凱旋門
1月13日付のスポーツ紙や一部一般紙の見出しにテンションが上がった競馬ファンはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。報道によれば、日本馬が出走する海外主要レースの馬券を日本国内でも買えるよう競馬法を一部改正する案が通常国会に提出されるようです。

法案改正に向けて音頭をとるのが自民党競馬推進議員連盟会長の橋本聖子参院議員です。昨年12月に行われた都内のイベントで「海外で活躍する日本馬の馬券を買えるよう整備を進めたい」と発言されています。

ご自身の五輪でのご活躍やスケート連盟会長としてのご活躍で広く知られる橋本聖子議員ですが、実は彼女のご尊父は競馬史に名を残す名馬マルゼンスキーを生産された競馬界の功労者でした。橋本聖子議員もまた、ご尊父とは違った形で競馬界に貢献されようとしているのです。

■海外競馬の馬券を国内で販売する方法
報道によれば、想定される改正案では、出走馬の実績などを基準に農林水産大臣が指定したレースについて、JRAや地方競馬の主催者(以下、「JRA等」とする)が「海外の主催者に代わって」馬券を発売できるようにするとのことです。

「海外の主催者に代わって」という表現から類推されるのは、国内レースの販売のようにJRA等が胴元(主催者)となって売上から寺銭(主催者取り分)を控除する方式ではなく、JRA等はあくまでも販売代理人であり、販売額に比例した一定の手数料を受け取ることになるということです。ちなみに、寺銭の呼び名は、江戸時代に、取締りの緩い寺社等で違法な博打を開帳して、その見返りに売上の一部を寺社等に納めていたことに由来します。

日本経済新聞で長年競馬番をされている野元記者は、「凱旋門賞のほかドバイ、香港の国際競走などが発売対象」と考えられているようですが、売上の主体が海外の主催者ということになれば、馬券の販売がイスラム法に抵触するためもともと馬券販売がないドバイのレースは対象外ということになりそうです。

また、「他国の売り上げと合算せず、国内だけでオッズが算出される見通し」(同記者)とのことですので、胴元が自らオッズ(倍率)を設定する「ブックメーキング方式」ではなく、券種(単勝・複勝など)ごとの売上総額から一定割合を控除した金額を各券種の的中者に購入額に応じて分配する「パリミュチュエル方式」を、国内販売分単独で適用する形になるようです。JRA等が通常馬券を販売しているのと同じ方式です。

■日本の馬券売上のインパクト
主催者の売上と国内の売上を合算しない理由の第一は技術的なものだと思いますが、仮に技術的な制約がなかったとしても、おそらく合算は行われません。というのも、総額で世界全体の約3分の1を占める日本市場の馬券売上は、合算した場合の主催者市場への影響が大きすぎるのです。日本での馬券売上に大いに期待する他国の競馬主催者も、日本人に自国市場を滅茶苦茶にされるのは御免蒙りたいというわけです。

パリミュチュエル方式での売上規模を比較すると、日本は、オーストラリアやフランス、米国、香港の3倍前後、シンガポールの約30倍、競馬発祥の地イギリスの約60倍になります。イギリスは日本に次ぐ馬券大国ですが、売上のほとんどがブックメーキング方式です。これだけ売上規模が違う状態で合算してしまうと、現地の適正オッズが日本からの資金流入で大きく歪められてしまうのは避けられません。

実際、2006年に日本馬ディープインパクトが欧州競馬の最高峰「凱旋門賞」に出走したときは、ブックメーカーが単勝3~4倍を提示する一方で、パリミュチュエル方式の場内オッズは単勝1.5倍と大きく乖離しました。このとき複勝は、最終的に1.4倍とかろうじて単勝より低くなりましたが、締切直前まで2倍以上で推移し、単勝よりも高い状態が続くまさに異常な状況でした。競馬界のみならず一般の方も巻き込んだディープインパクト・ブームによって、凱旋門賞当日のロンシャン競馬場は半分以上日本人で埋め尽くされたような印象でした。

では、国内売上だけでオッズを算出しさえすれば、特に問題はないのでしょうか?

■国内だけで算出されるオッズの問題
日本の売上だけで算出すると、ほとんどの人が日本馬への応援をこめて馬券を買うので、確実に日本馬偏重なオッズになるはずです。ディープインパクトや凱旋門賞二年連続二着だったオルフェーヴルのような人気も実力も超一流の馬なら、単勝100円の元返しとなることも十分考えられます。

そのような状況では普通に予想する向きにはチャンスが大きいはずなのですが、海外のレースでは日本の競馬ファンにとって予想に必要な情報が十分に提供されないため、普段通りに予想するのはほぼ無理です。日本の競馬新聞というのは良くできていて、小さなスペースに実に多くの情報が詰まっています。海外にも競馬新聞はありますが、情報はスカスカ。日本で言えば、JRAのホームページで分かる程度の情報しか載っていません。というか、レース前の馬体重の測定がない分、さらに情報量が少ないかもしれません。

海外の競馬新聞で日本のものよりも充実している部分は、おそらく、馬主の氏名が代表馬主だけではなく共有馬主まで記載される点くらいでしょう。当然、これは予想にはまったく使えません。私のような共有主体の零細馬主がちょっぴり嬉しく思うくらいなものです。

