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私は3年前、1人で社会保険労務士事務所を始めたが、昨年の法人化も経て、ありがたいことに目下、事業は安定成長している。お客様や社員には感謝の気持ちしかない。

社員が増えるに従い、私自身の仕事内容としては「経営」の比重が高まってきた。

まだまだ試行錯誤中であるが、私は、経営者の重要な仕事の1つは、社員を「おもてなし」することだと自覚するようになった。

その理由を、私の体験を踏まえながら述べてみたい。

■労働条件通知書は「ウェルカムメッセージ」
まずは、新入社員を迎え入れるときの話である。

新たに社員の採用が決まると、労働基準法の定めにより、会社は新入社員に対し、主要な労働条件を明示した書面(労働条件通知書)を交付しなければならない(実務上は「雇用契約書」で兼用することも可)。

この労働条件通知書をどのように作るかは社会保険労務士の腕の見せ所の1つで、解雇時のトラブルをいかに防ぐかということや、固定残業代をいかにリスクの低い形で盛り込むかなど、私も実務家として研究をしたり、お客様に助言をしたりしてきた。

しかしながら、私自身が自社の社員に向き合って労働条件通知書を渡す機会が増え、労働条件通知書は、会社の労務リスクのヘッジができればよいという単純な話ではないということに気付かされた。

確かに、当社で開発している労働条件通知書は、会社側の立場で労働トラブルを予防できるノウハウは存分に織り込まれていると自負できる。しかし、労働条件通知書の作成に当たり、これまで労働トラブルを防止することだけしか頭の中になかったことに対して、自分の未熟さを痛感したのだ。

どういうことかと言うと、逆の立場になって、その労働条件通知書を受け取る社員側の気持ちを考えると、「こういう時には解雇します」とか「試用期間中にこんなことがあったら会社は本採用しません」みたいな文言ばかりが散りばめられた労働条件通知書を渡されたとしたら、せっかくこの会社に入って頑張ろうと思っていた社員のモチベーションを下げてしまう。「ちょっとでも粗相をすれば辞めさせられてしまうのではないか」という不安を覚えて、委縮させてしまう可能性もある。

労働条件通知書に様々なリスクヘッジ条項を織り込むのは、「万が一」の場合に備えてのことなのだが、字面で「当社はあなたをウエルカムしている」という気持ちが伝わらなくなってしまっては非常に勿体無いし、本人にも申し訳ないと私は思った。だから、「万が一のときのリスクヘッジ」という役割を果たすことは大前提に置きつつも、私は、新入社員の方が気持ちよく受け取れる内容の労働条件通知書を作成するのが経営者の役割だという考えに至った。

もう少し具体的に言えば、労働条件通知書は、会社が一方的に労働条件を押し付けるような書面ではなく、労使双方が対等な立場でお互いを尊重しながら労働条件を確認した上で、そのことが分かる体裁や文言で作成するようにしていかなければならないということである。

なお、労働条件通知書に限ったことではなく、私は自分が社員を雇用することによって、社会保険労務士としても成長する機会に恵まれたと思った。1人で仕事をしていた頃は、会社のリスクをどのように回避するのかということばかり考えていたのだが、社員の気持ちやモチベーションのことも意識しながら、お客様へのアドバイスができるようになっていった。その経験も踏まえ、当社の経営理念を「社員から信頼される会社づくりをサポートする」と定めた。

■飲み会は「経営者が社員をねぎらう場」という感覚
忘年会、新年会、暑気払いなど、当社でも飲み会を行うことがあるが、私は「フラット」な飲み会というか、むしろ経営者が社員をねぎらうような会にしたいと思っている。

私がサラリーマンをしていた会社では、若手社員は役員、上司、先輩の席を回って酌をしたり、水割りを作ったりするのが当然という社風だった。サラリーマンとして勤めていたときには、それが当然のことだと思い、全く疑問はなかった。

だが、今度は自分が経営する側になってみると、「これはおかしいのではないか」と考えるようになってきた。社員の皆が、頑張って日々のオペレーションを回してくれているからこそ、会社が成り立っている。今や、単に私の仕事を代理してくれているというよりも、同じ仕事を「ヨーイドン」で始めたら、私よりも社員のほうが早く正確にこなしてくれるくらいだ。

社員に見放されたら経営が成り立たないのは、当社のような零細企業だけでなく、東証一部に上場するような大企業も同じである。社員という「人財」や、社員の力で維持発展している技術やノウハウこそが会社の「心臓部」である。経営危機に陥っている東芝だって、東芝メモリや東芝メディカルシステムズを分社化したり他企業へ売却したりしているが、経営者や株主が変わっても、今日明日で実体的な何かが変わるわけではない。しかし、もし社員がこぞって退職したら、次の日からは会社の体をなさない。

