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電通の社長が引責辞任しました。これは、電通のみならず、日本中の企業経営者に「本気で残業を減らす必要がある」という強いメッセージを送ったニュースとなりました。電通事件は不幸な事件でしたが、それに対する反省から、日本企業が残業体質から脱する事ができるとすれば、それは誠に不幸中の幸いと言えるでしょう。


そして、残業抑制は、必然的に日本企業の効率性を高める圧力となるはずです。違法残業をさせていた企業が働き方を工夫して業務を効率化させる事はもちろんですが、それでは足りずに雇用を増やせば、全国的な労働力不足が深刻化し、それが日本企業全体に効率化を迫る圧力となるからです。

筆者はかねてより、少子高齢化に伴う労働力不足が日本企業を効率化し、日本経済の生産性が上がると考えて来ましたが、その流れが一気に加速する契機となりそうなのです。労働力不足が深刻化して行けば、おのずと生産性が向上していくメカニズムが働くはずです。これまで、安価な労働力が豊富に使えたため、生産性を向上するインセンティブが乏しかった日本企業が、今後は生産性向上に尽力するからです。

今回は、この点について考えてみましょう。

■労働生産性を阻害している要因は主に3つ
日本の労働生産性を阻害している要因は、たしかに存在しています。それらが取り除かれれば、日本の労働生産性は更に上がるでしょう。

第一の要因は、文字通り無駄な仕事が多いことです。長時間労働を美徳と考える企業文化が、付き合い残業を多発させているかも知れません。年功序列制度によって無能な人が管理職になって部下に無駄な仕事を命じているかもしれません。コンセンサスを重視するばかりに、無駄な会議が増えているかも知れません。これについては、簡単には減らないと思いますが、残業規制が強まってくれば、おのずと工夫や見直しが行われると期待しましょう。

第二の要因は、今まで労働力が余っていたので、企業に省力化のインセンティブが無かったことです。この点については、労働力不足の深刻化によって省力化投資が増えていくでしょうから、楽観的に考えて良いと思います。

第三の要因は、日本企業が過剰サービスやゼロサムゲームに労力を費やしている事です。宅配便を即日届けるために、宅配便業者が雇う労働者が増えているとすれば、過剰サービスが減ることで労働生産性は上がるでしょう。それ以上に問題なのは、セールスマンの顧客訪問合戦です。全社一斉にセールスマンを廃止すれば、顧客が店舗に出向いて買い物をするので、各社の売上はほとんど落ちないでしょう。そうであれば、セールスマンの存在自体が労働生産性を引き下げている事になるのです。

以下で、第二、第三の点について、少し詳しく見ていきましょう。

■残業抑制の流れが、労働生産性向上のインセンティブに
電通が社員に違法残業を強いていたとの疑いで、強制捜査が入り、社長が引責辞任しました。これを受けて、各社で残業抑制の動きが活発化して来るでしょう。残業を減らすためには、生産性を向上させる必要がありますから、各社とも生産性向上に尽力するはずです。違法なサービス残業が減って、その分だけ仕事が減ったとすれば、統計には何も表われませんが、実体として生産性が向上するわけです。

あるいは、自社だけでは生産性向上が追い付かず、新規に雇用を増やすかも知れません。そうなれば、マクロ的な労働力不足が一層進むので、違法残業をしていない企業を含めて日本中の企業が生産性向上に努めるようになるはずです。

■労働力不足は省力化投資を促す
これまで、日本には失業者が大勢いましたから、企業は安い労働力を容易に用いる事が出来ました。飲食店は皿洗いをアルバイトにさせていたのです。しかし、労働力不足になりアルバイトの時給も上昇して来ると、飲食店は自動食器洗い機を購入するようになります。これにより、飲食店の労働生産性は向上します。

食器洗い機だけではありません。これまで省力化投資をするインセンティブが乏しかったので、企業はあまり省力化投資をして来ませんでした。従って、いたる所に「少しだけ省力化投資をすれば労働生産性が大幅に改善する」余地が転がっているのです。

省力化投資に限りません。企業が古い設備機械を最新設備に置き換える事で、従来より少ない人数で従来と同じ量の製品が作れるようになるケースもあるでしょう。日本企業は、儲かっても設備投資をせず、古い設備機械を我慢して使っている企業が多いので、維持更新投資によって労働生産性が大きく向上する余地は至る所にあるのです。労働力不足が、こうした投資を促す事が期待されます。これは、日本経済が効率的になるという事ですから、素晴らしいことです。

