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「黙々と仕事をする」というと一般的には良い意味で使われるし、逆に黙々と仕事をしていなければ、職務専念義務違反で始末書を書かされかねないのが一般的な職場の感覚であろう。

■「然」で黙々と働いてはいけない理由
ところで、私の住む埼玉県さいたま市には、創業12年を数え、地元で人気の「然」というステーキ屋さんがあり、私も度々訪れているのだが、この店の社員教育の方針がなかなか面白い。

何回か訪れるうちにオーナーの河本さんと親しくなり、私が社労士ということもあって社員教育について意見交換をさせていただくようになったのだが、私は、「黙々と仕事をするようでは半人前だ」という河本オーナーの方針にユニークさを感じている。

ちなみに河本オーナーは早稲田大学野球部、朝日生命での社会人野球の選手を経て「然」のオーナーに転進したという、経歴もユニークな方である。

さて、「然」はステーキ屋さんなので、当然ステーキを美味しく焼けることは社員にとって必須条件である。逆に、おいしいステーキが焼けるようになったら7割8割の力は身に付いたようにも思えるのだが、この点、「然」においては、まだまだ半人前、5割の実力という評価なのである。

なぜそうなるかというと、「然」の正式な店名は、「オープンキッチン然」といい、客席と厨房が一体化していることころがウリだからだ。客席もカウンター席が中心である。

社員は、来店したお客様を迎え入れ、お客様がメニューを選ぶときに「今日はA4等級の深谷牛がおススメです!」とか「今月のスペシャルソースを試してみませんか?」といったようにアドバイスをしたり、お誕生日などスペシャルなお客様にはお祝いの言葉をかけたりと、料理ができあがるまでの時間や食事中もお客様との会話やコミュニケーションを大切にしなければならないというのが「然」の方針なのだ。

もちろん、お客様と会話をしていたから料理の質や提供の速度が落ちるという言い訳は許されない。かといって、目の前のお客様を無視して、黙々と仕事をしていてはいけない。その2つを高い次元で両立させてこそ、「然」の社員としては9割10割の評価が得られるというわけだ。

すなわち、ステーキを完璧に焼けるだけでは半人前、お客様を楽しませながらステーキを焼いて一人前ということである。

■銀座久兵衛も職人に黙々と仕事をさせない!?
私がここで思ったのは、河本オーナーの考え方が、あの有名な銀座久兵衛の社員教育方針と全く同じということである。

私は知人から招待頂いた席で、久兵衛の現当主、今田洋輔オーナー直々に寿司を握っていただいたことがあるのだが、その時の今田オーナーとの会話でとくに印象に残っているのは「寿司職人は寿司を美味しく握れるのは当然のこと。それに加えて、職人はエンターティナーでなければならない」という、職人としてのあり方について今田オーナーのお考えを聞かせていただいたことだ。

さらに今田オーナーが続けておっしゃったのは、「銀座の寿司屋だからということで、お客様の中には緊張していらっしゃる方も少なくない。緊張したままでは寿司の味もわからなくなってしまうので、本当に美味しく寿司を味わってもらえるよう、お客様にリラックスしてもらうために職人はムードメーカーになるべきだ」ということだ。

私はこの話を聞いて、数ある銀座の寿司屋の中でも、ひときわ「久兵衛」が有名なのは、決して敷居が高いからではなく、逆に敷居を低くする努力をしているからなのだということを知り、まさに目からウロコが落ちる思いであった。

楽しいから値段が高くてもまた来たいと思うし、接待やデートでも安心して使える。それが久兵衛の強みというわけだ。

話を「然」に戻すと、河本オーナーは「いつもありがとうございます」「お久し振りですね」「お仕事はお忙しいですか」と、お客様に積極的に声をかけて、アットホームな空間を作り出すように努めていらっしゃる。これも、良い意味で敷居を低くするためのひとつの形であろう。社員にも同様に、このようなお客様とのコミュニケーションを大切にするよう促しているのだ。

