社員と書類2
「転職35歳限界説」という話がある。転職のタイムリミットは35歳までで、それ以上の歳になると一気に転職が難しくなるという話だ。実際にキャリアコンサルティングの現場でも、30歳中盤以降は転職の困難さが増すことを実感している。40代に入ればなおさらだ。しかしその困難さを乗り越えて、転職に成功している人たちもいる。では転職に成功する人とそうでない人との差はどこにあるのだろうか?前編に引き続き、加藤小也香さんの転職例で考えていきたい。

■ミドル以降の転職での3つの壁
40代以降に転職を考えた場合、当事者のメンタリティに大きく3つの壁がある。一つ目は、自分の思い込みの壁。地位や収入等の雇用条件に前職並みが転職先でも与えられて当然という思い込みだ。二つ目は自分の価値を再構築するための壁。現勤務先でしか通用しない人脈やスキルを整理し、新しい環境で貢献できるスキルを再定義する必要がある。そして三つ目の壁が、転職先の組織の一員として受け入れられることだ。過去の経験に根差した成功体験に基づいた自分のやり方を押し通そうとして抵抗にあい、転職先の新しい環境になじめない例もよく聞く。

この三つ目の壁を加藤さんは臨機応変に、かつ戦略的に乗り越えてきた。肩書なしの一般社員で入社したが、入社して3カ月目に事業部長、5カ月目に執行役員に就任することになり、いきいきと活躍している。転職そのものが難しくなる40代以降、本人、および転職先企業双方にとってハッピーな転職となる秘訣は何か?前編で、大手教育機関のグロービスを離れ、社員数20名のベンチャー企業トリッピース社に転職を決めた経緯を紹介した加藤小也香さんの、転職以降の軌跡を紹介しながら考えてみよう。

■転職先での新しい経験によって成長する
加藤さんの転職先のトリッピース社の社長は平成元年生まれ。加藤さんとは17歳の歳の差がある。親子ほどとは言わないが、姉弟というのも無理がある年齢差がある。他の社員も過半が20代。そんな会社に40代の加藤さんがスムーズに溶け込むことができたのだろうか?「年下に仕える」ことに心理的な抵抗はなかったのだろうか?

「抵抗よりも好奇心が勝ったんじゃないでしょうか」と加藤さんは笑う。
「自分が行ってみたいと思う旅行を企画し、ネット上で仲間を募ると、初対面の人々が集まってツアーを実現するのがトリッピースのサービス・コンセプトです。それが非常に新鮮で、ぜひ組織の中から様子を見てみたいと思ったのです。」

トリッピース社のような同好の士が集まって会社を興したり、ユーザーコミュニティを組成したりするスタイルは、ベンチャーの第三の波にあたると加藤さんは考えている。今日のビジネスにおいて覇権を握っているグーグルやフェイスブックなど、ITで社会のプラットフォームを生み出した会社をベンチャーの第一の波だったとすると、第二の波はビジネスの手法で社会の課題を解決する「社会起業家」がそれに当たる。トリッピース社はそのどちらにも当てはまらないというのだ。

「この会社は、覇権を握るとか、社会課題解決のために何かをするとかいうより、『自分が作りたい世界を自分たちでつくる』というシンプルな思いでビジネスをしているように感じました。良くも悪くも貨幣経済と離れたところにあって、エリート意識による気負いも全くない。そこが新鮮で興味を惹かれました」


「前職では仕事への慣れから、大した挑戦をせず、成長する実感がなかったのですが、今まで聞いたこともないような文化やマネジメントスタイルをとる組織に入ったら、自分も変わって新しい景色が見えてくるのではないかと思ったのです。上の世代からは学び尽くした感があって、むしろ下の世代からのほうが学べることは多いだろうと」

