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社会保険のパート社員への適用拡大が本格化する見通しです。
会社員らが加入する厚生年金の短時間労働者への適用拡大に向け議論してきた厚生労働省の懇談会は20日、強制適用の対象となる従業員規模の要件を「501人以上」から引き下げるべきだとの報告書を大筋でまとめた。
厚生年金、中小企業でも 短時間労働者への適用拡大へ 厚労省懇談会 毎日新聞 2019/09/21

現在の社会保険制度の枠組みでは、週の所定労働時間が20時間以上のパート社員を社会保険(健康保険+厚生年金)に加入させなければならないのは、従業員数501名以上の大企業に限られています。

厚生労働省はこの人数要件を撤廃し企業規模を問わず、週の所定労働時間が20時間以上となるパート社員には全面的に社会保険の加入を義務付ける方針です。

これに対しては、人件費の負担増を懸念する企業側、社会保険への加入により手取額が減少するパート社員側、双方から否定的な声も上がっています。

しかし筆者は、週20時間以上のパート社員の社会保険への加入は諸手を挙げて賛成、とまでは言わずとも、基本的には肯定的に受け止めるべきだと考えています。その理由は3つあります。

■国保・国民年金よりも保険料負担は軽い
第1の理由は、配偶者の社会保険上の被扶養者に留まることができる、いわゆる「130万円の壁」を収入が超えてしまった場合、個人で国民健康保険・国民年金に加入するよりは、社会保険の適用を受けたほうが、一般的にパート社員本人の保険料負担は小さくなるからです。

近年は最低賃金の引き上げや人手不足が顕著になっていることで、都市部を中心に時給が上昇傾向です。令和元年10月1日から東京都では最低賃金が1,000円の大台を突破して1,013円となりますが、実勢時給としては都内のコンビニや飲食店などの求人広告を見ても、1,100円台や1,200円台の時給で求人をしている事業所が目立ちます。

このような状況のもと、たとえば時給1,200円で働いて130万円の壁を超えないようにするためには、1ヶ月当たりの労働時間数を90時間程度(130万円÷12ヶ月÷1,200円)にまで抑えなければなりません。

イメージしやすいよう週当たりに換算して考えると「5時間×5日」とか「8時間×3日」などのシフトで勤務しているパート社員なら、少しでも残業をすると130万円の壁を超えます。今後さらに賃金相場が上昇したり本人の頑張りが認められて昇給すれば、勤務時間を増やさなくても130万円の壁を超えてしまう可能性は高いと言わざるを得ません。

週20時間台の勤務で130万円の壁を超えてしまった場合、配偶者や親などの扶養から外れますが、本人自身でも社会保険に加入できないため、いわば「社会保険制度の谷間」に落下してしまうことになります。そうなると受け皿としては、国民健康保険と国民年金に加入することになります。

130万円の壁を少し上回る月収12万円を例に、東京都千代田区で勤務・在住している前提(40歳未満で介護保険対象外)で、本人負担分の1ヶ月あたりの保険料を比較してみましょう(2019年9月現在)。

<社会保険加入の場合>
健康保険 5,841円
厚生年金 10,797円
合計 16,638円

<国保・国民年金加入の場合>
国民健康保険 12,415円
国民年金 16,410円
合計 28,825円

このように130万円の壁を超えてしまった場合、1ヶ月当たりの保険料は社会保険に加入していたほうが圧倒的に安くなるのです。その理由は、国保・国民年金は全額労働者本人が負担しますが、社会保険の場合は事業主が半額を福利厚生費として負担してくれているからです。

週20時間~30時間勤務で月度賃金の額面が10万円台の場合、保険料負担は社会保険加入のほうがおおむね有利です。

■社会保険は補償が充実している
第2の理由は、国保・国民年金に比べ社会保険に加入しているほうが、何かあったときの補償が充実しているということです。

老後に受給できる老齢年金はもちろんのこと、障害を負ってしまった場合の障害年金や、死亡をして遺族が残された場合の遺族年金も、厚生年金加入者のほうが支給額は大きくなります。

また、女性の労働者が出産のために休業する場合に産前6週間・産後8週間にわたり元の賃金の約3分の2が補償される出産手当金や、業務に起因しないケガや病気で働けなくなった場合に最長で1年6ヶ月間、元の賃金の約3分の2が補償される傷病手当金は健康保険だけに用意されている所得補償制度です。