お客様も「然」に来るのが楽しいから、「また来ますよ」と言って帰っていくし、次回来るときには家族や友人を連れてきたりもするわけだ。

■店全体を見渡すことも大切
もう1つ、河本オーナーが常に社員に意識させているのは、「店全体を見渡せ」ということだ。

お客様の来店した順番に料理を出すのが原則だが、グループで来店したお客様には可能な限り同時に料理を出さなければいけないし、レアからウエルダンまでステーキの焼き加減も様々だ。ステーキが焼けないのにご飯やスープだけ先に客席に届いたら冷めてしまうので、焼き上がりのタイミングと合うようにホールスタッフに指示を出さなければならない。このようなマネージメントができて、はじめて「店を回す」という力がついてと言えるのである。

他人の動きなんておかまいなく、自分の目先の仕事を黙々と行っているようでは、それ以上の成長は見込めないということである。

■久兵衛でも「職人は司令塔」
実は、この点も久兵衛の社員教育と同じである。今田オーナーは「寿司職人は司令塔でなければならない」とおっしゃっていた。

シャリやネタがなくなりそうであればバックヤードに追加を用意するよう職人が指示を出さなければならないし、お客様のお茶やお酒がなくなりそうならばホールスタッフに対応させなければならない。お客様と対面で接する職人こそが、寿司屋の司令塔であるというのが今田オーナーの考えだ。

寿司職人もサービス業。職人ぶってお客様や他の社員との間に壁をつくるなんて絶対にあってはならないというのが久兵衛式の社員教育である。

■久兵衛も然も「社員を一人前にしよう」という考え方は同じだ
久兵衛の今田オーナーと然の河本オーナーに面識はないそうであるが、繁盛している両店のオーナーの考え方や社員教育の方針に共通点が多いということは驚きである。

もっと突き詰めれば、今田オーナーも、河本オーナーも、社員を決して「作業者」として扱わず、一人前にしようと熱い思いで接しているところは完全に一致しているのではないかと思う。

社員を単なる「作業者」として扱うのならば、決められた標準作業だけさせていれば良い。つまり、余計なことを考えさせず、「黙々と」仕事をさせたほうが、差し当たっては効率が良いはずである。

だが社員を本気で一人前にしたいならば、多少時間はかかっても「黙々と仕事をさせない」ことがやはり必要なのだ。

一人前になるためには様々なことを学ばなければならない。料理のことに加え、接客、資金繰り、仕入れなど学ぶべきことは多岐に及ぶ。そうやって多岐に渡る力をつけるからこそ、支店の店長を任されたり、「のれん分け」で自分の店が持ったりできるようにもなっていくわけだ。

そのような将来のビジョンがイメージでき、自分に実力がついていることが分かると、社員もモチベーションが上がり、お客様に対するサービスにも自然と熱が入ってくるものだ。それが、店のサービスレベルの向上にもおのずからつながっていく。

■まとめと示唆
専門外の私が言うのもなんだが、飲食店を経営するにあたって「美味しい料理を出す」というのは出発点にすぎないのではないだろうか。店の雰囲気が悪かったり、接客が適当であったりしたら、どんなに美味しい料理を出されても、お客様は不味いと感じてしまう。

10年かけて生み出した秘伝のスープでラーメン屋を開業しても、スタッフが「いらっしゃいませ」も言えない店では長続きはしないであろう。

久兵衛や然のように、「美味しい料理を、どうやってお客様に美味しく食べてもらうか」まで考え抜いてこそ繁盛するお店ができるのだと思うし、それを実現するためには、やはり、社員に一人前になるまでのビジョンを持たせ、「黙々と仕事をさせない」ことこそが必要なのではないだろうか。

《参考記事》
■職人の世界に労働基準法は適用されるか?
http://sharescafe.net/41988647-20141120.html
■「クラウドママ」を普及させて、働く女性が子育てをしやすい国にしよう! 榊 裕葵
http://sharescafe.net/41752066-20141106.html
■「引継ぎはしっかり、有給消化はきっちり」が、独立成功の第一歩だ。 榊 裕葵
http://sharescafe.net/41768044-20141107.html
■日テレ内定取り消しの笹崎さんに必要なのは「指原力」だ 榊 裕葵
http://sharescafe.net/41885958-20141114.html
■ライフネット生命は「保険」を「貯蓄」という足かせから解放した。 榊 裕葵
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あおいヒューマンリソースコンサルティング代表
特定社会保険労務士・CFP 榊 裕葵


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