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■20年前と変わらない「洗脳」型研修
大手製薬会社の新人研修中に男性社員が自殺し、労災認定された。新聞記事では、これを「ブラック研修」の一例として掲載しており、「人格否定」「洗脳」などの言葉が並んでいる。現在係争中なので、自殺の原因がその研修によるものかは明らかではないが、この手の研修は今に始まったものではない。ここには、ブラック企業での働き方、違法な長時間残業の凝縮された本質が垣間見える。

問題となったのは、上場会社など年間200社以上の研修を受託している会社である。企業からのオーダーメイドもあるので、どこまでが受託会社独自のブラック研修なのか、今のところ断定はできない。そこで、この類いの研修を20数年前に実際に受けた筆者の体験から問題点を探ってみたい。

当時はまだ、ホームページで事前に研修内容を知る由もなかった。ただ、おどろおどろしい(?)文言や研修風景が新聞広告面に踊り、お化け屋敷にでも入るような不安感があった。もっともお化け屋敷なら不安感よりも怖いもの見たさの期待感もあるが、この研修については自分が受けさせられるという嫌悪感しかなかった。

今回提訴された研修内容と当時自分が受けた研修内容では、どこが違うか確認できないが(いずれ裁判で明らかになるだろう)、記事にある「人格否定」「洗脳」「告白」「絶叫」「号泣」などの文言を見ると、方法や形式は変わっても、本質的なところは今も変わっていないと推察できる。

■研修という異常空間から脱け出せなくなる
以下、筆者が受けた研修を大雑把に書いてみる。

まずは研修における「誓い」の数箇条を暗記して一人ずつ大声で唱和する。ただ大声を出すのでは「合格」しない。絶叫するのである。それも声を嗄らして卒倒する手前ほどの絶叫でないと合格をもらえず、退室しては入室し、何回も繰り返す。そこはまさに絶叫部屋で、狭い室内に何人もの悲鳴に似た声が大反響する。ここをクリアしないと、次のステージに進めない。一人、また一人と合格していくと、自分だけ取り残されていくようで異常な孤立感と不安感に落とし入れられる。

最初のステージからしてこんな具合で、そんな研修なら拒絶すればいいではないかと思われるだろう。しかし、いったん研修に入ってからリタイアするとなると、「アイツはダメな落伍者」というレッテルが貼られるのが怖くて、なかなか拒絶できない。どこへ行ってもダメな奴という自意識が、ずっと付いて回るのを怖れてしまうのだ。

それに研修をやめて途中で帰っても、待っているのは上司の激しい叱責やいじめ、研修費の自腹払い(当時、2泊3日で1人当たり20~30万円)、昇給昇格のストップ、最悪は不当解雇などが頭をよぎり、とても研修回避という選択肢は出てこない。人間は集団で極限的な空間に閉じ込められると、そこから脱け出せない方向で思考回路が働く。脱出できない状況に追い詰められると、とにかくその場所内で上からの命令に従順に従うしかないという意識に支配される。

電通で違法な長時間残業のあげく、過労自殺した新入女子社員の話題が今でも絶えない。報道当時、そんなにキツイなら会社を辞めればよかったではないかと言った人がいた。その人は、閉塞状況に置かれた人間の意識がどのように変容させられ、壊れていくかということをまったく理解できない人だったのだろう。

■「人格否定」から「洗脳」へ
当時の研修の話に戻す。「絶叫」の次は、それこそ「人格否定」のステージである。過去の自分のある行いについて反省と悔悟の念を審査官の前で告白する。単に反省の弁を述べるだけでは到底、「恩赦」を受けられない。「自分は少年の頃、母親の深い愛情を理解もせず、母親を傷つける酷い言葉を吐いた」。このような言葉は、真摯に語られれば人は感銘を受けるものである。誰もが思い至るからだ。

しかしここにあっては、それでは合格できない。ただ語り、涙を流すだけでは通らない。「本当に心から反省し、悔いているのか!」 そういう叱責が刺さってくる。退室し、また審査を受ける。これの繰り返し。そのうち、合格した者は皆、顔をぐしゃぐしゃにして号泣し、身体をよじって部屋から出てくるのがわかる。ここでは人格などかなぐり捨てて、幼児のように泣きじゃくって、突っ伏して「すまなかった」の情念を最大限に表出しなければダメなのだ。

