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■価格はあってないようなもの
いつ買って、いつ売るか? 本来の価値がわかっていたら、あるいは将来の価値がわかれば、今の質問に簡単に答えられる。だが、そうなると儲かる人もいなければ、損する人もいなくなる。いったい価格は、どうやって決まるのか。本当は、価格はあってないようなものかもしれない。そこは投資も骨董集めもどこか似ている気がする。

テレビで長寿人気の鑑定番組がある。個人が所有する骨董品を鑑定専門家が評価する。書画・陶器・彫刻など骨董品の本当の価格(価値)を知りたい愛好家が人気を支えている。加えて当人の評価と鑑定評価の落差(時に天と地ほどある)が出た時の悲喜劇が見られるのも人気の元となっている。視聴者も自分の鑑定眼を試せるミステリー心理が湧く。もし骨董品がすべて適正価格だったら、この番組は成り立たないだろう。

純粋に骨董品を愛でるだけなら、ひたすら買い付けて、個人で骨董いじりをしていればいい。真贋を見極め、本物としての価値を求め、古美術品を鑑賞したいという心もあるだろう。あるいは自己の審美眼について、鑑定のお墨付きを得て満足したいという気持ちもあるはずだ。さらに、今売ったらいくらになるか、相場を知りたいという人も当然いる。このあたりから、純粋な「骨董愛」とは違って、どこか株式売買に似てくる。

登場する鑑定依頼人の中には、株式投資家のように家1軒分の購入額を骨董集めに注ぎ込んでいる人がしばしば登場する。実際に、収集品を納めるためだけの蔵を建てたという人も出てくる。これらの人が富裕であるかどうかは、あまり関係ない。投資家同様、潤沢な資産がある人もいれば、退職金や年金資産を注ぎ込んでいる人、借金してまで欲しいものを手に入れる人もいる。

■骨董収集と投資の違いは何か
骨董収集家の多くは自分が気に入ったものに出会うと、執拗に手に入れようとする。しかしひとたび掌中に入れると、骨董の魔力に憑かれ、すぐほかに目をくれてしまう。持っていること自体が得意なのであって、手に入れた品はそのまま箱に納められ蔵で眠ることもしばしばである。

この行動をどう理解したらいいか。人間には「保有効果」の心理がある。自分が保有している物は基本的に手離したがらない。手離すことに心理的抵抗感を持つ。買い手の何倍かの評価で自分の保有物に価値付けしている。それでいて保有物にあまり関心がなくなるというのは、保有するまでが最大の関心事だからだ。

では、収集家は骨董品にどう価値付けしているか。骨董収集家が「経済的価値」を優先的に求めているのではないことはわかる。収集家は、自己の審美眼で骨董品を買い求めている。だから言い値で買うこともあれば、値引いて買ったりする。なのに、その尺度の客観性を求めて鑑定依頼をしてくる。本人には絶対的な価値尺度がないからだ。いっぽう、投資価値は分かりやすい。価格は常に開示されていて、安く買って高く売れば利益が出る。それゆえ証券は買った瞬間から、損するか儲かるか、日々刻々気になり出す。

骨董収集と投資の心理の違いは、ここにある。収集家は買うまでが心理的高揚の絶頂にある。反対に、投資家は購入した直後から関心を持たざるを得なくなる。これは、前者は保有することに重点が置かれているのに対して、後者は売却することに重点が置かれているからである。

■正しい価格というものはない
骨董品は、本人が「100万円」と評価して買ったものが、鑑定では「1千円」の価値しかないということはよくある。視聴者(観客)は、むしろその落差に心理的快哉を覚える。当人の自信ありげな評価額と冷徹な鑑定評価額の差から起こる滑稽感を純粋に味わい、楽しんでいるのだ。

