会議室s
元旦に放送されたテレビ朝日の番組内で竹中平蔵氏が「同一労働同一賃金を実現しようとするなら正社員をなくすべき」という主旨の発言をしたことで、Web界隈を中心に大いに盛り上がっています。一物一価を目標とするなら規制のない効率的な市場を目指すべきというのは経済学の基本中の基本だと思うのですが、そうした竹中氏の真意は一般にはなかなか理解されず、批判の声も多いようです。

例えば、ハフィントンポストの記事には次のような反対意見が紹介されていました。

・正社員をなくせとの主張は、専門職や技術者をなくせと言っているのに等しい。
・セーフティネットがないので、正社員をなくせば内需崩壊どころじゃないレベルで景気が悪化するだろう。
・正社員が増えないと少子化が促される。
・正社員が納める税金が減少するため高齢化社会を支えられなくなる。
・99%が派遣社員となり、1%の一部の経営層や大株主だけ大儲けし、あとは死屍累々だろう。

これらの意見のベースとなっているのは、正社員制度をなくすとみんなが劣悪な待遇の非正規労働者になってしまうという不安感じゃないかと思うんですが、これは多分に竹中氏が派遣会社の利害関係者であるという事実が醸し出す警戒感や不信感による部分もあるのだろうと思います。ゼネコンの社長が「もっと公共事業を」って言うのと同じように思われてしまっては、せっかくいいことを言ってるだけにもったいないですね。

ここでは正社員をなくすとどうなるのかということを冷静に考えてみたいのですが、その前にまず、そもそも「正社員採用」という雇用契約がいったいどんなものなのか、ファイナンス論的な見方で検討してみたいと思います。

■「正社員採用」という名のスワップ取引(ややテクニカル)
スワップ取引とは、合意された条件に基づき将来の一定期間にわたりキャッシュフローを交換する金融取引を言いますが、ここでは企業が支払う年々逓増するキャッシュフローと正社員による日々の労働とを交換する取引を意味することとします。但し、正社員のスワップ契約は正社員本人と企業の間の一対一の契約ではなく、正社員集団と企業の間の「団体契約」になります。

正社員は企業に対して終身雇用を求めていますので、長期の資金を調達する場合に高いコストを支払う必要があるのと同様に、正社員側から企業に対して高いコストを支払うことになります。このコストは明示的には発生していませんが、企業が正社員に対して支払うキャッシュフローから知らないうちに控除されています。

ですので、正社員はじつは本人が企業に対して提供している労働の対価よりも、「終身雇用オプション」の分だけ少ないキャッシュフローしか得ていないことになります。

ここで「んっ?」と思われる方もいるのではないでしょうか。実際の労働の対価よりも少ないキャッシュフローしかもらえない正社員がどうして同じような仕事をしている非正規社員よりも収入が多いのでしょうか?

じつはこのスワップ契約には、終身雇用オプションとは異なるもう一つの重要なオプションが含まれていたのです。

それが企業側が持つ「正社員を好きなだけ働かせられるオプション」です。このオプションは予めキャッシュフローにプレミアム(=オプションのコスト)が組み込まれている場合と、行使する際に追加的なプレミアムを支払う場合があります。プレミアムを支払わずに行使しようとする企業が、いわゆる「ブラック企業」です。

個々の正社員の本来の労働の価値はそれぞれ異なるはずですので、正社員全体と企業との間の団体契約に基づいて交換されるキャッシュフローは、正社員自らの実際のオプション調整後の労働の対価よりも少ない場合もあれば多い場合もあります。

■「正社員採用」取引をキャンセルするとどうなるか
「正社員をなくす」というのは、正社員集団と企業とのスワップ取引をキャンセルした上で、適宜必要な雇用契約を元の正社員やその他の非正規労働者、失業者等と結び直す一連の変化を意味します。

この一連の変化には、次のようなものを含みます。
(1)「終身雇用オプション」と「正社員を好きなだけ働かせられるオプション」の撤廃。
(2)労働の価値に見合う形での元正社員間の再配分。
(3)労働の価値に見合う形での元正社員と元非正規社員との間の再配分。
(4)かつて「正社員を好きなだけ働かせられるオプション」がカバーしていた分の元失業者の雇用。
(5)労働の価値に見合う形での企業間の労働力の再配分。その結果としてのブラック企業の淘汰。

現状と比較した場合の変化の方向を矢印で表すと、概ね次のようになります。

若年または優秀な正社員↑↑   優秀でない中高年の正社員↓↓
優秀な非正規社員↑↑↑      その他の非正規社員↑↑
失業者↑↑↑↑            ブラック企業の元社員↑↑↑(転職による)
企業→(短期)↑↑(長期)      ブラック企業↓↓↓↓↓

社会全体としては、格差是正の絶大な効果により経済状況は短期的にも長期的にも上向くでしょう。

■変化を受け入れる勇気が必要
これは私の想像でしかありませんが、竹中氏の発言に反対していた人の多くは、じつは彼が主張する変化を受け入れた場合に状況が改善するはずの、現在の硬直した雇用システムの中で割を食っている人たちなのではないでしょうか。不安定な立場の人ほど現状からの変化を怖く感じるというのは、ある意味当然だと思います。

簡単ではないでしょうが、そうした人たちが変化を受け入れ、前に進む勇気をもってくれたときこそ、日本の未来が明るく開けるときなのだと思っています。

雇用や格差、ファイナンス的な考え方等については、以下の記事も参考にしてください。
■一年で3回転職したアラフォー女子、年収倍増は幸運だけが理由じゃなかった。
http://sharescafe.net/42650114-20141230.html
■借金返済のために風俗店で働く女子学生の問題が、本当は奨学金のせいではない明らかな理由。
http://sharescafe.net/42555365-20141225.html
■有馬記念から考える「にっちもさっちもいかない状況」の克服方法。
http://sharescafe.net/42605108-20141227.html
■ジャパンカップG1の時給は60億円!? 馬主という仕事の意外すぎる真実。
http://sharescafe.net/42224151-20141206.html
■恒例の年初のご祝儀相場、今年は「微妙」と考える根拠。
http://sharescafe.net/42677785-20150102.html

■まとめ
・竹中平蔵氏はけっこういいことを言っています。
・ですが、派遣会社の利害関係者なので、説得力がイマイチです。
・正社員制度のキモは、「終身雇用オプション」と「正社員を好きなだけ働かせられるオプション」、それから「団体契約」です。
・オプションと団体契約をなくせば、再配分が促され正規-非正規間格差等が是正されます。
・あまり働かずにいい給料もらっていた一部の正社員とブラック企業は涙目です。
・不安に思う人が多いのは当然ですが、少しずつでもこの方向に変わって行くでしょう。

本田康博 証券アナリスト・馬主・個人投資家

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