かくして、部屋のあちこちで「阿鼻叫喚」が起こる。肉親の裳で泣き叫ぶ者たちのような異様な光景である。こんな時を狙ってか、自社の社長が激励の視察に来たりすると、普段は敬遠しがちな社長に自ら進み寄って行き、「社長、ありがとうございます、頑張ります」などと自分でも思いがけない言葉が出て、知らずのうちに社長の両手にすがっている。驚きつつも、満足げに社長は一人一人にうなずいてみせる。今思うと、初日数時間で「洗脳」が進んでいたのだ。

ようやく「号泣」のステージを通過できると、夜間に外へ出て商店に飛び込み、トイレ掃除を申し出る「修行」だ。掃除後、修行のお礼と称してその場で大声で歌う。そのあと、ほかの店に飛び込み千円の報酬を得てくる「労働奉仕」などを経て、最終ステージに至る。最終ステージともなると、これまでの「絶叫」「号泣」「大声」「身もだえ」すべてを取り入れ、明日からの自分を「決意表明」して目前の審査官を感動させなければならない。

■ブラック研修とは虚構の世界である
晴れてすべてに合格しても、最後は「修了祝い」として、思い切り声を出して喜ぶのである。涙を流して、ワライダケに当たったように体中で笑い転げる。審査官の冷めた表情がつられて笑い出すまで、大声で笑い続ける(泣くよりも、面白くもないのに笑い続ける方がきついのだ)。

ところで最終ステージでは、研修中に「合格するコツ」を体得した者が少なからずいた。絶叫し、号泣し、身をよじって這いつくばり、人格を捨てて相手の懐に飛び込み、私はこれから悔悛して精進しますと切々と訴える、それを「演技」すればいいというわけだ。逆に言うと、演技でもいいから従順に服従する姿勢を見せて相手の中に入って行く――これが「合格」する者なのだと。研修は、いやこの研修をオーダーした会社は、そういう人間を優等生として取り入れていこうとしているのだから。

こういう研修は、一種の虚構の世界であるということがわかる。虚構である以上、脚本家(主催者)の望むように演技すれば優秀者とみなされる。それが虚構である証拠に、演技の世界が終わってしまえばいつもの日常と変わらず、日常に戻れば意識もまったく変わっていないことに気づく。あたかも数日間のアトラクションに参加して、絶叫し喚いて泣いて、アトラクションが終わると「あ~、面白かった」と言って、そのまま忘れてしまうのである(もっとも、実際の研修は自分にとって面白くもクソもなかったが)。

こんなものは、意識改革にもならない。しかし、初めて社会に出た新人ともなるとキャリアもできていないうえに、まだ「演技」で通るほど人生経験に長けていない。価値観も確立されていないゆえ、この種の研修を受ければ、「人格崩壊」や「洗脳」に容易につながりかねない。むろん、それが主催する側の目的ではあろうが。

■企業の体質が異常な研修として現れる
研修は期間が限られている。しかしその研修の主旨と同じものが企業の体質ならば、普段の業務においても、いつ終わるともわからない閉塞状況が続くと、電通社員の過労自殺と同じようなことが起きてもおかしくない。仮に短期間であっても、本人が今の閉塞感が半永久に続くのだと実感すると、絶望につながりかねないからだ。

研修の期間だけ乗り越えればいいという問題ではない。企業の体質そのものが研修に現れるものだ。企業自体がこのような研修を再考すべきである。特に若い人でこういう研修を受けざるをえなくなった時は、自身の精神的異変に気付かずにつぶれてしまうこともある。周りが早めに相談に乗り、労働相談窓口などに訴えることが必要だ。最悪の場合は、転職も考えた方がいい。名のある会社だからといって、人格を壊してまで居続ける理由はどこにもない。

【参考記事】
■受給資格期間が10年に短縮 絶対に損しない年金のもらい方 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/52129715-20170927.html
■転職貧乏で老後を枯れさせないために個人型DCを勧める理由 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49061150-20160714.html
■税の優遇だけでは語れない確定拠出年金のメリット(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49633037-20160929.html
■老後の年金格差をなくすために(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/51567662-20170628.html
■なぜ人は簡単に投資詐欺にあうのか (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/51339145-20170525.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表



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