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■満員の美術館は車椅子では鑑賞できない
この4月から5月、東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」が開催されました。来場者数44万人、入場するのに3~4時間も待つ混雑でした。7年前の東京国立博物館の時も入場に1時間以上、入場規制しても館内は満員でほとんど身動きできませんでした。今回はそれ以上の超満員状態だったのです。

今回は大混雑で行くのを諦めましたが、7年前、私は忘れられない光景を目にしました。展示に沿って何層も重なる人の列から外れた所で、呆然と、諦め顔をした車椅子の人たちの姿です。おそらく人々の腰、背中、黒い頭がうごめくのを見るしかなかったのでしょう。その後、ほかの美術館や博物館に行くたび同じ光景に出会いました。有名な芸術家ほど人気があるので、混雑中、車椅子の人は本物の芸術作品を鑑賞できないのでは、と思うようになりました。障害のある人が若冲のような至高作品を生で観る、それができないのは残念だし、何が原因なのでしょうか。

■超混雑の中、車椅子で芸術を観るのは無謀か
主なミュージアムのバリアフリーは、車椅子の無料貸与、車椅子用スロープ、障害者用エレベータ、障害者用トイレ、オストメイト(人工肛門・人工膀胱)対応設備、介助用ベッド、音声ガイド、筆談ボード、介助案内人などが設置されています。さらに、入場前の行列に並ばなくても、優先して入場できたりします。

障害のある人には十分なのかわかりませんが、健常者から見て、これなら不便を感じずに鑑賞できるのでは、と思うところです。なのに、なぜ車椅子の人が、人々の層の外に取り残されてしまうのでしょう? それについては「無理して人ごみの中に行くから」と言う人がいるかもしれません。「健常者の我々だって、そんな混雑では行くのを諦めるのに」と。

美術館や博物館に入ることは非日常的体験であり、必要に迫られて行くわけではありません。だから不自由な身体でわざわざ人の溢れる所へ行くものではない、そんな思いしてまで芸術鑑賞など必要か、と言ってしまえばそれまでです。しかし健常者でも、遠方からわざわざ来て数時間並んでも観たいという人は大勢いるのです。同じことをするのに、障害者にとってはやはり無謀な行為なのでしょうか。

確かに、人が多い時ほど、人は誰かにかまってやることが物理的に難しいものです。満員電車では誰かを手助けしようにも自分自身が動けないのと同じです。個人としての善意がいくらあっても、一団の集団になると人は塊となって動くか、大岩のごとく動かないかのどちらかです。そんな密集した群れの中に車椅子で入ったら、身を危険に晒すようなものです。

■障害者だけで観られるバリアフリー・プロジェクト
ところで、超混雑の「若冲展」にあっても、車椅子で落ち着いて鑑賞できた人が400名ほどいます。「若冲展」を開催した東京都美術館では、東京芸術大学との提携(「とびらプロジェクト」)のもと、「障害のある方のための特別鑑賞会」を年4回設けています。休室日に事前申込により障害者(と介添人)のみが鑑賞できます。「若冲展」については5月9日(月)に開催されました。「とびラー」と呼ばれるアート・コミュニケータ(一般募集の無償展示案内人)や音声ガイド、手話通訳付きのワンポイント解説などで、障害のある人もゆったりとした空間の中で時間を気にせずに鑑賞できたのです。

この特別鑑賞会は、施設としての物理的(空間的)なバリアフリーに加えて、障害者に限定した特定の時間を設けるという、あえて言えば時間的なバリアフリーをマッチさせた例と言えるでしょう。「とびらプロジェクト」は、ほかにも鑑賞者が自由に芸術と触れ合えるプログラムを実施しています。特別鑑賞会はまだ回数が少ないですが、この試みがもっと発展していくと思われます。