ですから130万円の壁を超えてしまうならば社会保険に加入したほうが、保険料面だけでなく給付面でも恵まれているのです。

■「130万円の壁」は廃止・縮小される可能性がある
第3の理由は、法改正により「130万円の壁」自体が、将来的には廃止ないし縮小されてしまう可能性があるということです。

やや古い資料になりますが、過去に厚生労働省で討議された資料には、専業主婦(夫)や130万円の壁の範囲内で働く人に対して次のようなコメントが含まれています。

本人が保険料を負担せずに、基礎年金の給付を受けられるというのは、負担に応じて給付を受けるという社会保険の原則に反しているのではないか。

一定の所得を超えない方が有利であるとして、女性の就労に悪影響を与えているのではないか。

第3号被保険者制度導入前は、多数のサラリーマンの妻が任意加入をして、自分の老後の年金のために自ら保険料を納めており、これによって年金に対する自助努力や自己責任の意識が醸成されていたが、本制度の導入によりこのような意識が失われたのではないか。

※平成23年9月29日 第3回社会保障審議会年金部会資料 「第3号被保険者制度の見直しについて」より一部抜粋

有識者からこのような指摘があることや、少子高齢化により年金財政が逼迫化していることにより、保険料を納めずに将来の年金給付を受けられる「第3号被保険者(≒130万円の壁)」という制度が廃止ないし縮小される可能性は充分に考えられます。

また、筆者の私見になりますが、医療費の負担と給付のバランスから、健康保険においても被扶養配偶者がいる場合に被保険者が負担する保険料額が加算されたり、被扶養者の医療費が一律に3割負担ではなくなるような仕組みが導入される可能性も皆無ではないかもしれません。これも130万円の壁の縮小の1つの形と言えるでしょう。

近い将来に必ず「130万円の壁」が廃止されるとまでは断言できませんが、政府の大きな方針として、保険料を納めずに年金給付や医療給付を受けられる国民年金3号や、健康保険の被扶養者制度を廃止ないし縮小させ、社会保険に自ら加入し保険料を負担する人の割合を増加させていく形を目指していることは既定路線です。

早かれ遅かれ自分の保険料は自分で負担しなければならなくなるのならば、130万円の壁を意識しすぎて無理に労働時間を抑えるのではなく、キャリア形成やスキルアップの観点も踏まえて、今のうちから社会保険に加入する働き方を積極的に選ぶというのも、決して損をする考え方ではないということです。

■政府への注文
これらのような理由から、筆者は週20時間以上のパート社員への社会保険適用に対し、肯定的に受け止めてはいるものの、政府への注文もあります。

それは、新たに社会保険に加入することになるパート社員の保険料の負担が、なるべく小さくなるようにしてほしいということです。

実務上の温度感としては、週20時間~30時間程度で働くパート社員の方は、やはり、主婦が子供の学費や生活費の不足分を稼ぐためであったり、学生が生活費や学費を稼ぐためであったりと、将来の貯蓄というよりも目の前で必要となる収入を確保するために働いている傾向が強いという印象です。

将来の年金の増加や万が一のときの補償の充実も大切ですが、「今」の手取が減ると苦しいというパート社員の方は少なくありません。ですから、国民年金にも保険料の減免制度があるように、一定の条件を満たす場合には、本人負担分の社会保険料を免除するとか、社会保険料の負担を折半にこだわらず6:4とか7:3など、会社側に多く負担を求めるような制度設計も考えられます。

ただし、単純に本人の保険料負担を企業に付け替えるのではなく、経営体力に余力の小さい中小零細企業にも配慮し、社会保険料の負担を企業に多く求める分、税制で優遇したり、助成金を支給したりするなど、企業側へのサポート政策も重要になってくるでしょう。

■保険料の負担だけに頼らず幅広い施策を
最後に付言しておきますと、企業や現役世代の保険料の負担に頼るだけでは少子高齢化の中、年金制度や公的医療保険制度の維持はますます困難になっていきます。

社会保険加入対象者を増やすことや、保険料率のアップや給付の抑制といった消極策だけでなく、起業の促進、成長産業への労働力の移動などにより経済を活性化させ、その結果として株価を安定的に上昇させ、年金資産の市場運用益を確保するなど、幅広い角度から年金施策を見直していく必要があるということも忘れてはなりません。

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榊裕葵 ポライト社会保険労務士法人 マネージング・パートナー 特定社会保険労務士・CFP

【プロフィール】
上場企業の経営企画室等に約8年間勤務。独立後、ポライト社会保険労務士法人を設立。勤務時代の経験も生かしながら、経営分析に強い社労士として顧問先の支援や執筆活動に従事。近年はHRテック普及支援にも注力。

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