話が大きくなってしまったので、忘年会・新年会の話に戻すが、社員あっての会社なのだから、経営者は社員からお酌をしてもらって「ウム」とふんぞり返っているようではいけない。これからどんなに組織が大きくなったとしても、私は、自社の忘年会や新年会を、会社の「心臓部」の役割を担ってくれている社員が主人公で、社員に楽しんでもらえる場にしたいと考えている。

お客様やお取引先様の忘年会等に招待をして頂くこともあるが、実際に急成長している会社や、労使関係が円満な会社は、例外なく経営者だけが自己満足で楽しむのではなく、経営者も社員も一丸となって楽しんでいるようだった。

■経営者は「お客様第一主義」ではいけない
私は社会保険労務士として独立したての個人事業主だった時代、まだほとんど実績も経験も無い私に仕事を出してくれたお客様に恩返しをしたいと思い、自分の体力が持つ限り、24時間365日対応で仕事をしてきた。初期を支えてくれたお客様には本当に感謝をしている。

だが、社員を雇用して仕事を任せていくことを考えた場合、自分と同じように働いてもらう訳にはいかない。社会保険労務士事務所で労働トラブルや過労死などが発生したならば、ブラックジョーク以下である。

この点、私は自分なりに、かなり試行錯誤をしたが、「経営者にとって、お客様と社員は天秤の左右」という結論に至った。

お客様に満足して頂けるサービスを提供しなければ会社として存続ができないのは当然だが、社員に過重労働をさせなければそのサービスが維持できないということであれば、経営方針が間違っているということである。

お客様のターゲットやサービスメニューを絞ったり、取り組むべきことの優先順位をつけたり、ITに投資をして効率化を図ったりといった戦略を立案し、「お客様に満足して頂けるサービス」と「社員が安心して働ける職場環境」を両立させることこそが、経営者の役割であると私は考えた。

たとえば、当社が営んでいる社会保険労務士業で例示するならば、助成金の申請代行による成功報酬は売上として大変魅力的ではあるのだが、当社では最近、助成金は顧問先限定のサービスに絞り、スポットの助成金申請代行業務からは撤退するという経営判断を下した。

スポット契約で助成金の申請代行をする場合、顧問先のように会社内部の状況を充分に把握できているわけではないので、申請のプロセスにおいてイレギュラーが発生しやすく、社員もそれに翻弄されてしまいがちという傾向にあったからだ。売上の確保よりも、社員にかかる負荷の軽減のほうが重要だと私は考え、上記判断に至った。

結局のところ、表面的な「お客様第一主義」は長続きしない。最初は「キミの会社はよくやってくれるね」と感謝されても、社員が疲弊して退職したり、病気になって休職したりすると、サービスを維持することができず、早かれ遅かれ「あの会社は最近サービスが悪くなったね」と、お客様が離れていってしまうのだ。

したがって、私は、まずは経営者がお客様と社員のバランスを最適に保つという責務を果たし、社員にはそのバランスの中で、安心して「お客様第一主義」を考えて日々の業務に取り組んでもらいたいと考えている。

■まとめ
私自身、経営者となって日が浅いので、まだまだ勉強中の身だが、「社員あっての会社」ということは本当に日々痛感している。

当社は規模的には零細企業であり、付加価値の高いサービスを展開しているわけではないので、賃金的な面では、世間相場を大きく下回ることは無いはずだが、飛び抜けた好条件を提示できているということもない。

経営効率のさらなる改善や、付加価値の高いサービスの開発のより、今後賃金水準を引き上げていくつもりだが、賃金水準と社員満足度に高い相関性はあれど、必ずしも正比例はしない。だからこそ、私は、経営者としてできる限り「おもてなし」の気持ちを大切にしたいと思っている。

社員が当社を気に入ってくれて、長く働いてくれたならば、サービスの質は安定し、ノウハウや経験もおのずから蓄積されるので、それがお客様満足度の向上にもつながっていくと私は確信している。

《参考記事》
■社員を1人でも雇ったら就業規則を作成すべき理由 榊 裕葵
http://polite-sr.com/blog/shuugyoukisoku-sakusei/
■電通の「整備された労働環境」は、なぜ新入社員の自殺を生み出したのか? 榊 裕葵
http://polite-sr.com/blog/dentsu_mondai
■東芝メモリ分社化で従業員の雇用は守られるのか 榊 裕葵
http://sharescafe.net/50991370-20170403.html
■「非常に強い台風」が接近していても会社に行くのはサラリーマンの鏡か? 榊 裕葵
http://sharescafe.net/49408703-20160829.html
■働き方改革第一弾として、ホワイトカラーが今すぐ無くせる5つの残業 榊 裕葵
http://sharescafe.net/50496544-20170123.html

榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー
特定社会保険労務士・CFP

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