イギリス田舎pkts
今月2日、サッカー日本代表FW岡崎慎司が所属するレスター・シティが、イングランド・プレミア・リーグ(1部リーグに相当)を創立132年目にして初めて制覇した。一昨年まで2部リーグに所属し、7年前には3部リーグ落ちまで経験していたチームの優勝は、チーム関係者や熱狂的な地元レスターのファンたちですら思い描くことのできなかったストーリーだ。

このレスターの「奇跡の優勝」によって大きな損失を被るのが、ブックメーカーと呼ばれる賭けの胴元だ。日本では公営ギャンブルを除けば合法的に賭けの胴元にはなれないが、イギリスではまったく事情が異なる。行政に登録さえすれば、誰でも胴元になれるのだ。(ここでは「胴元」を、賭けを企画・運用する事業者等とする。)

■ブックメーカーはいくら損したのか?
胴元であるブックメーカーが負けた金額については1500万ポンド程度とする報道も多いが、全国紙INDEPENDENT(web版)の5月4日付記事は、胴元の払戻総額が2500万ポンド(約39億円)に達するだろうと伝えている。一方、AFP BB NEWS(5月1日付)によれば、大手ブックメーカーWilliam Hill は自身のレスター優勝による払戻見込額を300万ポンドとし、その場合の損失を220万ポンド程度と見込んでいる。これを平均的な水準だと考えると、総額2500万ポンドの払戻しによる業界全体の損失額はおよそ1800万ポンド(約28億円)だ。

世界一メジャーなスポーツの1シーズン通した賭けで28億円というとそれほど大きくない印象もあるが、見方を変えれば、これは数多くある賭けの企画のうちたった一つの賭けによる損失である。一つの賭けで胴元側に一方的にこれだけの損失が発生するというのは、おそらく他に例がない大事件だ。

■5001倍は美味しかったのか?
胴元が絶対に負けることのない日本の公営ギャンブル等で採用されるパリミュチュエル方式とは異なり、イギリスで広く採用されるブックメーキング方式では、胴元は常にリスクをとっている。だが、他チームへの賭け分も含めた売上総額の4倍近い払戻しが発生する状況は、さすがに誰にも想像できなかったはずだ。(パリミュチュエル方式では、賭け金の総額から胴元の取り分を差し引いた上で、残りを的中者に分配する。トータリゼータ方式とも呼ばれる。)

通常、ブックメーキング方式の胴元は、一つの企画ごとに収支が一定レベルになるよう賭け目ごとのオッズ(賭けの倍率)を設定する。英BBCが紹介した、開幕直後の途中清算によって購入額50ペンスに対し45ペンスの払戻しを受けた例から、胴元が期待する賭けの収益は売上の一割程度と考えるべきだろう。想定される優勝確率に期待収益分の調整を加え、各賭け目のオッズを適当なレベルに設定した結果、賭け金が適当に分散されれば、胴元として上手くリスクを管理できたことになる。

レスター優勝で胴元が大損したのは、端的に言えば、このリスク管理が上手くできなかったせいだ。だが、それは、開幕前に設定された5001倍というオッズが大きすぎた(=美味しすぎた)からではない。昨シーズン成績(11勝19敗8分)の「勝ち」「引き分け」「負け」の確率を前提に考えれば、5001倍は賭ける側にとっては実は“不味い”オッズなのだ。

過去のプレミア・リーグ優勝チームの中で獲得勝ち点が最も低かったのは、1997年に優勝したマンチェスター・ユナイテッドの75点なのだが、昨シーズンのレスターが38試合で勝ち点75点以上を得る確率は、数万回に1回程度にしかならない。(筆者によるシミュレーションでは、27,594回の試行で1回発生。)

では、リーグ開幕前の5001倍という“不味い”オッズではまったく売れなかったかと言うと、そんなことはないだろう。競馬等を対象とした行動経済学の研究では、オッズの大きい大穴馬券は期待値以上によく売れることが知られており、大穴バイアスと呼ばれている。“不味い”わりには良く売れたのではないだろうか。

だが、大穴バイアスやレスター・ファンの応援だけで胴元であるブックメーカーが大損したと考えるのは早計だろう。

■胴元が大損した本当の理由
優勝チーム予想のオッズは、開幕後対戦が消化されるにつれ調整される。通常、想定より成績が良ければ、オッズは徐々に縮小する。しかし、今期のレスター・シティの場合はそうではなかったらしい。

AFP BB NEWS記事等によれば、開幕前に5001倍だったオッズは、引き分けたボーンマス戦(8月29日)後に一旦2501倍と縮小した後、勝ったノーリッジ戦(10月3日)後に再度5001倍に戻っている。(図はオッズの推移を逐一示すものではない。)
レスターオッズ推移
実は、8試合経過後に提示されたこの5001倍は、“美味しい”オッズなのだ。ブックメーカーによるミスプライシング(誤った価格設定)である。

8試合経過した時点では、昨年の成績に8試合目までの成績を加味した「勝ち」「引き分け」「負け」の確率を前提に優勝確率を考える人なら、4600倍程度よりも大きければ十分“美味しい”オッズだ。だが、過去の戦績から確率で考える人の中には、最近の成績をより重要視する人も少なくない。仮に、今期の一試合ごとのウェイトを二倍にして上と同様のシミュレーションをすると、860倍程度がこの時点での妥当なオッズになる。これらの人たちにとっては、大きなアービトラージ(裁定取引)のチャンスである。

真に妥当なオッズは誰にも知りようがないが、8試合経過した時点の5001倍を多くの人が“美味しい”オッズと評価したのは間違いない。そして、胴元にとって誤算だったのは、その“美味しい”レスター優勝オッズが想定をはるかに超えて売れたことで、他チームが優勝する賭け目の売上とのバランスが大きく崩れてしまったことだろう。リスク管理の失敗だ。

その後の5試合でレスター・シティが4勝1分の好成績を上げたため、オッズを急速に縮小させたものの、時すでに遅し。この時点で、既に大きな評価損を認識していたのではないだろうか。

レスター・シティの優勝でイギリスの賭けの胴元が大損したのは、単に運が悪かったせいではなかったのだ。

【参考記事】
■日本が先進国で最下級だという「幸福度」ランクについて、みんなが勘違いしていること。 (本田康博 証券アナリスト)
http://sharescafe.net/48183188-20160325.html
■映画『マネー・ショート』を見ていて混乱するのは、「空売り」を予習したせいだ。 (本田康博 証券アナリスト)
http://sharescafe.net/48046767-20160310.html
■日本がギリシャより労働生産性が低いのは、当たり前。 (本田康博 証券アナリスト)
http://sharescafe.net/47352836-20151229.html
■軽減税率で一番損なのは誰か、分かりやすく解説してみました。 (本田康博 証券アナリスト)
http://sharescafe.net/47171441-20151211.html
■【日米比較】お金持ちは本当にケチなのか? (本田康博 証券アナリスト)
http://sharescafe.net/47093094-20151204.html

本田康博 証券アナリスト・馬主

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