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■速く走ることが富に変わった日
厚生労働省の「同一労働・同一賃金ガイドライン案」(2016年12月20日、以下「案」とする)を読んで、能力と市場の需給関係について、つい考えてしまった。

前の東京五輪(1964年)、陸上男子100m走で10秒00の世界記録タイ(当時)を出して優勝したボブ・ヘイズ。その速さに人々は熱狂した。世界一速く走る男を人々は見たがっていた。人より速く目的地に着く? それが何の得になるのか。それでも人は、人類最速で走る人間を見たがった。しかし五輪後、ヘイズはプロフットボール選手となった。

ヘイズから30年、カール・ルイスは最速で走ることがお金になることを証明した。ロスアンゼルス五輪で100m、200m、4×100mで優勝、おまけに世界で一番遠くに跳ぶ走り幅跳びでも金メダル。この大会から五輪は商業化し、莫大な額のスポンサー契約が付き、最速の男は走ることで富を得ることになった。その後、ウサイン・ボルトに至るまでのストーリーは誰もが周知のことだ。

■需給市場は「客観的・具体的な実態」である
需給市場(マーケット)の賜物として、すべてのサービスがお金で買えるようになった。「最速の足」もだ。労働力もまた卓越した力であれば、もちろん高い値が付く。力のない者でさえ、マーケットの中にいれば値付けがされる。簡単に言えば、儲かる会社という「場所」にいれば、そこにいる社員も儲かる(高給を得る)。その中で正規の位置にいるか、そこから外れた非正規の位置に居るかで値付けが違うということだ。

そもそも、正規雇用労働者(正社員)と非正規雇用労働者(非正社員)で賃金格差が出るほど能力や技術に差があるのか。「案」においても賃金や賞与について、「正規」と「非正規」の待遇には一応、曖昧さを残すなとされている。

「案」の注意書きには次のようにある。
「無期雇用フルタイム労働者と有期雇用労働者又はパートタイム労働者は将来の役割期待が異なるため、賃金の決定基準・ルールが異なる」という主観的・抽象的説明では足りず、賃金の決定基準・ルールの違いについて、職務内容、職務内容・配置の変更範囲、その他の事情の客観的・具体的な実態に照らして不合理なものであってはならない。


1つの能力や技術がお金になるかどうかは市場の需給関係による。どれだけ優れた超人技であっても、人々がそれを求めなければ、お金にはならない。50数年前、五輪で速く走ることがまだお金にならなかったように。これは、「主観的・抽象的説明」ではなく、「客観的・具体的な実態」である。

■定年後の賃金にも正規と非正規がある
普通に考えても、正社員の給与・賞与は非正社員に比べ貰いすぎの感がある。同一労働であれば正規と非正規の賃金や賞与を同一にしろと言うと、「では、非正社員分の底上げ分をどこから持ってくるのだ」という議論が出てくる。正社員分の給与や賞与を削って、非正社員に回せばいいという案、そんなことしたら正規の者のモチベーションが下がるのではないか、という意見。後者は、既得権を侵されることに納得できない人たちのものだ。

正社員と非正社員の賃金格差を見ると、正社員100に対して非正社員は65.8である(2016年「賃金構造基本統計調査」)。これでも格差は最小となったのだ。これで見るように、正社員が貰っている給与は過剰なのだからして、それを削ってならし、正社員と非正社員の金額を近づければいいだけの話である。

さらに「案」には、定年後の賃金についても触れている。
定年後の継続雇用において、退職一時金及び企業年金・公的年金の支給、定年後の継続雇用における給与の減額に対応した公的給付がなされていることを勘案することが許容されるか否かについては、今後の法改正の検討過程を含め、検討を行う。


これは、同じ会社の退職者が再雇用となるか、他の会社へ転職して再雇用となるかで全く話が変わってくる。同一会社の正規社員であれば、定年までの賃金総額を把握しているわけで、それに見合った生涯賃金を見込んで再雇用者の給与を当て込んでいる。しかし、他の会社へ行く非正規の退職者は、ほとんど最低賃金での再雇用となることが多い。

