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会社員の方にとって、「取締役への就任」を打診されるのは光栄なことであろう。出世の階段を大きく上ったという喜びを感じる瞬間ではないだろうか。大企業であれば、個室や社用車が与えられるとか、グリーン車やビジネスクラスが使えるようになるとか、待遇面でも一段上の扱いを受けられるのかもしれない。

■東芝では全取締役の再任に反対の意見
だが、「取締役への就任」というのは、肩書が立派になることや、会社から手厚い待遇が受けられる反面、実は相当な覚悟が必要であることを本稿では指摘しておきたい。本稿の筆をとろうと思ったのは、次のニュースが報じられたのを目にしたからだ。

経営再建中の東芝が28日に開く定時株主総会に向け、米国の議決権行使助言会社グラス・ルイスが東芝の一部株主に、会社側が提案する綱川智社長ら9人の全取締役の再任案に反対するよう勧めていることが分かった。
東芝全取締役再任に反対…米の助言会社が推奨 読売新聞 平成29年6月17日


取締役になるということは、経営の最前線に立つことであり、大きな責任を背負うことになる。そして、労働基準法によって保護される立場からも外れる。上記のように、株主の支持を失った場合には、一瞬で取締役としての身分を失う可能性もあるのだ。

■取締役の就任した場合の5つのリスク
本稿では、取締役に就任する場合、どのようなリスクがあるのかということを説明していきたい。具体的には、5つのポイントに分けて説明する。

第1のポイントは、上述の通り、株主の意向によって簡単に解任される恐れがあるということである。

社員の立場だった時は会社とは雇用契約の関係で結ばれており、労働基準法の保護を受けることができた。我が国に労働基準法では解雇は厳しく規制されており、会社が倒産の危機に瀕したときの整理解雇や、本人が重大な就業規則違反をおかして懲戒解雇されるような場面でなければ、法的に解雇は有効とならない。

ところが、取締役の場合は、会社とは委任契約の関係になるので、議決権ベースで株主の過半数が当該取締役の解任に賛成をしたら、いつでも取締役の身分を失ってしまうのである。

なお、取締役に就任する際には、一部の例外を除き社員としての雇用関係は終了させるので、取締役を解任されたからといって社員に戻れるわけではない。解任されたら、無職になってしまうのだ。

第2のポイントは、取締役には雇用保険が適用されないということである。

上記、第1のポイントで説明した「解任からの無職」に追い打ちをかけるのは、取締役を解任されたからといって、基本手当(いわゆる「失業手当」)を受給することはできないということである。取締役は労働者ではないので、取締役就任と同時に雇用保険は脱退することになる。雇用保険の被保険者ではなくなってしまったので、当然に基本手当を受ける権利も無いということだ。

ちなみに、子育て期の方が取締役に就任した場合は、育児休業を取得しても、「育児休業給付金」を受給することはできなくなるので、この点も注意をしてほしい。

なお、健康保険や厚生年金といった社会保険に関しては、社員時代と同じ条件で継続加入でき、保険証についてもそのまま使うことができるので、この点は安心して頂きたい。

第3のポイントは、取締役には最低賃金や減給制限が適用されないということである。

社員の場合は、最低賃金法により各都道府県の最低賃金が適用され、時給者はもちろんのこと、月給者も時給換算した場合に最低賃金を下回らないだけの額の月給が支払われなければならない。

また、懲戒処分の1つとして「減給の制裁」というものがあるが、非違行為を行った社員に対する減給の制裁は、1日の賃金の50%以内かつ、1回の賃金支払い日に支払われる額の10%以内まで、という制限がかけられている。

ところが、取締役の場合は最低賃金が適用されないので、株主総会の決議や代表取締役の判断で、「君の担当部門は成果が上がっていないので、来期の役員報酬は月10万円しか払いません」ということもまかり通ってしまうのだ。「それでは生活できません」と言っても、「嫌なら辞任してください」で終わってしまい、それ以上の反論は法的に不可能なのだ。

