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■残業代は「安すぎる」か
過労死や過労自殺を引き起こしている長時間残業が問題になっています。そもそも会社で長時間働くことは割が合わないと、筆者はずっと思っていました。個人の考えとしては、「残業代は安すぎる」ということ、残業のために自分の人生を無駄にしたくないという立場です。

だから残業代を上げろというのではありません。残業代は基本賃金を基に計算されます。労働基準法では法定労働時間(一日8時間、週40時間)を超える労働に対して、1時間当たり基本賃金の1.25倍(深夜労働は1.5倍)の割増手当を払うことが義務付けられています。本稿で残業代が「高い、安い」という場合は、この手当の金額に対してではなく、残業して得られる代償としての価値について言っています。

■残業はオプション労働だ
残業はあくまでオプション労働です。オプションである以上、本来、残業するかどうかは本人の選択によります。その選択する意思は、社員個人の価値観に深く関わってきます。では、残業するために代償となる価値とは何でしょうか。それは、自分の趣味、友人知人との交わり、恋人との交際、家族との寛ぎ、知の探求、芸術の創造、他者への貢献など、個人の時間や権利というものです。その個人の価値観と引き換えるのに、基本賃金の1.25倍程度の割増手当が「高いか、安いか」ということです。

次に、実際に残業するかどうかを決めるのは何によるのでしょうか。それは、働く自分のインセンティブ(心的・経済的誘因)です。人それぞれインセンティブが違うから、残業を安く見積もる人がいる一方、高く見積もる人が出てきます。

■インセンティブ次第で残業の価値は変わる
この残業するためのインセンティブは、人によっては報酬であったり、成長、成功、地位、権限、名声、富、さらには専門知識や高度な技術などでしょう。専門の仕事を身に付けられるという強いインセンティブを持つ人ならば、手当なしでいくらでも残業するでしょう。こういう人たちにとって残業代は、たとえ0円でも「高い」価値を持ちます。

そうは言っても、住宅ローン返済や子どもの教育費、その他もろもろ家計を考えたら、個人の生き方の権利とか価値なんて考えている場合じゃない、そう思う人がほとんどでしょう。残業代を当て込まないとやっていけない、そういう人は、残業できる許容時間を決めればいいのです。一定時間で残業を切り上げるか、高給や昇進のために過労死直前まで残業するか、それは自由です。残業するだけの価値を見出せなければ、日中に効率的に頑張った後は、定時でさっさと帰るまでです。

■長時間労働と過労死が続くわけ
ここで、働く側ではなく、雇う側のインセンティブはどうなのかと問う人がいるでしょう。いくら早く帰りたくても、会社の社風や雰囲気もあるし、第一、目の前に仕事が積まれていたら帰りようがない、サービス残業や持帰り残業もしかたない、と。これについては、会社は「できるだけ手当を低くして、できるだけ長い時間働かせる」、あえて言えば、これが会社のインセンティブです。

会社にとって残業代は、社員が長い時間働くことへの報奨でも、逆に余分に働かせることのペナルティでもありません。単にお金を払う分だけ働いてもらうためのコストです。コストだから低い方がいいし、コストをかければかけた分、会社側の言い分が社員に通用しやすくなります。ブラックと呼ばれていなくても、残業時間を過少申告させたり、残業時間を隠蔽したりする会社はあります。名目だけの役付けや裁量のない年俸制にして、残業代なしの社員とするのも同様の手です。未払い残業代請求と訴訟がなくならないのはこのためです。

これが、長時間労働が続く一因となるものです。会社が長時間の残業をなくすのは当然として、残業させるにしても、社員個人のインセンティブは失われてはなりません。インセンティブなき労働時間がどれほどの不自由と苦痛をもたらし、心身を蝕むか。そしてセクハラ、パワハラ的行為を生むことになるか。長時間労働による過労死や自殺には、時間の長さとともに心身における牢獄があったと言わざるを得ません。

■時間を裁量できれば残業代は関係ない
さらに、残業するだけの価値があり、かつ残業するためのインセンティブがあればいいのかという問題が残ります。裁量ある者にとって働く時間は、自分の意思で決めることができる以上、時間を支配しているわけです。時間が支配できれば仕事も調整できます。一定以上の高収入を得る専門職は自己の裁量のもとで働く限り、残業代は支給されないという意味に限って言うなら、「ホワイトカラー・エグゼンプション」や「残業代ゼロ法案」は正しいでしょう。

年収600万円の社員が、毎月100時間以上の残業(深夜・休日労働を含む)をすれば、残業代込みで1000万円くらいの年収を得ることは可能です。しかし、この人はなんらの自由度も裁量もなく働かされているだけです。これで、人並み以上の生活を送っているのだというなら、それは本人の考え方なのでとやかく言うことはありません。
 
しかし、同じ1000万円もらうなら(「残業代ゼロ法案」の対象者となるおよその目安)、自己の自由度と裁量で、極力残業せずに働き、必要時のみ遅くまで働き、その代わり休暇はたっぷり取る、そういう働き方の方がずっと幸せのような気がします。誰もがそんな高給取りの専門職ではないと言うなら、それこそ今から残業をセーブして専門職を目指して勉強すればいいでしょう。そこまでできなくても、家族や友人、恋人と過ごす時間を大切にする方が、よほど価値ある生き方だと思います。そうでないなら、同じ高給を目指すにしても、自由度と裁量のない残業時間を延々と過ごすか、です。

■コントロールできない状況をなくせ
人は、自分でコントロールできない空間や時間に閉じ込められ、意思に反して動かされる、あるいは動くことを禁じられることに到底耐えられるものではありません。トラブルでいつ動くかわからない途中停止の狭いエレベータ内、あるいは電車内に満員で閉じ込められた状況を想い起こしてみて下さい。

物理的な密閉状況は心理的な閉塞状況を生みます。強要された時間はそれと同じで肉体と精神を蝕みます。嵩にかけてハラスメントがあれば、正気の精神状態ではいられないでしょう。あと1分以内に救援が来て扉が開かれるとわかっていれば、人はなんとか平静でいられるものです。法的にもメンタル的にも、その「あと1分」を知らされる仕組みがわからずに苦しんできた(苦しんでいる)人は、少なくないはずです。

もし定時以降、個人的な生活の自由と権利を最優先したいと思うなら、それと引き換えに払われるあなたの今の残業代は「安すぎる」のです。そう思えたら、残業はそこそこに早く帰って自分の生活に重きを置いた方がずっといいでしょう。今のところ、割増手当も社風もそう簡単に変わりそうもないならば。

【参考記事】
■転職貧乏で老後を枯れさせないために個人型DCを勧める理由 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/49061150-20160714.html
■定年退職者に待っている「同一労働・賃下げ」の格差 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー) 
http://sharescafe.net/48662599-20160524.html
■老後資金づくりでハマる心理的な罠  (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー) 
http://sharescafe.net/45918282-20150814.html
■「宵越しのお金」が持てれば、老後の人生は変わる (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)
http://sharescafe.net/47053876-20151202.html
■年俸制の契約社員でも未払残業代を堂々と取り戻せる法
http://sharescafe.net/42292529-20141208.html(野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表 

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