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東京を代表する観光名所である東京タワー。現在はコロナ禍で観光客が激減しているが、コロナ前は年間250万人前後の人が訪れていた。

東京タワーは電波塔として実用的な側面があることはよく知られている。だが、地上150メートルの展望台に神宮が祀られていることは意外と知られていない。

地上150メートルということで、東京23区で最も高い場所にある神社だ。一体なぜ、こんな高い場所に、わざわざ神社が造られたのか? 現代人の私たちからすると一見突飛にも思えるが、古来の文化や思想を踏まえると、こんな高い場所に神社が造られた必然的な理由が分かる。

当時の絵画資料等をもとに塔の歴史と東京タワーに神社が存在する理由を解説したい。

■タワー大神宮の誕生
東京タワーの正式名称は「日本電波塔」。関東地方にテレビやラジオの電波を送信する総合電波塔として昭和33年(1958年)に建てられた。

東京タワーはそれ以前、テレビ局ごとに建てていた電波塔を統合する役割を担うと同時に、東京のランドマークとして開業したが、当初、東京タワーの展望台に神社は存在しなかった。

開業から20年後、昭和52年(1977年)7月に創業20周年を記念して、東京タワーを運営する日本電波塔株式会社(現、株式会社TOKYO TOWER)により、事業の繁栄と来塔者の安全・健康を願って地上150メートルのメインデッキにタワー大神宮が造営された。東京23区で最も高い場所にある神社の誕生である。

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タワー大神宮(2021年8月筆者撮影)

タワー大神宮の祭神は日本神話に主神として登場する天照皇大神(あまてらすすおおみかみ)であり、伊勢神宮から招かれた御神霊が祀られている。

東京タワー近くの幸稲荷神社(さいわいいなりじんじゃ)の境外末社(けいがいまっしゃ・敷地外に設置された神社のこと)という位置づけで、タワー大神宮で販売されている絵馬は幸稲荷神社がお祓し奉納された絵馬は同神社に返納される。つまりタワー大神宮はレプリカではなくれっきとした神社として存在している。

現在の社は、令和元年7月に展望台大改修にあたり新たに造営された。見た目は新しいが神社自体は昭和52年から現在に至るまで脈々と受け継がれている。

創建の経緯としては前述のとおり幸稲荷神社の境外末社として作られた、という説明になるが、なぜあのような高い場所に神社が設けられたのか。

東京タワーに神社を祀る方法は他にいくらでもある。例えば東京タワーの敷地(地表)に設置することも可能で、むしろその方が自然かも知れない。わざわざ地上150メートルに神社を設けた理由は何か。これは古来の塔のあり方が影響していると考えられる。

■時代ごとに変化してきた塔のあり方
『広辞苑(第7版)』によれば「塔」は、高くそびえ立つ建造物の総称であると同時に、仏教建築の意味合いも持つ。サンスクリット語の「ストゥーパ」が語源で、インドから中国に伝わった際に「卒塔婆 (そとば) 」という漢字が当てられ、それが日本に伝わった。

本来は釈迦の骨や髪または遺物を安置するために設けられた建物で、インドでは土石を碗型に盛ったりレンガを積んだりして作られた。それが中国の高層建築と結びつき、日本へ伝わる過程で三重・五重の多層塔のかたちに変化したとされる。塔全体が釈迦の墓としての意味を持ち祈りの対象となった。

近代に入り、信仰の対象であった塔のあり方に変化が生まれる。明治20年代頃から、眺望を楽しむための展望施設の開業が各地で相次いだ。

東京の富士山縦覧場(ふじさんじゅうらんじょう)(明治20年・1887年)、愛宕塔(あたごとう)(明治22年・1889年)、凌雲閣(りょううんかく)(明治23年・1890年)などが挙げられる。

当時の人々は、観覧料を払って塔に登り、高みからの眺望を楽しんだ。小説家であり、紀行文作家でもあった田山花袋は、凌雲閣(通称:浅草十二階)について次のように述べている。

「実際、十二階の上の眺望は、天然の大パノラマである。是非一度は登つて見なければならないと思ふ」
(田山花袋『一日の行楽』1918年、博文館)

