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メタボという言葉がほとんど日常用語になったように、体脂肪率を気にしている人は多いのではないでしょうか。実際、世界中で体脂肪率の上昇によるリスクが指摘されています。高い体脂肪率は心不全や脳梗塞のリスクを高める訳ですね。

特に米国では、国民の肥満率が高く、OECDの2014年の統計(OECD obesity update 2014)によると、肥満に分類される成人の割合は、日本が男性3.8%、女性3.4%で、OECD諸国でも最も低い部類に入るのに対して、米国では、男性36.6%、女性33.9%で世界ワーストワンに位置付けられてしまいます。

オバマケアの導入もあって、体脂肪率の低減や、脂質の摂取の抑制は国民的課題になっています。その中でも、トランス脂肪酸という、マーガリンやショートニングを作る際に出来てしまう脂肪酸の危険性が90年代から指摘されています。世界保健機構(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)合同の食品規格委員会であるコーデックス委員会では、総エネルギー摂取量のうち、トランス脂肪酸からの摂取量を1%以下に抑えることが提言されています*1 。

トランス脂肪酸は、善玉コレステロールを減らし、悪玉コレステロールを増やすため、上述の心不全や脳梗塞のリスクが高まります。特に動物性脂質の摂取量が多い米国では、動物性脂肪にもトランス脂肪酸が含まれるため、せめて工業用に生成されるトランス脂肪酸を抑制し、摂取をできるだけ抑えるというのが国を挙げての課題となっています。

一昨年も話題になっていましたが、今年は遂にトランス脂肪、全面排除という見出しが紙面に躍るようになりました「トランス脂肪を全面排除へ、2018年までに 米FDA」。

当然、日本はどうするかが問題になるでしょう。実際、米国で規制されたのに日本ではやらなくて大丈夫かという懸念を持つ人は多いと思います「アメリカで規制される「トランス脂肪酸」、日本でも規制すべきか?」。

当然、これに関して日本でも独自の分析が行われています。そして、本稿でも、*2 「米国のトランス脂肪酸“禁止” 日本が振り回される必要はない - 松永和紀 (科学ジャーナリスト))」に基本的に賛同し、規制までは必要はないと考えています。しかし、食品安全委員会の議論さえ、日本ではあまり広く知られておらず、しかも専門的で分かりにくいという印象を受けないでしょうか?また、日本ではトランス脂肪酸に関する成分表示義務さえもありませんが、それはあまりにも野放しだと言えないでしょうか。

米国では、規制案を早い段階から公開し、広くパブリックコメントで意見を集め、規制に反映していきます。また、その際に、科学的な根拠を示すだけでなく、社会的なインパクトについても、定量的に分析し、分かりやすい数値で公開しようと努力しています。こういったプロセスは我が国でもまだまだ見習うべきものです。本稿では、その米国の規制制定のプロセスについて解説し、我が国でも成分表示の義務化は最低限すべきであると提案したいと思います。

※本稿の参考文献は文末にまとめました。

■学ぶべきは米国の規制作成プロセス
上述のように、社会的なインパクトの客観的な分析や普及啓発といった面では、米国の規制作成プロセスが大変参考になります。こういった、規制のインパクトを事前に評価する制度を、規制の事前評価といい、米国では、規制影響分析(Regulatory Impact Analysis)や経済分析(Economic Analysis)と言います。

米国での規制影響分析は30年以上の歴史があるのに対して、我が国では導入はとても遅く、2007年に漸く本格実施になりました。しかしながら、米国に比べて導入が20年以上遅れており、まだまだ発展途上と言わざるをえません。

米国では、90年代から当該規制の導入の準備を行ってきました。そして、最も重要なことは、こういった規制の決定に際して、その効果、つまりコスト・ベネフィットに関する定量的な分析が行われ、しかも早期に一般に公開されるのです。筆者は日本で規制の事前評価を導入する際の準備のため、英米の制度を2000年以降研究してきました。その成果をふまえ、米国の社会的なインパクトに関する分析について説明したいと思います。

なお、実際には米国の規制も「トランス脂肪を全面排除へ」という見出しとは相当かけ離れていて、米国の規制の対象は、トランス脂肪酸(trans fat)全てではなく、工業用に生成する際にトランス脂肪酸が多く含まれてしまう部分水素添加油脂(Partially Hydrogenated Oils、マーガリンやショートニング等の原料)です。更に、規制の内容は、使用禁止ではなく、部分水素添加油脂を、3年後にGRASの対象から外すというものです。また、新規にFDAに承認申請し認められれば、使用可能です。(*3 食品安全委員会 食品に含まれるトランス脂肪酸の食品健康影響評価の状況について)。

GRAS(グラス)は、アメリカ食品医薬品局(FDA)より食品添加物に与えられる安全基準合格証( Generally Recognized As Safe(訳:一般に安全と認められる)の頭字語)ですから、使用禁止というより安全基準合格証を貰えないというものです。更に動物の油に含まれるトランス脂肪酸等は規制の対象外で、マーガリンやショートニング等の部分水素添加油脂のみです。