また、大抵の場合、本人のこれまでの経験、能力、技術など考慮されず、もっぱら単純作業に従事するパート労働者になると言っていい。特に再雇用者は、正社員とは完全に職務が分断され、その単純労働がずっと固定化したままとなるから、いくら意欲を出そうがその位置から抜け出せない。もっとも、会社が悪いわけではなく、「自分は一流企業の元社員だ」と言っても、それを聞き入れてくれるマーケットがないだけなのだ。

■年齢で区別される退職者の労働力
いったん定年退職したのだから、いつまでもがつがつ欲をむき出して働く必要があるのかと聞く人がいるだろう。これはそういう問題ではない。人間の労働力を一律に年齢で区別することの誤りを言っている。責任も軽く、ストレスも疲労感もない仕事でのんびり働き、賃金にこだわらない余生的な働き方がいいという人もいる。

一方で、老後生活の破綻から何としても逃れたくて、まだまだ現役並みに必死に働かなくてはならない人もいる。再雇用者であっても、責任を持って働き甲斐のある仕事を望む人もいるのだ。そういう人たちを正社員の退職者は、「だから君は、頑張らなかったのがいけないのだよ」と言えるのだろうか。「場所」を失えば、いつ自分が同じ身分になったかわからないのに。

■世界最速ランナーが市場をつくった
社員の能力に給与ほどの差があるなどとは誰も思っていないだろう。その証拠に、特殊な能力やキャリヤを持たない人がリストラで大企業を離れてその足でハローワークを訪れたらいい。3割、4割減どころか、給与半減、いやそれ以下の募集しかないことに気づくだろう。このことは、明らかに人の能力差によって給与が決められていたのではないということである。

では、社員の価値はどこにあったのか。何がその価値を決めていたのか。繰り返して言うが、個人の能力ではなく、需給関係の結果によるものである。儲かっている「場所=会社」にいたから、社員も儲かっていたのである。それによって、格差意識が社員に根付いていただけである。それを一流(と呼ばれる)企業に勤める一流(と呼ばれる)社員を「エリート」などと呼ぶこと自体が大きな錯覚なのである。

しかし、こう言う人がいるだろう。一流の「場所」に入ること自体が激しい競争に勝ち抜いてきたエリート、選ばれし証拠ではないかと。何が? 選ばれし者というのは、その「場所」に入ることではない。時と条件に関係なく、その「場所」(マーケット)を作り、そこに居続けることができる者をいう。あの世界最速のランナーたちのように。

■いつか「高齢者労働工場」になるのか
会社という「場所」が、マーケットの中で評価されているのであって、その「場所」の中に安住している社員が評価されているのではない。その「場所」の中で、正規だ、非正規だと評価を区別すること自体がおかしい。

結論としては、正規も非正規もなく、年齢・性別制限も撤廃して、働く者一律に能力アップの道を進める選択肢を残しておくべきである。このままでは、日本の社会全体が低賃金で単純労働を強いられる「高齢者労働工場」になってしまう。活気もなく、歓びもなく、すさんで、疲れて働く高齢者ばかりのいる社会。そうした姿を目の当たりにしている30代、40代、50代の人たち。自分たちもいずれそのようになるのかという不安感と恐怖感を、なぜ今の社会は煽り続けるのだろうか。

【参考記事】
■夫婦控除は再浮上する 主婦の働き方はここからが本番だ (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
https://www.tfics.jp/ブログ-new-street/
■「副業・兼業」は、解禁待たずに今から始めよ (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/50091670-20161129.html
■どれだけ稼げても、長時間残業は割に合わない (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49837469-20161026.html
■転職貧乏で老後を枯れさせないために個人型DCを勧める理由 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49061150-20160714.html
■定年退職者に待っている「同一労働・賃下げ」の格差 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー) 
http://sharescafe.net/48662599-20160524.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表





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