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骨董屋の交渉術
骨董品の鑑定番組が受ける要素として、しばしば評価額の落差の意外さにあります。極端な例では、1000万円で買った骨董品の評価額が数千円なんてこともあります。鑑定依頼人が数十年の骨董収集歴を持つ「目利き」であっても、こういうことは往々にしてあるのです。

ここに、「売り手」と「買い手」の心理構造が読み取れます。骨董屋(市)では、値札が付いていない骨董品があります。店主が売りたい品です。値札がないことで、店主は売り手として交渉の主導権を握ることができます。相手より先に金額を提示できるからです。「これ、いくら?」と聞かれれば、相手の顔を見て「10万円」とか「100万円」と答えるわけです。

値札がついている品でもそこから交渉が始まりますが、値がなければ、相手の心理を計って先に金額を提示することが重要なのです。もちろん鑑定力も必要ですが、骨董品は往々にしてそんなものは問題外になるようです。鑑定価格の落差を見れば、それがわかります。こうした心理構造は、ビジネス上の交渉術にも応用できそうです。

面談で給与を少しでも多くしてもらうには
新卒入社や定年再就職では、賃金の交渉などまずありえません。30代なら給与アップも可能ですが、40代、50代ではなかなか難しいものがあります。それでも、それなりのキャリアを持つ人であれば、転職の際に賃金の交渉の場はあります。仮に給与額が募集要項に記載されている場合でも、個別に希望給与を聞かれたりします。そういう場合の有利な交渉術を考えてみようと思います。

「給与はいくら希望しますか?」
と聞かれて、
「御社の給与規定に従います」
と答えるのは、無難ですが交渉になっていません。おそらくあなたは、採用されたいと思うばかりに応募先の会社に合わせるとしか言いようがないのでしょう。それに、募集要項に「当社規定による」とか「年齢・経験を考慮して優遇」とあれば、なおさら希望額など言う余地はないと思うわけです。

では、なぜ面接官はあなたにそれを尋ねるのでしょう? それは、あなたの「従順さ」を確かめること以外にありません。給与は会社で決められた通りに払いますが、それでいいですね、と念を押しているのです。規定額以上に希望する者がいれば、後々、会社にとっては厄介な人間(いい意味、悪い意味含めて)を雇い入れることになります。規定より多くの収入を望むなら、それに見合う経歴と実績をきちんとアピールしてください、ということです。それなしで、もっと給料がほしい、では相手にされません。

「前職保証」の給与はないと思え
「前職ではこれだけもらっていたので、その金額を保証していただきたい」
これもまた、無難な方法でしょう。まず、確定した金額をこちらから提示しているからです。それに、前職給与が最低保証されるなら、転職のリスクがかなり減ります。

といっても、専門的なキャリアの持ち主なら大企業から大企業への転職も可能ですが、大企業からの転職の場合は、おおかた今までよりも中規模か小規模の企業への転職となります。そうなると、大企業並みの給与はまず望めません。別の稿でも述べましたが(「大企業との賃金差に捉われない賢い生き方」)、社員の給与は、その半分以上の要素において本人の能力というよりは、所属する会社規模によって決まります。大企業で1000万円以上貰う能力を維持していても、中規模の会社に入れば2~3割(場合によっては4~5割)の収入減も覚悟しなければなりません。

その辺を見極めることもできないで「前職保証額」を希望しても、「高給取りだったんですね」と一蹴されてしまいます。かえって、市場価値の分析ができない人物だと思われても仕方ありません。

なぜ先に金額を提示するか
交渉の場では、自分の能力の市場価値と相手先の企業価値を分析した上で、先に希望額を明確に提示することが重要です。こちらが言った希望額がそのまま通らないとわかっていてもです。