■米国の規制作成における費用便益分析(コスト・ベネフィットアナリシス)
部分水素添加油脂をGRASから除外するという規制はFDA(米国厚生省食品医薬品局、DEPARTMENT OF HEALTH AND HUMAN SERVICES Food and Drug Administration)が担当しています。既に、90年代には、成分表示に関する規制の中で、部分水素添加油脂の含有量を表示するかどうかが検討され、1999年には成分表示を義務付ける規制として提案され、2006年から実施されています*4。

また、その際に部分水素添加油脂を使用することで、心不全などが発生することによる社会的な費用も明示的に分析されました。上述の規制影響分析では、規制の社会的なインパクトやそもそもの規制の必要性、そして、代替案との検討などを多角的に分析しています*5。

2013年に出された部分水素添加油脂をGRAS(グラス)から除外する規制案*6や最終案*7では、ここで行われた分析が踏襲されています。ただし、ここでは「経済分析」(Economic Analysis)と記載されています。最終案では、規制のコスト・ベネフィットについて、推計誤差が相当程度あることも断った上で、以下のようにまとめられています。

「定量化された費用の現在価値(NPV) (20年分、表2)は、62億ドルと推定されます(ただし90%の信頼区間は 28億ドルから110億ドルです)。便益については 現在価値(20年分)が400億ドルと推計されますが、90%の信頼区間が110億ドルから4400億ドルです。便益から費用を引いた純便益の現在価値は1300億ドル、90%の信頼区間が50億ドルから4300億ドル(20年分)です。(著者訳)」

We estimate the net present value (NPV) (over 20 years; Table 2) of quantified costs of this action to be $6.2 billion, with a 90 percent confidence interval of $2.8 billion to $11 billion. We estimate the net present value of 20 years of benefits to be $140 billion, with a 90 percent confidence interval of $11 billion to $440 billion. Expected NPV of 20 years of net benefits (benefits reduced by quantified costs) are $130 billion, with a 90 percent confidence interval of $5 billion to $430 billion.


こういった社会的インパクトが予測誤差の範囲も含めて、定量的に提示されるのが米国の規制影響分析の特徴です。日本でも科学的な論証は事前の調査や独立行政法人の各研究所、審議会などで行われ、その点はある程度安心できると思います。米国の場合、それに加えて、社会的にどのようなインパクトを持つかについても、しっかりと検証できているのです。

上記のような推計には、部分水素添加油脂を使用することで心不全になった際の治療費用を推計する必要があります。更に、そのために働くことができなくなったことによる機会費用も算定しなければなりません。加えて、仮に心不全などで亡くなった場合、それによる社会的な費用、つまり、人命の損失も、金銭的に算定しなければなりません。そのために、様々な観点から、数多くの研究が必要となります。実際に、米国では多くの研究成果の蓄積があります。そういった研究成果をもとに、上記のような費用便益の推計が可能となるのです(具体的な研究について知りたい方は*8を参照してください)。

残念ながら、日本では社会的なインパクトを推計するための研究もその蓄積も極めて乏しいです。それは、そのような数字を冷静に受け止める社会的な素地が乏しかったことも一因でしょう。また、現実問題として、例えば、保険会社がそういったリスクを算定する際にも、データにアクセスできない、健康保険組合が個人情報保護を理由にデータを提供しない、社会的なインパクトをはかるための包括的なデータが存在しないといった様々な障害があります。

また、こういった規制案を早い段階から公開し、わかりやすく説明して来なかったことも、分析の蓄積が少なかった理由として挙げられます。それに対して、米国の規制制定は公開性(transparency)を最も重視します。

■透明性の確保からパブリックインボルブメントへ
次に、米国の規制制定プロセスは *9に詳述されていますが、米国の規制作成の特徴として、規制案や規制影響分析が草稿の段階から公開され、パブリックコメントで広く情報を収集する仕組みになっています。

また、重要な規制は時代の変遷と共に修正され、十数年をかけて作成されます。規制案の説明も明確かつ客観的に行われています。結果として、国民の間にも、問題が周知され、分析の論点に関する理解も広く浸透します。トランス脂肪酸に対する人体への悪影響についても、既に90年代から指摘され、分析も行われてきました*4*5。

それは、規制作成の過程で、多くの国民の声が反映され、規制案が改善されていきます。こういった、政策決定への市民参画を「パブリックインボルブメント(Public Involvement)」といいます。

前述のように、米国は肥満にあたる成人の比率も高く、摂取量も高いことを前提に規制が作られています。それに対して、わが国では肥満率も摂取量も米国よりはるかに低く、こういった規制が導入される前提が違うのも事実です。前述の消費者安全委員会の評価書*3では、以下のように、わが国ではWHOの前述の摂取量の基準値よりも低く、規制は不要であるという結論が出ています。

<トランス脂肪酸の平均摂取量(エネルギー比)※>
  ○アメリカ:2.2%   ○日本:0.3% 
  ※食品安全委員会「食品中に含まれるトランス脂肪酸」評価書より*10


