1f76abca38e5eb5e51e792b5e220c76b_s

資格を取得することは、キャリアを高めるための有効な1つの手段と言える。それでも難関資格を社会人になってから目指すのは相当な覚悟がいる。ましてや試験に集中するために退職でもしようものなら、いったん会社経歴を中断することにもなり、不合格の場合は履歴書欄に空白期間のみが残る。

社会人にとって、大学での学び直しや充電期間、海外留学などは目に見える結果が伴わないと経歴の中断となり、リスクとなりがちである。

しかし将来的に働く上限年齢が70歳以上になると、むしろ一度も経歴を中断せずに4~50年も働き続ける方に無理がある。

今の社会で履歴書の「空白」はどのように評価されるのか。また、履歴書に空白をつくる働き方とはどういうことか考えてみたい。

■履歴書の空白は評価されないのか?
筆者はかつて、経営系の資格試験を指導する会社にいた。当時の公認会計士試験(2次試験)は7科目一括受験、一括合否判定だった(現在は試験制度が異なっている)。したがって、能力の差というより気力・体力・時間の差が合否を分ける圧倒的な要素となっていた。

当然、受験生は時間に余裕のある学生が多く、社会人は少数だった。中には司法浪人のように会社を辞める人もいた。当時の合格体験記を思い出すと、社会人はある共通の言葉を使っている。「背水の陣」-。

安定した収入を捨て、失敗が許されない状況をつくる。一見、勇ましいようだが、30歳前後ともなると幼い子がいる人も珍しくない。収入が途絶え貯蓄を食いつぶすことはよほどの覚悟がいる。合格という結果が出れば報われるが、それにあずかれるのは10人に1~2人ほどであった。

結果が出なかった人の中には、のちに2~3年に及んだ空白期間のある履歴書で苦労した人もいる。履歴欄の空白を埋めたり端折って記入したということではない。再就職の面接でどう説明していいかわからなかったという。

正直に「国家資格の受験勉強のため会社を辞めた」と言えば良かったのか。確かに経済・法律系資格の勉強は、試験に受からなくても体系的に知識を学ぶことができるし、仕事にも役立つ。だが仕事に活かすための勉強なら、働きながら数カ月で足りると言われればそれまでだ。

会社側は受験勉強という2~3年の経歴の空白を評価の対象とするか。それが本人の危惧だったろう。面接にあたって「資格取得の勉強中」と言うのは新卒なら多少の好感度となるかもしれない。しかし社会人であれば「結果は?」と問われると、何も言えなくなる。結果のない時間は、会社側からすれば評価外のことである。

■セミリタイアは常識となるか
筆者自身は資格試験に携わっていたので、資格取得のための時間が無駄とは思っていない。ただ、結果の出なかった時間は、今の社会では評価されづらい。今後60歳あるいは65歳の形式的引退から10年以上も働く年数が延びる社会になると、どこかの時点でセミリタイアして働き方や人生の見直しが必要になってくると思える。

これまでは定年退職がそれに合わせた時機だった。働き続けるか、働くのをやめるか。お金があってもなくても、現在は多くの人が定年を過ぎても働いている。いったんリタイアしても、数カ月後にはまた働き始める人が多い。定年の段階で働き方や生き方について何かを感じ取るのだろう。定年後1~2年のブランクなら不都合なく受け入れられる時代だ。ただし、自分向きの仕事はかなり限られてくる。

問題は働き盛りの30~50代で、会社員がセミリタイアした後、うまく会社に復帰できるかということだ。数カ月の空白なら転職活動中と言えるが、何か目的のために計画的にセミリタイアしたらどうなるか。会社復帰の段階で経歴の空白はかなり不利となる。転職回数が増えるだけでも奇異に思われるのに、結果のない空白期間はそれこそ徒手空拳となり、低賃金の非正規雇用がその後ずっと続くことにもなりかねない。