なぜ先に、こちらから金額を言い出すか。答えは簡単です。交渉は、その金額から始まるからです。根拠のない金額提示は論外ですが、先に出された金額が双方の意識にバー(bar)として掛かります。行動経済学ではこのことを「アンカリング(錨)効果」といいます。最初に意識に引っ掛かった数字が、そのあとの行動に影響してくるのです。

採用側が仮に「年収800万円」で人を雇いたいと考えていたとします。そこで、面接官から「給与の希望額はありますか」と聞かれたら、こちらから「1000万円を希望します」と先に提示することです。繰り返しになりますが、「会社としてはどのくらいをお考えですか?」などと、間違っても言い返さない方がいいでしょう。なぜなら、給与規定があるのにわざわざ先方から希望額を尋ねてくれているのです。この場合、双方歩み寄りで「では900万円で」と、落ち着くことは十分ありうるのです。つまり相手は、「1000万円」のbarからどこまで下げられるかを考えた末に、当初予定の「800万円」より高い「買い物」をしてもいいとするのです。

「この人は、前職でそれだけの実績を上げたのだし、その金額が相場なのだろうから」と面接官は「100万円」の上乗せは仕方ないと認めるでしょう。逆にこちらは当初の「1000万円」より「100万円」安い「売り物」になるわけですが、交渉の場では当初の金額でおさまることはめったにないわけですから、それを見込んだ金額を最初に出せばいいのです。

機先を制されないために
一方、面接官が先に「給与は700万円でどうですか」と切り出してきたら、どうでしょう? 当方は「この会社ではこの程度が限界なのか」とその金額がbarとして掛かり、「まあ、750万円であれば」と弱気の希望額を出すことになってしまいます。面接官はそこで手を差し出してあなたと握手することでしょう。相手は「800万円」ともくろんでいたわけですから、まんまと機先を制したわけです。

こういう状況で、面接官があまりにこちらの希望とかけ離れた金額を提示してきたら、あからさまとは言いませんが、しばし黙りこんで思慮するふりをするか、今から席を立つぞという雰囲気を醸すのも一法です(本当に席を立ったら、その場で決裂してしまいますが)。

「そんなことしたら、せっかく採用されそうなのに、台無しでは?」
と思われるかもしれません。大丈夫。ここまで来ている交渉段階では、相手も最終候補を絞っているわけだし、簡単に採用候補者を見切るのはリスクでもあるでしょう。もちろん、こちらも、相手先が受け入れ可能な上限給与額はいくらかを前もって冷静に分析しておくことが必要です。

臆せずに交渉を
先の例では「900万円」、後の例では「750万円」と、「150万円」の収入差が出るわけです。これは、いかに最初の提示が重要かという例です。同じようなことは、誰でも経験があるかと思います。給与交渉に限らずビジネス上の契約や面談の場では、臆することなく交渉するのが大事になります。中高年は特に、遠慮している場合ではないのです。

話は最初に戻りますが、骨董屋の店主も、本当は骨董の価値がわかっていないのかもしれません。自分が仕入れてきた骨董品の価格に意識が引っ掛かっていて、その仕入額が実際の価値だと思い込んでいることだって十分ありえます。

(※この稿では、金額については意図的に分かりやすい数字で例示しています。)


【参考記事】
■誰もが「投資家」になる時代 ~ お任せ運用では「貯蓄」体質は抜けられない  野口俊晴
http://sharescafe.net/45242687-20150623.html
■「家族的」な会社のホワイトに見えるブラックな部分  野口俊晴
http://sharescafe.net/44029506-20150331.html
■相続税対策に保険商品は要らない? 野口俊晴
http://www.tfics.jp/ブログ-new-street/
■目先の損得にとらわれない これからの年金、早くもらう方法と多くもらう方法  野口俊晴
http://sharescafe.net/41566040-20141026.html
■年俸制の契約社員でも未払残業代を堂々と取り戻せる法  野口俊晴
http://sharescafe.net/42292529-20141208.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー  TFICS(ティーフィクス)代表 

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