■過去の知見は封印
新しいサービス・コンセプトと組織文化に興味をもって入社した加藤さん、覚悟はしていたが、それでも初めの頃は驚きの連続だった。
「理念だけが先行していてそれを実現する確固とした戦略や仕組みがない。組織構成一つをとってもあり得ないぐらい支離滅裂、社員各人がそれぞれに良かれと思う仕事をしていて、でもそれが業績にどう貢献するかは誰もわかっていない。まるでアメーバみたいな有機生命体に感じられました」「経営学ではビジネスを戦争にたとえますが、当時のトリッピースは戦闘部隊というよりサークルのノリ。あまりにも無防備なので、自分はそんな彼らを叱ったり守ったりする『母』のような存在になりたいと思いました」

経営大学院を持つ会社に在籍し、そこでMBAを取得し、マネジメントの経験も積んでいた加藤さんにとって、経営学のセオリーにはあてはまらない企業文化を見てどう思っていたのだろうか?ましてや、前編で紹介した通り、日本の各地から「コミュニケーション・プランナー」として引く手あまたの実力の持ち主だ。自分のやり方を導入した方が経営もうまくいくとは思わなかったのだろうか?

「いろいろ感ずるところはあったのですが、少なくとも1カ月は前職までの経験を封印して今の会社から学ぼうと思いました」「既存のビジネスについての知見は自分の方があるかもしれない。でもそんな自分が成し遂げられなかったことを彼らは実現しているのです。たとえば、トリッピース社の運営する旅のキュレーションサイトは、立ち上げからわずか半年で月間450万ユーザーが閲覧するまでとなっていた。それはかつて自分が担当したWebメディアでは実現できなかった途方もない数字でした」

ただ、自身の経験にない若い世代ならではの方法論を学ぶ過程で、トリッピース社ならではの課題と普遍的な課題を峻別し、打つべき手を考えていたとはいう。「たとえば、入社から1週間ほどを経た全社会議でお金の話が全く出てこないことに違和感を覚えました。お金を第一の目的として追及していないところがこの会社の良さではあるものの、さすがに経営の進捗測定指標が顧客の人数やコミュニティの活性数だけというのはおかしい。ビジネスの持続性という意味でマネタイズモデルの明確化は不可避と思いました」「素晴らしい理念はあるしサービスも革新的だけれど、それをビジネスとして持続していくには仕組みが不十分な組織でした」と語る。

■過去の知見解禁は慎重に戦略的に
新たな仕組みを作る必要性を痛感した加藤さんは、入社1か月を過ぎた頃から、その仕組みづくりを自分のミッションとして活動を始める。まさにこれまでに理論を学び実践してきた経営学の発揮のしどころではあったが、まず改革案の主張より、人を観察することに着手した。

実は加藤さんはかつて、管理職として部下に手痛い目に合わされた経験がある。自分の誘いで入社した部下にネットで根も葉もないことを流布されたことがあったのだ。それは自分にも責任があったと加藤さんは語る。「部下に対して、あるべき論だけをふりかざして指示していました。相手がどう受け取るか、その感情を全く考えていなかった。また私の話の内容も思いがこもっていなかったので説得力がなかったのだと思います」

いくら理論的には正しい案だとしても、これまでの組織のやり方を変えることには感情的な抵抗はつきものである。その抵抗によって、せっかくの改革案も成果を上げられないことは往々にしてある。そして加藤さんは、3カ月目を控えたある日の全社戦略会議で、「いま必要なのは破壊と創造」と、改革案をぶちあげたのである。
「この日は全社員がグループワーク形式で中期戦略を考える、という仕立ての会議でしたが、既に過半の社員から課題意識などはヒアリング済み。始まる前から何を言うかは決めていました」
それは徐々に進めるより、ショック療法の方が、かつ、皆で考えたという体を取れる会議での発言のほうが経営陣に耳を貸してもらえるだろうし、後から組織も動かしやすいと計算した結果だった。

