位を走っている。

このことからもデータを用いた分析が選手の獲得やチーム運営に効果があることが分かるはずだ。しかしデータは環境の変化によって日々変化するモノであり、データから得られた指標は時が経つにつれ実態から乖離する可能性に常にさらされている。

PAPについてもその可能性は十分にある。ピッチャーを故障から守ることを目的とするなら100球制限についても見直しをする時期に来ているのではないだろうか。ダルビッシュの発言が見直しの契機となることを願ってやまない。

《参考記事》
■平均値をウソつき呼ばわりするのは、もうそろそろ終わりにしよう。  村山聡
http://sharescafe.net/39363307-20140614.html
■「飲み会は残業代出ますか?」と聞く前に新入社員が心得ておくべきこと 村山聡
http://sharescafe.net/38576145-20140430.html
■仕事セーブ要因のある女性こそ、経営者という選択肢も検討を (小紫恵美子 中小企業診断士)
http://sharescafe.net/39955025-20140721.html
■結局「女性活用」って何すればいいの? 小紫恵美子
http://sharescafe.net/38770445-20140511.html
■事業は永遠に生き続けられるか?~大事な事業を確実に引き継ぐためには  小紫恵美子
http://sharescafe.net/38572763-20140430.html

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