余談ですが、労働力不足がこうした省力化投資や維持更新投資を促すとすれば、設備投資が増加して設備機械メーカーが潤い、景気が一層回復するという面のメリットも期待出来るでしょう。マクロ経済を考えると、労働力不足は決して困った事では無いのです。

■労働力不足は一時的な現象ではなく、時代の流れ
労働力不足が、単なる景気循環としての好景気の結果だとすれば、企業は省力化投資に慎重になるでしょう。なにしろ日本企業のマインドは景気の長期低迷で冷えきっており、多少景気が回復しても「どうせ遠からず不況が来る」と考えて設備投資をしない、という習性が身に付いているからです。

しかし、今回の労働力不足は、残業体質との決別という構造的な変化を映じたものです。政府の残業規制の姿勢は明らかに強化されていますから、今後は違法残業の公表なども行なわれるようになるでしょう。そうなれば、違法残業をさせている会社は新入社員が採用出来ない、といった時代が来るかも知れないわけです。

加えて、底流には少子高齢化による現役世代人口の減少があるわけですから、労働力不足は容易には解消しないでしょう。特に少子高齢化による労働力不足は、長時間かけて川の水位が低下してきたのが、たまたまアベノミクスという川底の石によって、人々の気づく所となった、ということだからです。

今後も、景気が大幅に悪化しない限り労働力不足が続く、という予想が立てば、企業が省力化投資に踏み切る事は容易でしょう。省力化が期待出来る維持更新投資についても同様です。

■非効率企業は淘汰され、労働力が効率的企業に流れる
日本には、効率的な企業も非効率な企業もあります。労働力が不足した時に、効率的な企業に優先的に労働力を振り向ける事が出来たら、経済にとって素晴らしいことです。そして、それは可能なのです。経済学者の好きな「価格メカニズム」が機能し、「神の見えざる手」が経済を望ましい方向に導いて下さるのです。

労働力不足が深刻化してくると、賃金が高騰します。そうなると、高い賃金を払えない非効率企業は労働者を採用出来ず、高い賃金を支払える効率的な企業だけが労働者を採用出来ることになります。労働力不足が更に進むと、効率的な企業が高い賃金で非効率企業の社員を引き抜いてくるようになるかもしれません。更には、駅前商店街の零細商店が閉店して、元商店主が高い給料で大手スーパーに雇われていく、といった事も増えて来るでしょう。こうして、日本経済全体として見た場合の労働力の分布が変化し、日本経済全体としての効率性が上がっていくのです。

■日本企業の過剰サービスが減れば、それも素晴らしいこと
日本企業は過当競争体質ですから、価格競争もサービス競争も、やり過ぎです。価格競争は、賃金が上昇してくれば、自然に沈静化してくるでしょう。サービス競争も、そうなると思います。

たとえば、宅配便が即日届かなくても大丈夫です。インターネットでペットボトルの水を注文したら、即日配達してくれて、不在だと再配達してくれる、などというサービスは、やりすぎです。昔は客が店まで買いに行き、重い荷物を持ち帰っていたのですから、それを考えれば配達は3日に1度で十分です。

これまでは、ライバル企業も労働力が豊富でしたから、サービス競争が激化していましたが、労働力不足が深刻化していけば、お互いに無い袖は振れなくなり、3日に1度の配達になるかも知れません。お互いのサービスが同時に低下すれば(過剰なサービス競争が正常化すれば)、客が逃げる事も無いでしょう。

それによって、日本の宅配便業界が、従来より少ない人数で従来と同じ量の荷物が運べるようになるのであれば、それは日本経済の効率化であり、経済成長に大いに貢献する変化だと言えるでしょう。

■日本企業が「ゼロサムゲーム」で消耗している
過剰サービスは、まだ顧客の役に立っていますから良いのですが、更に問題なのは、顧客獲得競争です。たとえば各社の自動車のセールスマンが顧客訪問を100回ずつ行っても、売れる車は一台です。顧客訪問を全く行わなくても、車が欲しい客は自分で店頭を訪れて車を1台買うでしょう。その意味では、セールスマンの存在は、マクロ的には労働生産性を下げる要因なのです。