■美術館のこれからのバリアフリーをどう考えるか
このプロジェクトを参考に、通常開催の美術館でも混雑時の障害者対応としてどう活かせるでしょうか。まず物理的(空間的)な面では、例えば展示の最前列に車椅子専用の通路を一列分仕切り、一般の人はその外側に並んで鑑賞するという案はどうか。これは一見、車椅子の安全と自由が確保されそうですが、現実的ではないことはすぐわかります。仮に通路を仕切ったとしても、混雑時にはかえって二重構造の通路は混乱を招き、車椅子専用の通路まで人が埋まって危険です。

次に、時間的な面ですが、入場無料(または割引)である障害者も指定料金を払うことで、一定の時間帯を優先的に鑑賞できるという案はどうか。実際、劇場、コンサートホールなど固定された鑑賞席がある所では、料金を払えば障害者も区別なく指定席を確保できるのと同じ考えです。何時から何時までの時間を「指定席」として買うのです。この一定の時間帯は、指定料金を払った定員の人だけが健常者・障害者区別なくゆっくりと鑑賞できます。

しかし、これにも問題があります。固定座席がある劇場などと違って、多数の人間が殺到し流動する閉鎖空間では、少しでも長く人を滞留させるとパニック状態になるおそれがあります。結果的に、混雑時には時間を区切って一斉入場を規制するのがせいぜいです。

■空間的にも時間的にも自由な鑑賞とは
ここで考えるべきは、障害者にとって、混雑時に車椅子で最も困惑するのはどういう状況かということです。それは、車椅子の動きの自由が奪われることだと思います。それはまた、恐怖でもあるでしょう。だから、人の中に入って行けないのです。車椅子が自由であるとは、障害者が車椅子で自在に場所(空間)を移動し、同時に、時間にもとらわれずに鑑賞できるとういうことです。上記のように空間的な面でとか、時間的な面でというふうに、別々に考えると行き詰ってしまいます。

そこで、美術館などで混雑が予想される場合に限って、一日の開館中の一定時間、例えば開館直後の10分間でも、障害者(と介添人)だけが優先的に鑑賞できる時間帯をつくるというのはどうか。これは先述の「特別鑑賞会」の圧縮限定版です。前もって障害者のための優先時間帯を告知しておくことで、限られた時間内とはいえ、そこでは障害者だけの自由な空間と時間になるわけです。

10分ばかりでどれだけ観ることができるか、と思われるでしょう。視覚の障害は別として、人の鑑賞速度はそれほど違うものではありません。開館直後に先に入ることで、その後に入室してくる人達とは徐々に合流していくことになります。展示案内人が車椅子を先導していけば、だいぶ鑑賞に余裕ができるかと思います。まさかパン食い競争のように後から一斉に駆け込んで来て、先にいる車椅子を押しのけて行く人など、芸術を鑑賞する人の中にいるとは思えないのです。

■アート・コミュニケータの存在
現行のように車椅子の人が並ばずに入れたとしても、健常者と入口で一斉に入り乱れると、たちまちのうちに人の塊に呑まれてしまいます。開館直後の優先入場にすれば、障害者の混乱と孤立はかなり避けられると思います。ただし、開催側スタッフの負担が大きくなりますので、そこはアート・コミュニケータのようなプロジェクトの人たちに力を借りるしかありません。今後は美術館のバリアフリーも何らかのプロジェクト化が必要になりそうです。

【参考記事】
■定年退職者に待っている「同一労働・賃下げ」の格差 (野口俊晴 TFICS代表) 
http://sharescafe.net/48662599-20160524.html
■リストラする側の構造と「リストラ候補者」の心的対策 (野口俊晴 TFICS代表)   
http://sharescafe.net/48383659-20160419.html
■道義なきリストラは最大のパワハラだ 「ローパー」と呼ばれる人たちへ (野口俊晴 TFICS代表) 
http://sharescafe.net/48118899-20160322.html
■文系卒が、それでも実学としてビジネスで役立てられる理由 (野口俊晴 TFICS代表) 
http://sharescafe.net/47493984-20160113.html
■「宵越しのお金」が持てれば、老後の人生は変わる (野口俊晴 TFICS代表) 
http://sharescafe.net/47053876-20151202.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表 

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