しかし、そういった議論は省庁の審議会だけで終始し、なかなか一般には明らかにされる機会が少ないのが現状です。そのため、どうしても専門家の中での議論となるため、広い目でチェックする状況にないことが懸念されます。実際、トランス脂肪酸については議論されているものの、米国で問題になっている部分水素添加油脂の危険性については、十分議論されているとは言い難いです。

前述のように、米国ではトランス脂肪酸の規制が強化され、既に2006年には成分表示が義務化されています。にもかかわらず日本では成分表示義務がありません。

また、WHOの目安は食品から得られるエネルギーのうち、トランス脂肪酸からの摂取を1%以下に抑えることを目安にしています。これは1日2g以下に相当します。

しかし、トランス脂肪酸の含有率はお食品で大きく異なっています。100g中、マーガリンでは0.9g〜12.3g、ショートニングで1.2g〜31.2g、ビスケットでは0.2〜7.3gという差があるのです。平均では日本人の摂取量が少なくても、これらのうち、多く含む食品を知らず知らずに摂取していると、WHOの健康基準を超えてしまうかもしれません。

しかし、成分表示義務がない我が国では、それを包括的に知る方法がないのです。一部の企業はweb pageで含有量を公開している場合はありますが、全てではありません。やはり、成分表示義務は我が国でも必要ではないでしょうか。

更に、日本では特定の利害関係者の意見が反映されやすいという問題も存在します。議論が特定の委員会内においてのみ行われ、パブリックコメントなど広く一般に意見を募集するプロセスが十分反映されているとは言いがたいこと、決定プロセス自体は非公開で、結論が決まった直後に初めて公開されるといった問題が指摘されます。その結果、既得権益者の影響がどうしても強くなります。上記の成分表示義務が我が国ではないことも、こういった市民参画から程遠い状態の結果なのです。

前述のように、規制の事前評価は、2007年以降我が国でも義務付けされ、総務省の政策評価のホームページ(規制の事前評価の点検結果)に評価書が掲載され、誰でもアクセスできるようになっています。しかし、最終的な評価書は掲載されているものの、規制案や分析案については、ほとんど公開されず、仮に公開されたとしても、規制の決定の直前になってしまっています。結果として、規制の改善につながらないのです。

更に、議員立法以外の法律や政令は分析が必要ですが、省令以下の法令は事前評価が義務ではありません。そのため、薬のインターネットの販売を禁止する規制も、極めて重要な規制であったにもかかわらず、省令のため、規制の事前評価が行われませんでした。

以上、社会的なインパクトの分析の蓄積の不十分、評価書自体の公表が極めて遅いこと、経済的なインパクトが大きな、重要な規制なのに、分析がなかったりと問題点が依然多いのが実情です。こういった問題が解消され、より規制作成が望ましい方向に向かうことを期待したいと思います。米国の結果を真似するのではなく、プロセスから学んで欲しいものです。

そして、広く客観的な議論によって政策を改善するという方向から、せめて、部分水素添加油脂の成分表示義務については最低限、国民の観点から検討していきたいものです。

中泉拓也 関東学院大学 経済学部教授

*1 農林水産省「トランス脂肪酸について国際的に行われている取り組み」 http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_kokusai/

*2「米国のトランス脂肪酸“禁止” 日本が振り回される必要はない - 松永和紀 (科学ジャーナリスト) http://blogos.com/article/118823/l

*3 消費者安全委員会「食品に含まれるトランス脂肪酸の食品健康影響評価の状況について」http://www.fsc.go.jp/osirase/trans_fat.html

*4 4 FR 62746 - Food Labeling: Trans Fatty Acids in Nutrition Labeling, Nutrient Content Claims, and Health Claims, http://www.gpo.gov/fdsys/granule/FR-1999-11-17/99-29537

*5 FDA 3[2003] Food Labeling: Food Labeling; Trans Fatty Acids in Nutrition Labeling; Consumer Research to Consider Nutrient Content and Health Claims and Possible Footnote or Disclosure Statements; Final Rule and Proposed Rule Jul 14, 2003 http://www.fda.gov/OHRMS/DOCKETS/98fr/03-17525.htm

*6 FDA,[2013] "Tentative Determination Regarding Partially Hydrogenated Oils; Request for Comments and for Scientific Data and Information" https://www.federalregister.gov/articles/2013/11/08/2013-26854/tentative-determination-regarding-partially-hydrogenated-oils-request-for-comments-and-for#h-15

*7 FDA,[2015], "Final Determination Regarding Partially Hydrogenated Oils" https://www.federalregister.gov/articles/2015/06/17/2015-14883/final-determination-regarding-partially-hydrogenated-oils (参考:農水省HP 食用の部分水素添加油脂の食品への使用規制にあたっての米国の摂取量推定やコスト・ベネフィット推計
http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_kokusai/usa_estimate.html)

*8


*9


*10 消費者庁ホームページ「トランス脂肪酸に関する情報」http://www.caa.go.jp/foods/index5.html

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