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■仕事に「家庭」が入る曖昧なフレーズ
会社の求人募集欄を見ていると、時々「家族的な職場」であることを売りにしている会社があります。「家族的」であることを優先して職を求める人はそういないと思いますが、失意の下に会社を辞めて転職する人などはこういうフレーズに敏感に反応するかもしれません。

ところで、この「家族的」という意味が曖昧でよくわかりません。それに、何か違和感を覚えるのは、仕事の中に「家庭」が入り込んでいることからくるものでしょう。限られた求人掲載スペースの中でことさらに謳うことでしょうか。それよりも、雇用条件や待遇で売りにすることはないのでしょうか。「家族的」ということが、家庭的で暖かい雰囲気(どうも曖昧な表現になってしまいますが)の職場という意味なら、険悪で今にも喧嘩が勃発しそうな、あるいは専制君主のような社長や上司の下でびくびくしながら働くよりも、安心して働ける方がいいに決まっています。特別に記載することではありません。それでも記載するのであれば、その「家族的」であることの具体的な売りを記述してほしいものです。

確かに、大手会社の企画・開発部門などでは、社内に「遊びごころ」の場を設け、社員同士が自由にコミュニケーションをとりながら、新しい発想を引き出すという所があるにはあります。成果を求められる社員にとっては、家族感覚的な、あるいは友人感覚的な雰囲気の「家庭空間(時間)」があったほうがいいのはわかります。最近は大手でなくても、勤務中に「おやつタイム」をつくり、プライベートなコミュニケーションをとりあって、生産性を上げている会社もあるようです

■「家族的」であることの代償
問題は、「家族的」といっても、今書いたような会社ばかりではないということです。大手でも中小の会社でも、若くて体力のある人に無理してでも働いてもらいたい、長時間勤務もいとわず、とにかく死ぬ気で会社のために働いてくれる人を望みがちです。特に小さな会社ほど、従業員に経営者と同じ気持ちで働いてもらおうという気持ちが湧いてくるのは仕方ありません。それでなければ、経営がやっていけないからです。 そのような会社は、一致団結して頑張ってもらうためにも「家族的」であるということは大きな力となります。

それもあってか、「家族的」な職場であることを強調したがる経営者がいます。従業員は、本当はそんなことを優先的に求めてはいないはずです。たとえば、社内で昼食やおやつを一緒にとってコミュニケーションを取ったり、誕生会をやったり、社員で食事会、和気あいあいとプライベートも遠慮なく家族のように話し合って仕事をしていける――、もちろん、そうでないよりそのほうがいいでしょう。しかし従業員は、精神的に働きやすい職場環境であることはもちろん、労働や能力に見合った報酬、モチベーションが高められ自分が成長できる会社を求めていると思います。

もし「家族的」であることが、低賃金、長時間勤務、しかも残業代なし、休日手当なし、代休・有休なしのどれかの代償であるなら、誰も「家族的」であることを望みたくありません。「深夜まで頑張ってくれているから」「休日も出勤してくれているから」と夜食を出してもらうよりも、きちんと残業代をつけるか、休日手当を与えるか、一分でも早く帰宅できるよう会社の仕組みを変えてほしいと従業員は切に思うでしょう。私は、ことさら特別な事例を言っているわけではありません。私の実体験でも、そういう会社はまわりにいくつかあります。それは大手も中小も、上場も非上場も関係ありません。

■長時間会社にいる従業員は「家族」同様だ
折しも、「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」(いわゆる「残業代ゼロ法案」)が可決しそうです。これが可決すると、専門職と一般職の境界、年収の制限など中小の会社にどこまでなし崩し的になるか懸念されます。これは、時間給的勤務がいいか、脱時間給的勤務がいいかという議論以前に、法定どおりに労働条件が守られるかの問題です。今の裁量労働制など中小会社でも拡大解釈され、届け出や従業員との合意もなく「あなたは専門職ということになるから」と一方的に通知して、平均賃金以下の「年俸制」を言い渡し、実質は大部分が一般職の業務と変わりなく、残業代なしの長時間勤務を強いているところがあります。そういう会社が、ことさら「家族的」と謳っている場合があるわけです。

そういう経営者は、夜遅くまで頑張っている従業員や休日出勤している従業員、すなわち長時間会社にいる(へばりつかされている)従業員を「家族的」に遇しがちです。経営者がそういう者に愛着を持つこと自体、悪いことではありません。問題は法定外に働かせていないかどうか、ということです。
―― 家族同様なんだから、昼も夜もずっと一緒に働いてもらって何が悪い。
という理屈なのでしょうか。何度も言いますが、「家族的」であることが悪いのではありません。法定外の勤務が常態化していることが問題なのです。

■経営者と従業員は本質的に別物だ
中小の会社はきれいごとを言っていたら潰れてしまう、とよく聞きます。青臭いこと言ってたら経営が成り立たない、と。だからといって、経営者自ら頑張っているのだから、従業員も家族同様に頑張らないのはおかしいというのは、どこか間違っています。もちろん、従業員は従業員なりに、自分の持ち場で頑張らなくてはいけない。しかし、経営者と同じレベルで苦労して頑張れというのは、本質的に無理な要求なのです。それは、経営者と従業員の立場を「家族的」にしてごっちゃにしているから言えることです。

いくら社員が少なく「家族的」だと言っても、本質的に経営者と従業員はまったく異なる存在であることを忘れてはいけません。法律的にも、経営的にも、経済的にも根本的に別物であるのに、経営者が「家族的」であることを装って法定外の勤務を求めているとしたら(逆に、法定外の勤務を求めざるを得ないから「家族的」であることを装っているとしたら)、それこそ経営者の甘えであり、欺瞞です。

基本的に、家族的な暖かい環境で働けることは、ぎすぎすした環境で働くことに比べ歓迎すべきことです。ただし、それはあくまで、従業員の勤務環境が最低限守られていることを前提とします。ことさらに「家族的」を求人票に掲げるほどのことなのか。「家族的」であることが必ずしもブラックな労働の裏返しとは限りませんが、「家族的」以前に法令どおりに雇用条件や勤務環境が調っているか。しかし、そこの部分は求人票だけでは実態は分かりにくいところです。

せめて「家族的」とあったら、きちんとその説明があるかどうかを見た方が簡単でしょう。その内容が求職者にとって、モチベーションやインセンティブが高まるような項目なのか。そこのチェックが大事です。会社は家庭ではない。会社は働いて正当に報酬を得るところなのです。

【参考記事】
■贈与しまくりで破滅 バルザックの「ゴリオ」的人生は現代も起こりうるか 野口俊晴
http://sharescafe.net/43562407-20150303.html
■相続税対策に保険商品は要らない? 野口俊晴
http://www.tfics.jp/
■目先の損得にとらわれない これからの年金、早くもらう方法と多くもらう方法  野口俊晴
http://sharescafe.net/41566040-20141026.html
■雇用延長はあてにしない 定年前に現役より稼げるフリーの「契約請負人」で働こう  野口俊晴
http://sharescafe.net/42517207-20141221.html
■年俸制の契約社員でも未払残業代を堂々と取り戻せる法  野口俊晴
http://sharescafe.net/42292529-20141208.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー  TFICS(ティーフィクス)代表 


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