では、「100万円」で買ったものが「1千円」だったとして、この収集家は詐欺罪で訴えないのか。騙されたと恨むか、自分の目利きのなさを嘆くか、あるいは骨董屋の主人も鑑定素人だと諦めるか、それは収集家本人の自由である。なにしろそこには、存在しているようで存在していない「価格」というものがあるのだから、しようがない。むしろ、「財は最も高く評価した者に渡る」と言われたとおりだ。

ところが、「確実に儲かる」と言われて、1千円の価値しかない壺や絵画に、1000万円も2000万円もつぎこんで、結局その金が戻らなくなると、人は「騙された」と言い、詐欺罪で訴える。そこには儲かるか損するかの経済的価値しかないからだ。

この2つの違いは何か。どちらも損失であることは同じである。要は、その目的にある。収集が目的か、利殖が目的か。共通点があるとすれば、「価格」はあってないかの如く、ということになる。

そこである人は、「投資には価格がある」と言うだろう。株式には株価があるし、投資信託には基準価額がある。株価収益率(PER)や自己資本利益率(ROE)などは株価の主な指標となっている。だが、骨董には指標がない。株価は、いずれありうべき「価格」に収斂されるのだから、それを基準に買ったり売ったり持ち続ければ、おのずと儲かるはずだというわけである。

それなのに、儲かる人ばかりではないのはなぜだろうか。正しい価格があってもそのようにならないから、投資家は本当の価格を知りたがる。しかし、そんなものはない。価格は人の心によって変動するからである。「酔いどれの千鳥足」(ランダム・ウォーク)のように定まらない。そういう意味では、株式も壺や絵画と同じである。違うとすれば、骨董取集家が大損してもさほど悲壮感がないのは、保有のための収集を純粋に楽しんでいる過程にあるからで、その「楽しみ代」を享受できるからだろう。

■投資は保有効果でゆとりを持つ
問題は、投資家が骨董収集家のように楽しめるか、である。損したら笑ってもいられない。人は、怖いものをたびたび見すぎると、リスクを取りたがらなくなる。価格が上がったり、下がったりするのを毎日、あるいは何度も見ていると、その変動が気になって怖気てくる。

短期間と長期間のチャートを見せられた人とでは、同じ証券でも短期間で見た人の方が、リスクを過度に小さく取るという。株価というのは、こんなにも短期で乱高下するものだと思った人と、価格の山と谷が長期の間にならされ、なだらかな上昇線として見た人とでは、適正なリスクの取り方や投資の仕方もだいぶ違ってくる。運用専門家は別として、一般の投資家は頻繁に騰落を見すぎると、ポートフォリオの配分をやたらいじりたがるようになる。それほど頻繁に見ないようにするだけでも、投資する心はだいぶ楽になる(定期的なチェックは必要だが)。

証券は骨董品のように、買ったら蔵にしまいこんでおくというわけにはいかない。まして、損していいわけがない。しかし、売却するまでは保有しているわけだ。どちらも価格があってないようなものなら、骨董収集のように投資にも保有の楽しみがあってもいい。収集家は買ってしまった品に関心が全くなくなるわけではない。ある日その評価が気になりだすと、俄然また、その価格に執着心を抱く。だから鑑定番組に出たがるのだ。これも「保有効果」の心理である。

しょっちゅう相場を見ているとよけい価格が気に掛かり、適度のリスクも取りづらくなって投資も嫌になるだろう。そうやって価格を見るだけの運用は、その時間の機会分だけ、人生のほかの楽しみを犠牲にしていると言っていいのかもしれない。

【参考記事】
■今さら聞けない退職金 「今」もらうか、「後」でもらうか (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/52674052-20171226.html
■ノーベル経済学者に学ぶ年金のもらい方 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/52512579-20171126.html
■目先の損得にとらわれない これからの年金、早くもらう方法と多くもらう方法 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/41566040-20141026.html
■転職貧乏で老後を枯れさせないために個人型DCを勧める理由(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49061150-20160714.html
■税の優遇だけでは語れない確定拠出年金のメリット(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49633037-20160929.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表




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