一社だけがセールスマンを廃止すれば、ライバルに顧客を奪われてしまうため、それは出来ませんが、全社一斉にセールスマンを廃止すれば、日本経済の生産性は大幅に向上します。しかし、そんな事が可能なのでしょうか。

自社だけが苦しいのではなく、ライバルも同様に労働力不足で苦しんでいるわけですから、「背に腹は代えられないので、わが社がセールスマンを少しだけ減らした。売上の減少を覚悟していたが、ライバルもセールスマンを減らしたので、売上は落ちなかった。それなら今少しセールスマンを減らしても大丈夫だろう」といった選択は、あり得ると思います。

バブル崩壊後の金融危機時、各銀行は支店数を一斉に減らしました。各行が「支店数を減らせばライバルに客を奪われるかもしれないが、背に腹は代えられない」と考えて支店を減らした結果、結果的にはいずれの銀行も顧客数は減りませんでした。結果として銀行業界全体の効率性が大幅に向上したのです。

銀行のケースは、金融危機という銀行業界だけの事例でしたが、今回は労働力不足という全産業レベルの問題なので、日本経済全体の効率性が大きく向上していくと期待しましょう。

■政府の非効率にも厳しい目を向けるべき
今後は、失業対策としての公共投資は不要になります。政府が従来の発想で公共投資を行なったりしないように、国民がしっかりと監視していく必要があるでしょう。

それだけではありません。政府には、非効率な支出が多いと言われています。地方自治体が立派なコンサートホールを建てたりするのも、「無駄」とは言いませんが、多くは民間の基準で言えば大変な非効率です。

筆者は、これまでそうした非効率には寛容でした。「ある意味、失業対策だ」と考えていたからです。しかし、今後は違います。「コンサートホールを建設する労働者を保育園の建設に回すべき」と考えるからです。税金の無駄遣いはいけませんが、労働力の無駄遣いは更にいけません。そういう時代認識に立って、これからは行政の非効率に厳しい目を光らせて行こうと考えています。

筆者一人では微力ですが、そうした努力が行政を効率化し、日本経済の潜在成長率を高める事に少しでも貢献出来るのであれば、それは良い事でしょう。

■過去のデータに頼りすぎると危険
未来を予測する時、過去のデータを用いないのは独善ですが、過去のデータに頼り過ぎるのも危険です。バックミラーを見ながら運転するようなものだからです。「これまで生産性が向上して来なかったのだから、今後も無理だろう」という事にはならないのです。労働力が余っていた時代から足りない時代に変化することで、労働生産性にも劇的な変化が生まれるのです。

氷を熱しても、しばらくは温度が上がりませんが、氷が溶け終わると突然温度が上昇しはじめます。そして、温度が100度になると、急に再び温度の上昇が止まります。経済でも、似たような事が起きるのです。

将来、振り返って見た時に、アベノミクスが大きな転換点であった、ということになる可能性は高いと思います。つまり、我々は今、時代の大きな転換点にいるのです。

新しい時代のことを、古い時代の経験から予想することは容易ではありません。こうした時こそ、柔軟な頭で先入観に囚われず、果敢に予想していく事が必要でしょう。

景気の予想屋のみならず、老後の資産運用を考える人、企業経営を考える人、経済政策を考える人、等々の全員が、時代の大きな転換点に立っている事を認識した上で、将来を見通そうと努める事が大切だと思います。

こうした時の見通しは、非常に困難なので、頑張ったからと言って当たるとは限りませんが、頑張らないよりはマシでしょう。頑張りましょう。

おまけです。筆者の好きな言葉があるので、ご紹介します。

なぜ頑張るのか。悪い結果が出た時に、頑張った人は、運が悪かったと考えて運の神様を恨みながら一生を暮らせば良いが、頑張らなかった人は過去の頑張らなかった自分を責めながら一生を暮らすことになるから。

最後になりましたが、過労死された電通元社員、高橋まつりさんの御冥福を御祈り致します。

【参考記事】
■少子高齢化による労働力不足で日本経済は黄金時代へ(塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49220219-20160809.html
■労働力不足でインフレの時代が来る (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49018387-20160708.html
■老後の生活は1億円必用だが、普通のサラリーマンは何とかなる (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49185650-20160728.html
■国債暴落シミュレーション:Xデーのパニック(塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12199602230.html
■とってもやさしい経済学 (塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12221168188.html


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