また、株主から「この不祥事の責任を取って、役員報酬を50%返納してほしい」と言われたら、断るという選択肢もあるが、そうした場合は解任動議が出されたり、次回の株主総会で再任を否決されたりする可能性もあるので、事実上は役員報酬の返納に応じざるを得ないであろう。なお、役員報酬の返納幅に法的な制限はないので、場合によっては100%返納で、実質的に無報酬で働かなければならないということも起こりうる。

第4のポイントは、取締役には労働時間の規制は全く無いということである。

近年、長時間労働や過労死が大きな社会問題となり、労働者の労働時間短縮への動きが、官民を挙げて進められている。管理監督者や裁量労働者であっても、残業代は支払われないかもしれないが、労働時間の長さ自体は管理され、会社は出勤簿を作成する義務もある。

ところが、取締役に関しては、自己責任で自分の健康を守らなければならない。繰り返しになるが、取締役は労働者ではないので、残業代が払われないことは当然だが、会社が出退勤を管理する必要もない。取締役が過労死をしても会社に責任はなく、「彼は自己管理ができていなかった」ということで法的には終わってしまうのだ。

第5は、株主や債権者に対して責任を負う可能性があるということだ。

社員であれば、会社が粉飾決算をしたからといって株主から訴えられることは無いし、会社が倒産した場合に銀行から借入金の返済を求められることもない。

ところが、取締役に就任すると、会社法で定められた「善管注意義務」や「忠実義務」を負い、会社に不祥事があった場合は、直接自分が行ったことでなくても、「取締役として経営を監視する立場だったのにそれが不十分だった」として、株主や銀行などの債権者に対して金銭的な責任を負わなければならない場合がある。

大企業であれば「取締役賠償責任保険」に入っていることが通常だが、このような保険に入らないまま取締役に就任して、株主や債権者から訴えられた場合には、私財を投げ打って賠償責任を果たさなければならないというリスクがあるのだ。

■「名ばかり取締役」に注意
最後に、「名ばかり取締役」について触れておきたい。取締役としての処遇や権限を与えるつもりがないのに、形の上だけ取締役に就任させて、残業代や労働時間の規制をかいくぐろうとするブラック企業も存在する。これが「名ばかり取締役」で、「名ばかり管理職」と全く同じ構図である。

不本意ながら経営者の圧力で「名ばかり取締役」に就任させられてしまった場合は、実労働時間に応じた残業代の支払いを求めることが可能であるし、労災に直面した場合には、肩書は取締役であっても実態は労働者だったとして労災認定された事例も存在する。「名ばかり取締役」にされた場合には、泣き寝入りをせずに労働基準監督署へ相談してほしい。

■結び
取締役に就任するということは、会社員にとって、「単なる出世の階段を一つ上る」以上に、法的には大きな環境変化に直面するということである。もちろん過度に委縮する必要はないのだが、後で「こんなはずではなかった」ということにならないよう、就任にあたっては、取締役と社員の立場の違いをしっかりと理解し、認識しておきたいものである。

《参考記事》
■社員を1人でも雇ったら就業規則を作成すべき理由 榊 裕葵
http://polite-sr.com/blog/shuugyoukisoku-sakusei/
■電通の「整備された労働環境」は、なぜ新入社員の自殺を生み出したのか? 榊 裕葵
http://polite-sr.com/blog/dentsu_mondai
■東芝メモリ分社化で従業員の雇用は守られるのか 榊 裕葵
http://sharescafe.net/50991370-20170403.html
■「非常に強い台風」が接近していても会社に行くのはサラリーマンの鏡か? 榊 裕葵
http://sharescafe.net/49408703-20160829.html
■働き方改革第一弾として、ホワイトカラーが今すぐ無くせる5つの残業 榊 裕葵
http://sharescafe.net/50496544-20170123.html

榊裕葵 
ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー
特定社会保険労務士・CFP

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