「経営陣も変化の必要性は感じていたものの、具体的なプランとして明文化するところには至っていなかった。その後の取組のスピードの速さはさすがでした」
そして改革の一つが加藤さんを経営陣に迎えることだった。豊富なマネジメント経験と理論的バックボーンを持つ「異質な」経営陣の一人として、加藤さんはマーケティング事業部長のポジションを提示され改革を担っていくことになった。

■新しい経験は過去を否定しない
加藤さんのトリッピース社への転職以降の言動を振り返ると、「相手への興味関心と敬意」を忘れなかったことが転職成功の秘訣であったと考えられる。まず転職先企業の文化を尊重し、自分がそれを受け入れることに留意した。過去の自分の経験を引き合いにはせず、むしろそれを押さえることに気を配っている。転職先企業の課題に気づいても改善案をいきなり主張はせず、まず相手の出方をうかがった。自分がどういう面から貢献できるかを慎重に吟味した。その結果、転職先メンバーも加藤さんを経営陣として受け入れることになった。

ミドルの転職で難しいのは自分の過去の成功体験を捨て去ることである。年を重ねれば重ねるほど、自分の中で規範を形作る成功体験が蓄積される。それ自体は貴重な財産であるが、時に新しい経験から学ぶことへの障害となる。規範にそぐわない経験をすると、自分自身の存在が脅かされる気がしてしまい、自己防衛反応として新しいものを拒絶してしまうのだ。

しかし新しい経験は、過去の経験を否定するものではない。今までの経験に積み重なっていくものなのである。新しい経験を恐れず積み重ねていくことで、それらが熟成し、年齢にふさわしい知見となるのだ。

環境変化の激しい今の世の中、転職とまではいかないもののこれまで長年慣れ親しんだ労働環境が激変することは容易に起こりうる。ミドルにとってなかなか辛いご時世である。しかし、そうした変化への経験は、自分の知見の厚みを増していく機会と捉えることで、ポジティブなものに受け止めることができる。そして自分の知見を増やしてくれるものと考えれば、新しい環境への感謝と敬意も生まれるのではないだろうか。そして、筆者はそれが新しいキャリアを切り拓く鍵であると思う。

--------------------------------------------------------------------------------
【加藤小也香さん経歴】
1972年生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒、グロービス経営大学院経営研究科(MBA)卒。1996年に日経BP社に記者として入社。2006年に社会人向け経営教育機関グロービス転職。オンライン経営情報誌「GLOBIS.JP」編集長、グループ広報室長、出版局書籍編集長などを務めたのち、2015年より「どこにもない旅をみんなでつくる」を謳うトリッピース社に転職。現在マーケティング事業部長。2015年5月より執行役員着任。2013年よりグーグル日本法人が中心になって展開する、人材のクラウドマッチングプラットフォーム「イノベーション東北」にも事務局メンバーとして参画。
--------------------------------------------------------------------------------

【参考記事】
■40代から見つける自分らしい働き方(1)前編~大手教育機関広報室長からスタートアップベンチャーへ
http://sharescafe.net/44250159-20150413.html
■転職で忘れられがちな職務経歴書を書く視点
http://sharescafe.net/42183394-20141202.html
■それは心の生活習慣病かもしれない
http://office-carlino.com/wordpress/?p=746
■撤退も選択肢
http://office-carlino.com/wordpress/?p=762
■話題沸騰「正社員制度をなくしたらどうなるか問題」を、ファイナンス論的に考えてみた。
http://sharescafe.net/42781228-20150108.html

朝生容子 キャリアコンサルタント・産業カウンセラー


この執筆者の記事一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加


関連コンテンツ
シェアーズカフェからのお知らせ
シェアーズカフェでは住宅・保険・投資・家計管理など、個人のお金に関するレッスン・相談・アドバイスを提供しています。SCOL編集長でFPの中嶋が直接指導します。
シェアーズカフェ・オンライン編集長の中嶋が士業・企業・専門家向けの執筆指導・ウェブコンサルティングを提供します。




執筆者プロフィール