明治20年代の展望塔は、従来の仏教建築としての塔とは異なり、塔自体が祈りの対象となった訳ではない。あくまで眺望を楽しむ娯楽施設として作られたが、一方で完全に信仰と切り離された「世俗の塔」とも言い切れない。

■富士山縦覧場
明治20年(1887年)建てられた富士山縦覧場は、高さ32メートル程の木製の人造富士山であるが、開業当初は大変な人気を博した。人気の裏には、頂上からの眺望もさることながら、江戸時代から昭和初期にかけて庶民の間で広まった富士信仰の影響があった。

当時の富士山縦覧場の様子を伝える資料には「男女のあそび場」と記されており、山頂までの道のりには、胎内巡りや経ヶ嶽(きょうがたけ)など、富士信仰の巡礼スポットが設けられていた。

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(部分拡大図)
(出典:「東京浅草公園地第六区 富士山縦覧場」明治20年(1887年)、木版刷物、早稲田大学図書館蔵)

胎内巡りとは、仏教の儀式の一つで、暗闇の中を仏の胎内に見立て、その場所を通り抜けることによって穢れをはらい、新しく生まれ変わることが出来ると考えられている。

また、経ヶ嶽とは日蓮宗(法華宗)の開祖である日蓮が1269年に富士登山に伴い法華経を埋納した伝説の残る場所である。

富士山縦覧場はハリボテの人造の山だが、ここに登ることによって霊験あらたかな富士登山の擬似体験を得られる。そのため客は単に眺望を楽しむだけではなく、同時に富士信仰のご利益にあやかりたいという想いもあったと考えられる。

■愛宕塔
明治22年(1889年)12月に愛宕山上に建設された愛宕塔にも、信仰との結びつきが見出せる。

愛宕山には愛宕権現を祀った愛宕神社がある。慶長8年(1603年)に徳川家康の命により祀られ、以降、防火の神として庶民の間で広く信仰された。

当時の資料によると、愛宕塔は文明開化の時流に乗った洋風の塔で、八角形柱状のレンガ造りの高塔であった。

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(出典:「東京名所のうち愛宕山愛宕塔」、明治中期、木版刷物、江戸東京博物館蔵)

塔の外観から信仰との結びつきを見出すことは難しいが、その立地から愛宕塔に登った人の大半は愛宕神社に立ち寄ったと思われる。そのため、愛宕塔に登って眺望を楽しむことと、愛宕詣はいわばセットであった。

上述した富士山縦覧場も愛宕塔も、いずれも主な目的は娯楽だったが、同時に人々の信仰とも結びついており、聖と俗とが共存する場所であった。

■聖と俗の両義性
江戸東京博物館の学芸員である岩城紀子は、近代の塔に見られる聖と俗の両義性について、次のように述べている。

「日本の近代化は、特に文化的精神的側面でその過程を見ると、前近代との決定的な決別ということのないまま、ゆるやかに、ひたすらゆるやかに、進んでいったのであるが、近代の塔の誕生においても同様に、仏塔の持つ聖性や伝統性といったものを、内在させつつ、近代性を獲得した」
(岩城紀子「塔にまつわるもろもろの雑感 そしてわずかばかりの、試論」『ザ・タワー 年と塔の物語』、2012年、江戸東京博物館展覧会カタログ)

また、岩城は、仏塔の持つ「聖性」が、現代にも引き継がれていることを指摘している。

「その後、時代がうつり、高度経済成長の時期に、東京と大阪に建てられた新しい時代の塔が、いずれもその頂上に、いつの間にか「神」を祀るようになったことは、この「聖性」の残像ではないか」
(参考:同上)

「東京と大阪に建てられた新しい時代の塔」とは、東京タワーと大阪の通天閣を指し、前者にはタワー大神宮が祀られ、後者には幸福の神であるビリケンさんが祀られている。近代の塔だけではなく、現代の塔にも依然として聖と俗の両義性が見出せるのである。