このように日本馬への偏重と予想の難しさから、日本での売上だけで算出したオッズが現地の適正なオッズと比べて大きく異なる状況が発生すると想定されます。この場合、現地と日本の両方で馬券を購入できる人がいると、オッズ差で利ザヤを稼ぐアービトラージ(裁定取引)が可能になります。例えば、日本では日本馬以外の単勝、現地では日本馬の単勝を買う等、比較的簡単にアービトラージが成立しえます。

ただ、そうした同一馬券でのオッズ差の存在自体は、市場の歪みを表す現象に過ぎません。問題なのは、そのオッズ差が、海外の反社会的勢力が日本をマネーロンダリング(資金洗浄)の場にしようとするインセンティブになりうるのでは、という懸念です。

■馬券購入によるマネーロンダリングの基本構造
馬券購入が欧米等でマネーロンダリングの手段として用いられると指摘する文献(注)によると、競馬を介したもっとも一般的なマネーロンダリングの方法は「単に馬券を購入するだけ」です。各買い目の購入金額をオッズに概ね反比例させて購入することで、どの買い目が当たってもほぼ同じだけの払戻し、すなわち控除率を差し引いた割合の払い戻しを受けることができます。このとき、払い戻し額と当たった買い目の購入額の差が、マネーロンダリングによって表に出された金額になります。他の外れた馬券は最初からなかったことにしてしまうわけですね。

では、簡単な例で見てみましょう。

控除率をJRAの単勝馬券と同じ約20%、一番人気2倍、二番人気2.5倍、三番人気2.8倍とします。これを4000ドル、3200ドル、2800ドルと配分して購入すると、当たった場合の払戻額はそれぞれ8000ドルまたはそれに近い金額になります。仮に二番人気が勝ったとすると、払い戻しが8000ドルですので、購入資金3200ドルとの差額4800ドルが洗浄されたことになります。

このとき、当たり馬券の購入資金3200ドルは元々の表のマネーとして説明され、残りの買い目の購入資金6800ドルが今回洗浄された分の洗浄前の裏金ということになります。残存率は約7割です。このケースでは、一番人気または三番人気が勝った場合も、残存率は7割前後となっています。

このように、馬券購入によるマネーロンダリングは、そのコストとして何割か目減りすることを通常許容しています。お金は使えて初めて価値が生まれます。公にできずに使えない6800ドルよりは、好きなように使える4800ドルのほうが価値が高いのです。

■日本を舞台にしたマネーロンダリングの脅威は?
とは言え、洗浄後の残存率は高ければ高いほうが良いわけです。残存率を高めるために、ジョッキーを脅すなどしてわざと負けるような不正行為を行わせる悪質な手段も考えられます。文献によれば、イギリスではジョッキーの10人に1人が反社会的勢力のために不正に手を染めたことがあるという証言があるそうです。

実際には、わざわざ遠い日本でマネーロンダリングを行うことはないのかもしれません。しかし、少しでも高い残存率をと考えるような海外の反社会的勢力が、日本での海外馬券の販売によって生じる市場の歪みを利用しようとするわけがないと考えるのは、楽観的すぎるかもしれません。

日本の人気馬が出走する海外競馬の馬券が購入できるようになるというのは、競馬ファンにとって非常に魅力的な話です。

ですが、世界のどの国よりも公正競馬の確保に力を注いでいる日本が、マネーロンダリングのような不正行為の温床になるのは絶対に避けなければなりません。JRAや関連省庁には、一層の注意と適切な対応を徹底していただきたいと思います。

橋本聖子センセイ、よろしくお願いいたします。

競馬やリスクの考え方等については、以下の記事も参考にしてください。
■ジャパンカップG1の時給は60億円!? 馬主という仕事の意外すぎる真実。
http://sharescafe.net/42224151-20141206.html
■有馬記念から考える「にっちもさっちもいかない状況」の克服方法。
http://sharescafe.net/42605108-20141227.html
■借金返済のために風俗店で働く女子学生の問題が、本当は奨学金のせいではない明らかな理由。
http://sharescafe.net/42555365-20141225.html
■話題沸騰「正社員制度をなくしたらどうなるか問題」を、ファイナンス論的に考えてみた。
http://sharescafe.net/42781228-20150108.html
■一年で3回転職したアラフォー女子、年収倍増は幸運だけが理由じゃなかった。
http://sharescafe.net/42650114-20141230.html

■まとめ
・橋本聖子議員の肝いりで、海外競馬の日本での馬券販売が近く実現するかもしれません。
・日本の馬券売上は世界でダントツ、インパクト大です。
・日本での売上単独でのオッズ計算となるため、一物二価となります。
・そのため、リスクなしで利ザヤがとれる可能性があります。
・一方、馬券購入でマネーロンダリングする方法があります。
・市場の歪みは、資金洗浄のターゲットになりやすい状況を生みます。
・JRAと関係省庁には、公正競馬の確保に一層励んでいただきたいと思います。

(注) M. E. Beare and S. Schneider, 2007, “Money laundering in Canada: Chasing dirty and dangerous dollars”, University of Toronto Press Inc.

本田康博 証券アナリスト・馬主・個人投資家

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