組体操

大阪の中学で起きた組体操事故は、学校行事のハイライトとしての組体操の存在に対し、大きな批判と廃止の声を呼びました。過剰なまでに危険やリスクを回避する昨今、骨折など怪我のリスクが高いであろう組体操だけが生き残っているのはなぜでしょう。そこには「感動こそすべて」「感動をありがとう」という、感動の押し売りともいえる安易な風潮が作用していると考えます。ビジネスにおける感動マーケティングと、教育における安易な感動絶対主義ともよべる風潮は、混同すべきではありません。

■テレビ離れ
テレビ視聴率の低下が止まりません。NHK放送文化研究所の調査「日本人とテレビ 2015」によれば、テレビ視聴時間について「30分~2時間」「ほとんど、まったく見ない」と答えた人の割合が、5年前と比較していずれも増加しており、「30分~2時間」という短時間視聴の割合が増えたのは、調査開始以来初めてとのこと。インターネット隆興と対照に、一家団らん・茶の間でテレビとか、一人暮らしでもテレビだけはつけっぱなしというライフスタイルが、もはや大きく変容しているのが影響しているのでしょう。

スマホ普及でテレビからネットへの奔流が加速し、特に若者のテレビ離れがいわれています。ネット上では「テレビがつまらない」「テレビを見ない・持っていない」という声が多く上がります。逆に独居老人など、テレビだけが社会との接点であるという層もいますが、マーケティング上は、一番アクティブな層(=消費してくれる層)へのコミュニケーションが図れなければその媒体価値は減ります。

さまざまなしがらみや規制から、かつてのような番組作りができなくなった制作側の事情もわかります。批判におびえて斬新な番組つくりは難しく、結果として無難な、焼き直しのような番組が増えたことは、昨今のテレビ離れに大きく影響していると感じます。


■コンテンツとしての「感動」
番組制作への揶揄として、手っ取り早い視聴率確保には「子供と動物」(&食べ物??)というのは、昔から聞く言葉です。幼児や小動物が何かを成し遂げるところはそれだけで感動を呼びます。ちなみにナチの宣伝相ゲッペルスは、子供や動物を可愛がる姿をメディアに流す演出を考えたといわれますが、テレビ業界だけに限らず、「感動」は便利なコンテンツです。

特にネット炎上などのリスクをを取ってまで斬新なコンテンツを取り上げるのは無理でしょう。マーケティング担当者は専業の芸術家やクリエイターではなく、あくまで会社員です。リスクを減らしつつ、注目を集めるのは職務上必然です。私がブランドマネージャーだった時も、自分の趣味嗜好とは全く関係なく、当時人気だったアイドルの番組にCMを付けるように広告代理店に強く依頼していました。「感動」は、リスクがなく注目を集めることができる点で便利なコンテンツといえます。こうした社会的環境が感動絶対主義の土壌となったといえると思います。

一方TED2014においては、自身が車いすで生活しているコメディアン/ジャーナリストが、社会が障害者を感動対象として祭り上げる風潮を批判をしました。障害者が感動を与えるための存在として扱われることへの疑問は重く響きます。


■感動のインフレと組体操
むやみに感動に走るマーケティングには賛同できませんが、その担当者の立場には理解と同情を禁じ得ません。しかしこの風潮は専門家であるマスコミやマーケティングだけでなく、一般社会にも広がっています。組体操で生徒がけがをした中学の校長によれば、「(組体操の)ピラミッドが立った時の喜びを味わわせたかった」とのことです。

感動はインフレします。最初は幼児が立つだけで感激していても、次は歩く、次は走る、乗り物に乗る、難しい道や高度な乗り物に乗る・・・・と、主人公の枷(かせ)を徐々に上げることで、オーディエンスの注目を引っ張るというのは、ストーリー作りの定法だとシナリオ学校で習いました。

組体操はそのまま段数という誰が見ても即理解できるステップを引き上げることで、この目論見を達成することが可能です。また完成時の見た目の良さも、他の地味な競技に比べ素材としては抜群のオイシサです。「誰でもわかる」「見た目の良さ」、まるでテレビ番組作りのようなことを、教育の現場で求めているとも考えられます。


■「感動をありがとう」の風潮
個人的に最もひっかかるのは、感動は与えられるものなのか?という点です。百歩譲ってビジネスの世界、マーケティングの世界であれば、それも重要な要素の一つであることは否定しません、少なくとも視聴率業績評価をされる職務がある以上は。しかし教育は違うと思います。教育の世界が安易な感動に走るのは教育としての目的から外れます。

大学などでは学生からの授業評価も採用するところが増え、結果として単位取得が容易だったり、楽な科目が人気を集める一方、地味な基礎研究、原論、理論といった、無味乾燥にも思える講義はいかんせん人気を集めるのが困難です。大学などの高等教育では、そういった基本学習なしには高度な研究は成り立たないこと、それを体験させるのも教育の重大なミッションです。教育は人気ランキングではありません。

感動を与えるのではなく、学生や生徒、子供たち自身が、自らの成長や気付きによって「感動『する』」ことが教育の目的と信じます。安易な風潮で感動を追い求めることではなく、地味で地道なものの中に、感動を見つける力が養えるよう、教育はなされるべきだと考えます。子供たちに喜びや感動という結果を与えるのではなく、それを見出すきっかけ作りこそが教育の役割ではないでしょうか。安易なテレビ番組制作の風潮が、教育現場にまで及び、今回の事故につながったと感じています。


【参考記事】
■就活で傷つく若者たち
http://shachosan.rm-london.com/?eid=656497
■お守りか?カウンセリングか?社員の定着化に効果のあるもの
http://shachosan.rm-london.com/?eid=687649
■内定辞退の作法。
http://sharescafe.net/46036751-20150826.html
■「手書き履歴書で人柄がわかる」という勘違いへの対策
http://sharescafe.net/44225940-20150411.html
■「就活後ろ倒し」は早くも変更?!2017年卒就活スケジュールを大胆予想
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