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電通の新入社員の自殺が過労死認定された事件を契機として、違法残業に対する風当たりが強まっています。日本では、「会社のために違法行為をする」ことに対する同情も強く、粉飾決算が無くならない原因となっているので、今回の事件がどの程度のインパクトをもたらすか、今少し様子を見る必要はありますが、仮にこのまま世論が盛り上がれば、残業規制が一気に「建前」から「本気」に変化するかも知れません。飲酒運転の規制が一件の事故を契機に急に厳しくなった時のように。


多くの企業で「違法残業」が行なわれているとしましょう。そして、一気に違法残業の取締が厳しくなったとしましょう。今までと同じだけの仕事量をこなすには、多くの労働者が必要ですが、現在すでに日本経済が労働力不足に陥っていることを考えると、大きな摩擦が生じそうです。

■企業の雇用コストは急増する可能性が大
すでに有効求人倍率が高く、非正規労働者の賃金が上昇しつつある所に大量の求人が各社から出されると、非正規労働者の賃金は急騰するかも知れません。それに止まらず、人員確保のために非正規社員を正社員に取り込む動きも活発化するでしょうから、企業の雇用コストは急増するでしょう。
表面的な雇用コストの増大に加え、サービス残業が困難化することによる実質的なコスト増も大きなものとなるでしょう。仮に残業規制の状況が短期間で激変すると、企業のコストアップも短期間のうちに相当の規模で発生します。その影響は、どのように表れてくるのでしょうか。

■値上げが相次ぎ、日銀のインフレ率目標2%は簡単にクリア
企業にとって、コストの増大は、利益の減少に直結しますから、短期的には企業収益が大幅に悪化するでしょう。
しかし、時が経つにつれ、企業はコストを売値に転嫁し始めます。企業にとって、自社だけのコストアップの場合には、ライバルとの競争を考えて値上げを躊躇しますが、ライバルも苦しい時には、自社が値上げをしてもライバルも値上げをするでしょうから、売上数量は落ち込まないと期待できるからです。
特に、サービス業は、製造業と比べてコストに占める人件費の比率が高く、合理化の余地も小さいことから、人件費の高騰が値上げに直結しやすい傾向があります。タクシー運賃など、人件費がそのまま、というイメージですから、大幅に値上がりするはずです(値上げしないと必要な運転手が確保出来ず、営業出来なくなるから)。

■過当サービス競争が沈静化するかも
ただ、日本企業の過当競争体質を考えれば、値上げの幅には限度があります。そうなると企業は、サービスの低下によって労働力を削減するようになるはずです。これも値上げと同様に、自社だけが労働力不足の時にはライバルとの競争を考えて無理なサービスを続けるかも知れませんが、ライバルも苦しい時には多少のサービス低下はライバルも追随するでしょうから、売上数量は低下しないと考えて良いでしょう。たとえば、宅配便を即日配達から3日に1度の配達に変更しても、ライバルも同様の変更をすれば、顧客は逃げない、というわけです。

■企業単位での仕事の合理化に過大な期待は禁物
どこの会社にも、ダラダラと付き合い残業をしている社員がいるでしょうから、社内の工夫で削れる労働力もあるでしょう。ただし、過大な期待は禁物です。現在でも、部下に無駄な作業を命じる事に喜びを感じている上司は少ないでしょうから。

無能な上司が無駄な作業や会議を命じているケースは多いでしょう。しかし、これを減らすためには無能な人が出世しないように、年功序列制度そのものを大きく変えていかなくてはなりません。これは、日本的経営の根幹をなす部分の変更ですから、早い会社でも何年もかかることでしょう。10年経っても変わらない会社も多いかもしれません。

■長い目で見れば、日本経済が効率化する契機に
上記のように、残業規制によって企業間の過当サービス競争が沈静化し、各社の社内で無駄削減の動きが広がるでしょう。
加えて、省力化投資が著増するはずです。これまでの日本企業は、安い非正規労働力が自由に雇えましたから、省力化投資のインセンティブが大きくありませんでした。省力化投資をせずに、非正規社員に単純労働をやらせていたのです。
しかし、労働力不足が深刻化すると、彼らが省力化投資を進めるインセンティブが急に増すことになります。一方で、効率化投資の余地は十分にありますから、積極的な投資が行なわれていくでしょう。
こうした事の相乗効果により、数年後には日本経済は相当効率的なものとなっているかも知れません。

■非ブラック企業にとっては、悪い話ではないかも
上に、企業にとってはコストアップ要因だと書きました。それは当然であり、企業経営者は自社の収益を心配しているでしょう。自社が違法残業をさせていなくても、労働力不足による賃金上昇の波はかぶるからです。
しかし、これも上に記しましたが、ライバルも同時にコストアップに直面している時には、自社だけがコストアップに見舞われている時に比べて、値上げもサービス削減も、遥かに容易なのです。
今まで違法残業させて来たライバルとの競争という観点からは、違法残業させてこなかったマトモな会社は競争力が自動的にアップするかもしれません。ワークライフ・バランスのしっかりした会社だという評判になれば、新卒の採用にも有利になるかも知れません。ライバルから顧客や就活生を奪ってくるチャンスかも知れないわけです。
それから、機敏に省力化投資を行った企業は、そうでない企業と比べて労働力不足の影響を受けにくいため、競争上有利に立てるでしょう。そうした企業にとっても、今回の動きは悪い話ではないはずなのです。

なお、最後になりましたが、今回亡くなられました電通元新入社員の方のご冥福をお祈り致します。

【参考記事】
■残業はみんなで減らせば怖くない、というメカニズムを考える (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49772448-20161017.html
■労働力不足でインフレの時代が来る (塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49018387-20160708.html
■少子高齢化による労働力不足で日本経済は黄金時代へ(塚崎公義 大学教授)
http://sharescafe.net/49220219-20160809.html
■アリとキリギリスで読み解く日本経済 (塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12156174510.html
■国債暴落シミュレーション:日銀の債務超過(塚崎公義 大学教授)
http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12199547792.html
塚崎公義 久留米大学商学部教授

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