■高い場所に祀られた神社
東京タワーに神社が設けられているのも、近代の塔に見られる聖と俗の両義性を受け継いでいるからと考えられるが、さらに踏み込んで言及すると、わざわざ地上150メートルに神社が祀られている理由は、他にもあるのではないだろうか。そこで、高い場所と信仰とが結びついた要因として山岳信仰について考えてみたい。

山岳信仰とは山に宗教的意味を与えて崇拝の対象とする信仰のことである。日本では、古くから神道において山に対して畏怖・畏敬の念を抱き、山は神や精霊が宿る場所とされている。また、仏教においても世界の中心に須弥山(しゅみせん)があるとされ、天界に最も近い聖なる山と考えられている。

信仰の対象となった山の代表例が富士山であり、北アルプス北部に位置する立山や北陸地方に位置する白山などもよく知られている。古の人々はこれらの山々を遠くから仰ぎ見て崇拝していたが、江戸時代頃から明治にかけて、信仰として山を登る「登拝」が流行した。そして、いつしか天界と地上をつなぐ山の頂に神社が祀られるようになった。登山に行った際、山頂に鎮座する神社や祠を目にした経験がある人も多いのではないだろうか。

東京タワーの展望台に祀られた神社は、登拝の目的地である山頂に神社を祀るのと同じ発想だと考えられる。東京タワー自体が崇拝の対象となった訳ではないが、非日常的な高さに聖性を見出す日本人の精神性が、神社創建の動機につながったのではないだろうか。

ただ、同時代に建設された全ての高塔が信仰と結びついている訳ではない。名古屋テレビ塔(昭和29年・1954年)や京都タワー(昭和39年・1964年)など神社が存在しない塔も多い。

東京タワーの展望台に神社が設けられた理由は山岳信仰の影響だけではなく、東京タワーならではの要因もあると考えられる。

■東京の裏鬼門
その要因として考えられるのが立地だ。東京タワーがある芝公園一帯は、増上寺や芝大神宮などの寺社仏閣が多い。この辺りは東京の裏鬼門として邪気が通るのを防ぎ、災いを避けるために重要な役割を果たしてきた歴史がある。

徳川家康は江戸の都市整備にあたり、江戸城の鬼門となる方角(東北)に寛永寺を造営し、反対側の裏鬼門となる方角(南西)には増上寺を築いた。前述した愛宕神社も、徳川家康が創建した神社で、芝公園近隣に位置する。

こうした歴史的背景から、東京タワーは現代でもパワースポットとして知られているし、展望台から富士山が見えるとさらに運気が増すとも言われている。

このように、東京タワーは塔がもつ聖性、山岳信仰の影響、東京の裏鬼門としての立地など、人々の信仰と結びつく条件が揃っていた。これらの条件が相まって、タワー大神宮の創建に至ったと考えられる。

■塔と信仰の関係
塔に見られる聖と俗の両義性のうち「聖」の部分に対する認識は、時代とともに薄れ、現代人にとっては東京タワーの展望台に神社があるのは突飛な発想のように思える。

しかし、こうして塔の変遷を振り返って見ると、印象が変わってくるのではないだろうか。高層建築が珍しかった時代、天界に向かって高くそびえ立つ塔は、例えそれが娯楽施設であったとしても、信仰と結びついたものが多かった。

これらの展望塔に登ることで、信仰のために山を登る「登拝」の擬似体験を簡易に得ると共にご利益を期待した。東京タワーの展望台は、いわば「登拝」の目的地にあたり、その場所に神社が設けられるのはごく自然のことと言える。

東京タワーを訪れる際は、タワー大神宮に目を向けて、塔の歴史を思い返すと、眺望だけではなく、違った角度からの楽しみが味わえるかも知れない。

【参考文献】
■前田愛『都市空間のなかの文学』1992年、筑摩書房(ちくま学芸文庫)

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八重田季江 アートエデュケーター

【プロフィール】
関西大学大学院、日本美術史修士課程修了。文学修士。第19回鹿島美術財団賞、日本・東洋美術部門受賞。現在は小さな子供連れでも気軽にアートを楽しめるワークショップ『移動美術館』を無料で企画・運営中。一児の母。旧姓、谿季江(たにときえ)。

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