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高いコストを払って法科大学院を卒業しても弁護士になれない人が大勢います。なれても低収入に喘いでいる人も大勢います。そこで法科大学院希望者が減り、定員割れに伴う「廃校」が相次いでいます。こうした過ちを繰り返さないためには、しっかりした需要予測と供給量の管理が望まれます。

■需要予測の誤りが悲劇の源
司法試験の合格者が発表され、合格者は1543人でした。法科大学院制度の導入を提言した司法制度改革審議会意見書は、「平成22(2010)年ころには新司法試験の合格者数の年間3,000人を目指すべきである」との数値目標を掲げていたのに、です。

これは完全な需要予測の誤りでした。実際には新司法試験の当初合格者は3000人ではなく2000人程度でしたが、それでも弁護士の供給が過剰になり、困窮する若手弁護士が相次ぎ、その後も合格者数は減少を続けているのです。

合格者数が減れば、法科大学院を卒業しても弁護士になれない人が増えます。しかも弁護士になってもメリットは小さいとなれば、高いコストを払って法科大学院を卒業しても仕方ありません。法科大学院に支払う授業料だけではなく、法科大学院に行かずに就職していたら得られた筈の給料を諦めた分も、コストだと考えれば、文字通り巨額のコストです。

方法論としては、弁護士の需要が読めないならば、合格者数を緩やかに引き上げる選択肢を採用すべきであったのに、急に引き上げた事が混乱を招いたのだと思います。しかし、より本質的な問題は、弁護士の需要があると根拠なく考えてしまった事でしょう。

もしかして、グローバル・スタンダードなどという流行り言葉が影響していたのだとすれば、悲劇ですね。この言葉は、「日本も米国の真似をすれば上手く行く」という意味です。バブル崩壊後の日本経済が長期停滞している一方で米国経済が絶好調であった事から、2000年前後には結構流行ったものです。2008年のリーマン・ショックで米国的なやり方を賛美する声が消えるとともに、聞かれなくなりましたが(笑)。

米国は訴訟社会ですから、弁護士の需要が非常に大きいのですが、日本ではそうした事は全くありません。そうした文化の差を無視して米国の真似をすれば、失敗する確率が非常に高いのですから、それくらいの事は当時の政府もわかっていたと思いたいです。

■供給量の管理も悪かった
百歩譲って、司法試験の合格者が3000人だったとしましょう。それでも悲劇は起こったはずです。それは、当初の法科大学院の定員は6000人近かったからです。定員が3000人であれば、それは問題でしょう。法科大学院に入学し、卒業すれば誰でも司法試験に合格するのであれば、真面目に勉強する法科大学院生はいないでしょうから(笑)。しかし、せいぜい4000人でしょうね。

「法科大学院生の半分は司法試験に合格しない」という所まで定員を認めてしまった文部科学省に問題があったのでしょう。まさか、「弁護士になれなくても、法律の専門家として各企業が法務部に採用してくれるはずだから、不合格者が路頭に迷う事はない」などといった幻想を抱いていた訳ではないでしょうが・・・。

■そもそも法科大学院は必要だったのか
筆者は事情に詳しくありませんが、素人なりに思う所はあります。旧司法試験のまま、定員を増やせば良かったのではないでしょうか。その代わり、司法修習の期間を長くするとか、司法修習所の卒業試験を厳しくするとか、方法はあったはずです。

大学院は、本来学問をする所で、教員は研究者です。教育もしますが、学問を教えるのであって、受験勉強の指導をするわけではありません。弁護士も実務家教員として採用されますが、彼等も教育のプロではありません。それに比べて、司法試験予備校の先生は、受験指導のプロです。なぜ、司法試験予備校はダメで法科大学院なら良いと考えたのでしょうか。実際、予備試験制度が出来てからは、予備校の先生と法科大学院の先生が正面から勝負する事になってしまい、法科大学院制度の根本的な矛盾が明らかになってしまったわけです。

どうしても法科大学院が作りたければ、司法試験予備校を単科大学院大学として認可すれば良かったのでは無いでしょうか。今さらですが(笑)。

■弁護士が安く雇えて嬉しいか?
弁護士の供給が増えたという事は、需要と供給の関係で弁護士が安く雇えるようになったという事ですね。それによって、旧司法試験時代に弁護士が得ていた「独占利潤」を失い、庶民でも弁護士が雇えるようになった、という事は言えるかも知れません。しかし、庶民が弁護士を活用している事例の少なさを考えれば、そのメリットは決して大きくなさそうです。

一方で、デメリットは非常に大きなものがありました。多数の法科大学院が作られては廃校し、膨大なコストが無駄になりました。多数の学生が法科大学院に通った後に恵まれない人生を歩んでしまいました。

「大学は、法科大学院を作るべきではなかったし、学生は法科大学院に入学すべきでなかったのに、愚かな選択をしたのだから、ヒドイ目に遭ったのは自己責任だ」などと言う人がいるかも知れません。それは理論的には正しいかも知れませんが、そこまで自己責任と呼ぶのは可哀想でしょう。チョッと極端ですが「タイタニック号は救命ボートが少なかったのに、救命ボートの数も調べずに乗り込んだ愚かな乗客の自己責任だ」というのと似ていますから。

旧司法試験時代に「独占利潤」を得ていた弁護士だって、可哀想です。「得るべきではない独占利潤なのだから、失うのは当然だ」というのは正論でしょうが、彼らの多くは何年も司法試験浪人をして弁護士になっています。弁護士になってからの所得は高かったでしょうが、それ以前の「サラリーマンになっていたら得られたであろう給料」を放棄しているわけですから、その分を回収し終わる前に弁護士過剰になってしまった人々は、被害者でしょう。独占利潤を何十年も得て来た高齢者の弁護士は良いでしょうが、若い人は可哀想です。

■博士、修士、学士の需要は読み間違えるな
博士号を取得したのに大学の教員になれず、かと言って企業にも就職出来ず、「ポスドク」と呼ばれている人が大勢います。米国では文系の博士号を持った会社員が大勢いますが、日本では稀です。これも企業文化の違いなので、一朝一夕には変わらないでしょう。それにもかかわらず文系博士課程の定員が増えているのは不思議です。これもグローバル・スタンダードの悪影響でなければ良いのですが・・・。修士に関しても、似たような状況かも知れません。

そして今、「大学無償化で高校を卒業した人は全員大学に進学させよう」といった話が出始めているようです。高卒で就職した方が幸せな人生を送れる人もいるでしょうし、大学より専門学校に行った方が幸せな人生を送れる人もいるでしょう。しかし、大学が定員を増やせば、彼らも大学に行きたいと思ってしまうかも知れません。彼等も法科大学院に進学した学生と同じ目に遭うのでしょうか。心配です。

【参考記事】
■少子高齢化による労働力不足で日本経済は黄金時代へ(塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49220219-20160809.html
■老後の生活は1億円必用だが、普通のサラリーマンは何とかなる (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49185650-20160728.html
■新人経済記者に「景気の見方」をアドバイスしてみた(塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/51731852-20170720.html
■とってもやさしい経済学 (塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12221168188.html
■国債暴落シミュレーション:Xデーのパニック(塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12199602230.html

塚崎公義 久留米大学商学部教授




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