野口俊晴 0528

■「最高」と「最後」の意味するもの
自分の生は、うまく終えることができるだろうか。どんなに財産や権力がある人でも思うことである。いわゆる「終活」が、ライフプランで大きなテーマの1つとされているゆえんである。そこでFPとして、ライフプランと関連の深い行動経済学における心理的な面からアプローチしてみたい。

行動経済学では「ピーク・エンドの法則」というものがある。
記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる(『ファスト・アンド・スロー』D・カーネマン)。
これは治療における患者の心理実験の結果であるが、人生の評価についてもあてはまる。

人生で最も強く印象に残っていることと、人生の終わりで最も強く受けた印象が、その人の人生の意味を決定づけるということだ。つまり、「最高」(ピーク)と「最後」(エンド)の記憶が人生を意味づける重要な要素だということである。

また、
人生の途中での苦痛の持続時間は、苦痛の総量の評価に影響を及ぼさない(同書)
とあるように、実体験の良し悪しがどれだけ続いたかは、最後に記憶される人生から見れば決定的ではないことになる。「苦痛」のところを「快楽」に置き換えても意味は通じる。このように見ると、人生の終(しま)い方によって人の幸福感は決まるように思える。

それにしても、この「法則」からすると、自分の人生を台無しにしている人がいかに多いことか。大臣、議員、官僚に始まり、スポーツ指導者、教育者、プロ野球選手、大相撲力士、五輪アスリート、芸能人、経営者―、このところのニュースをあげても、その顔がすぐ浮かびそうだ。「栄華」を極めたこれまでの人生、その高みから転落する。失言、暴言、妄言、虚言、不倫、セクハラ、パワハラ、わいせつ、暴力、隠蔽、虚偽、賭博、麻薬、ドーピング・・・などで。

■人生の味わいはディナー皿に譬えられる
ところで、不祥事を起こした人を見るにつけ、まったく人生の味わいとはディナー皿の料理のごとくである。皿に好物の料理がある。帰るまでのひととき、最後の料理を味わっているのに、3分の1も残したまま、その皿をさっとボーイが下げてしまったら、どんな気持ちだろう。「ちょっと待って」と言う間もなく。

それまで味わっていた極上の「人生」は、最後の数秒で台無しにしてしまうこともある。ボーイの仕業は故意なのか、客の混雑で片づけを急いだのか、それとも新米の不慣れなヘマなのか。どれをとっても楽しみを邪魔された本人には、人生で言えば事件、事故、偶発、企みのどれかに当てはまりそうに思えてくる。だが、結果的にはボーイのせいでなく、自分の何か至らぬ行為が呼び込んだことかもしれない。そもそも自分が大失策を犯したのに気づかずにいて、落ちかかったディナー皿をボーイが受け止め、下げてくれたのかもしれない。

順風満帆であった人でも、人生の後半で思い残すことがあったら、その生は幸福とは言えないものとなる。逆に質素であっても、恋人や家族や友人らとこの上ない楽しい食卓を終わりまで過ごせたのなら、直前につらい出来事があったとしても、その人の生は幸福で成功であったと言える。

残念ながら、せっかく高みまで昇りつめてきた人、人や世のためになりたいと志を持って辿り着いたはずの人たちの中には、ディナーで残り料理を最後まで味わうことなく終わるように、悔いの残る人生を終わらせる人がいる。簡単な言葉で言えば、「晩節を汚す」だ。ディナー皿の残りを幸せに完食できるか、皿を下げられて不愉快に怒鳴り散らすか、癇癪を起こしてテーブルをひっくり返すか、黙って諦めて帰るか。そこで人の真価が問われる。

■退職後をどう生きるかでお金の使い方が決まる
著名・有名人でなくても、一般の人でも同じである。これまで華やかなキャリアを積んできた人、不自由ない豊かな生活で退職までこぎつけてきた人、権限をふるってきた地位ある人。さて、最後のディナー皿で幸せな気分で終(しま)うことができるか。

幸せな生の終い方は、健康でお金があることが最低の条件となる。それに加えて愛する人、愛される人がいれば十分である。まずはお金のことはどうだろうか。誰もがあり余るお金を持てるわけではない。では、不幸(あるいは不便と言ってもいい)を感じないほどの最低限のお金は、自分にとっていくらあればいいだろうか、ということになる。老後に貧窮の不安も怖れもないだけのお金を準備できるためには、人生の早い時期、30代,40代からのキャリア形成と資産形成による以外にない。

例えばそのツールとして、ファイナンシャル・プランナーが個人向けアドバイスで使うキャッシュフロー表というものがある。その人の退職後の資産残高の予測を将来にわたって提示するのに有効である。だが、この分析自体はその目標へと到る本人の生き方を直接提示することはできない。ヒントは出せるが、老後をどのように生きるかは本人が決めることになる。その生き方次第で必要なお金の額も決まるし、お金の使い方も決まってくる。

だから、本当は自分がこの後の人生をどのように生きるかを、せめて定年退職年齢までには決まっていないと困るわけである。それほどの財産がなくても、暮らしていくぶんには心配がないほどに貯蓄があって、生き方がどうのよりも家族とのんびり過ごせればいい、それもその人の生き方である。「老後万歳!」と言えれば、これは成功した人生ではある。だが、すべての人がこのように生きられるわけではない。

■最後の帳尻で人生の価値は決まる
上述の「ピーク・エンドの法則」からすれば、「ピーク」と「エンド」の平均が人生を決めるというより、むしろ「エンド」そのもので大方の人生は決まるのではないかと思える。「ピーク」もよし「エンド」もよし、それなら言うことはない。が、「エンド」の評価によっては、それまでの「ピーク」の記憶さえ消し去ってしまう。さして良き「ピーク」の経験もない平凡な人生、むしろ不運や不幸、罪(法的でないにしろ)のほうが多かった人生でも、最後の生き方で幸福にも、より不幸にもなるということではないだろうか。

これは名声や財産をどれだけ築いたかという問題ではない。人は、それなりに人生後半の短からぬ残りの時間を持っている。何とか自分の人生の終い方の「帳尻合わせ」を考えることで、その人の生の価値が決まる気がする。ゆめゆめ、「あーあ、あそこまで昇りつめた人が、最後は地に堕ちるのか」などと、著名人や他人を貶めて心ひそかに快哉を叫んでも幸せにはなれない。

すでにある人々には、最後のディナー皿が用意されている。この皿の料理をじっくり味わって生きていけたらと思う。ボーイが、料理が残っているうちに皿を引き下げようとしたら、その時ははっきりと言わなければならない。

「私の料理の楽しみは、まだ終わっていない」―、と。

【参考記事】
■ペットの自然死に見る「いのち」の終わり方 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/53355074-20180425.html
■永遠に採用結果が通知されないという「神話」 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/53190923-20180327.html
■サラリーマン現役引退後の働き方はどこまでバラ色か (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/53025729-20180227.html
■鑑定番組に見る骨董収集家と投資家のこころ (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/52864156-20180130.html
■今さら聞けない退職金 「今」もらうか、「後」でもらうか (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/52674052-20171226.html


野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表

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