■キャリアの断絶とならない工夫
寿命が今より延びればなおさら、一度もキャリアを中断しないとなると50年も働きづめになる。それによって自分の知識や技能は古くなって使い物にならなくなるし、なにより頭脳や精神が疲弊してしまう。それを補うための時機が定年とするならば、年齢的にもう遅いのである。

もはや1つの会社に40年も50年もいること自体が時代の流れに沿わなくなっている。知識や技能アップ、経歴の方向転換、学術・芸術活動への参加、執筆やボランティア活動、家族と過ごすための時間、一時的にせよそこにつぎ込む期間を「キャリアの断絶」としない社会の工夫があってもいい。

2~3年の履歴の空白期間など会社は普通のこととして評価を下さずに(プラスもマイナスもしない)、空白期間の前と後のキャリアをそのままつないでくれる寛容さであってほしい。

前述した資格試験のことで言えば、そもそもの前提として試験の難関さで人をふるうより、資格取得後のマーケットで能力差がふるいにかけられるという考えを社会全体で持ちたい。そういうことであれば社会人にも利がある。司法大学院制度などはもともとそういう創設理念があったはずだ。

資金面で言えば、退職年金の掛金積立は確定拠出年金(DC)では経歴を中断しても次に移った会社に引き継ぐことが可能となっている。それに加えて積立期間を現行60歳から70歳以上まで引き上げ、積立期間を増やすことも必要だ。これだけで当人の経歴空白による収入減、あるいは厚生年金加入中断による受給額減少の埋め合わせが十分であるかは別として、1つの支えとなる。

■定年での一息では遅い
もともと人間は、よほど好きな仕事でない限りぶっ続けで何年も働き続けることはできない。40年も50年も働きづめであることは、考えてみればすさまじいことだ。まして昨今のように、長時間労働が何何ヵ月も続いたりする会社があること自体が異常だ。

かつて55歳定年の時代では、55歳という年齢がちょうどいい人生の休みどきであった。今ではその歳でセミリタイアしようものなら、よほどの能力と経験がない限り、元の収入レベルでの会社復帰は難しい。そのこと自体が、定年まで経歴中断のない働き方をせざるをえずにきてしまった遠因かもしれない。

70歳以上になっても働く時代になると、定年前のどこかで一息二息入れることは普通になるだろう。定年時では、もはや遅い。世間では、定年はその人のキャリアの「中断」ではなく、「終了」とみなされてしまうからだ。

働く人が履歴書に空白をつくることを気にせずに、経歴を中断できるような時代はまもなく来ると思う。その時、その空白期間をどういうふうに生きるかが問われてくる。ただ無為に近いスカスカの空白では意味がなくなってしまう。30代、40代からの準備が欠かせなくなる。

【関連記事】
■サラリーマンは「75歳引退」で老後生活は安心できる。(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/54686302-20190104.html
■働き続ける人だけが貰える継続給付制度について(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/54502716-20181128.html
■主婦が離婚の年金分割で勘違いしやすいこと(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/54371711-20181101.html
■生命保険で死亡のリスクに備えるなら、離婚のリスクも心配したほうが良い(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/54220503-20181001.html
■人生100年の時代に、「長生きリスク」と共存する方法 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/54085555-20180904.html


野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表

【プロフィール】
個別の金融資産の推奨・販売をしないアドバイザリー型のFP。個人のリタイアメントプランを実現するための運用設計およびトータルなライフプランの提案。ほかに働き方、お金に関するアドバイスの提供。

この執筆者の記事一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加



関連コンテンツ

シェアーズカフェからのお知らせ
シェアーズカフェでは住宅・保険・投資・家計管理など、個人のお金に関するレッスン・相談・アドバイスを提供しています。SCOL編集長でFPの中嶋が直接指導します。
シェアーズカフェ・オンライン編集長の中嶋が士業・企業・専門家向けの執筆指導・ウェブコンサルティングを提供します。

執筆者プロフィール