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採用後まもなくの研修中に新入社員が自殺したというニュースを目にした。希望にあふれ入社したであろう若者の心情を想像すると、なんともやりきれない思いだ。

■本件の概要とは

製薬会社・ゼリア新薬工業に勤めていた男性Aさん(当時22歳)が、新入社員研修で、「過去のいじめ体験」を告白させられ「吃音」を指摘された直後の2013年5月に自死し、「業務上の死亡だった」として2015年に労災認定を受けた。
BuzzFeedJAPAN「ゼリア新薬の22歳男性「ある種異様な」新人研修受け自殺 両親が提訴」2017/8/8

報道によれば当該新入社員研修は4月から8月まで続き、Aさんは会社の指定した宿泊施設に缶詰め状態であったという。外部の業者が担当した「意識行動改革研修」にて上記記事のような出来事があり、さらには講師から「いつまで天狗やっている」等と報告書へのコメントがなされていたとのことだ。なお、当該研修業者は「労災認定は事実誤認。ゼリア新薬で実施した研修中に不幸があったと認識している」とのことである(前景記事)。法廷の場で真相が明らかになることを切望する次第だ。

■なぜパワハラ的な研修が行われるのか
階層別研修やスキル開発研修において外部の業者に一部または全部を委託することは一般的である。特に社員に対し、専門的な知識やスキルを付与するという目的においては、社内の講師よりも外部の専門家を招いた方が研修効果が高まるといってよいだろう。

近年のビジネスの多様化等により、研修業者は実に多種多様なメニューを用意している。中には、上記に類するような「人格改造」的な内容を売りにしている業者も存在するのだ。

別記事「やっつけの社員研修が死ぬほど勿体ない理由。」にて指摘した「自衛隊入隊研修」をはじめ、街中の大勢の前で絶叫させる研修や離島などに隔離して長時間歩かせたり肉体労働をさせる等、戦時下の軍隊のような研修もあるやに聞く。研修というより洗脳といってよい内容であるが、そうした研修は一定のニーズがあるがゆえに存在するということがキーポイントである。

それらの研修カリキュラムはどれも一見して引いてしまうような内容であり、いわゆるパワハラともとらえられるものばかりだが、なぜそのような研修が存在し続けるのだろうか。以下「会社(実施者)側の視点」と「社員(受講者)側の視点」から考えてみたい。

■なぜ会社は理不尽な研修を行うのか
会社側はなぜ人格改造的な研修を実施するのか。端的に言えば、暴力で相手を従わせる方が楽だからである。

「ゆとり世代」等と揶揄される新人たちであるが、ネットやSNSの発達により、情報リテラシー等のスキルははるかに自分たちより高い。「ブラック企業」への意識も高く、いつ労基署に垂れ込まれるか心配でしようがない。そもそも生きてきた時代や背景が違いすぎて何を考えているのかわからない。

本来であればそうした新人たちに歩み寄り、適切な指導やフォローを与えつつ信頼関係を築くのが妥当なやり方のはずだ。しかしそうしたプロセスにはかかわる上司に相応の経験や技術が必要となる。じっくり人を育てる余力がない会社や業界も多いだろう。

この際手っ取り早く新人を「洗脳」してしまったほうが楽ちんである。しかし、自社の社員がそうした研修を実施することにはコンプライアンス上抵抗がある・・・。そうした安易な発想から、「パワハラの外注化」が蔓延ったのではないか。

もちろん、全ての会社が上記のような安易な発想ではないだろう。しかし、新人に対する毅然とした指導や自社の人材育成や経営方針、マインドの醸成等は本来自社が時間と手間をかけて主体的に行うべきものであり、真に必要なコストを投資せずに研修業者に丸投げしているとすれば「仏作って魂入れず」。何とも意味のなさない、ただただつらいだけの研修となってしまう。

■理不尽な研修を受講した人はどのように感じているのか
一方、受講者側である社員たちの受け止め方はどうなのだろうか。

前景記事によれば、同社の新人研修担当者も「個人的にはもう受けたくない」「途中で体調不良者が出ることもあります」等と供述したという。

じゃあなんでその研修が脈々と続いているんだ、と突っ込みを入れたくなるところだが、社員個人としては意義を感じないが、研修を改善・中止する労力や社内の抵抗を考えれば現状維持という選択肢しかないと判断した、とも解釈できる。「後輩にも同じ苦労を味わってほしい」というサディスティックな気持ちもあったのかもしれない。

また、筆者の知人でも同じような研修を経験した人が複数いるが、皆一様に研修内容は問題視しつつも、そうした経験を肯定的に捉えていたため、驚いたことがある。あくまで筆者が見聞きした範囲の話ではあるが「研修自体はつらかったが、社会人としての自覚が芽生えたのだ」といったように、一定の意義があったと主張する人は多いのだ。

自身の経験を否定したくない(否定してはいけない)という心理状態は良くみられるものだ。特に前向きな人やまじめな人は、どんなに理不尽な経験であったとしても、そこから何かしらを学び取るのかもしれない。

しかしながら、そうした経験から得た結果について過度に肯定することは危険だ。間接的に理不尽な経験自体を肯定・称賛することにつながるからだ。

恐らく、前掲の研修も、脱落者は出つつも多数の社員はなんとか修了までたどり着くのだろう。その際には人事部長や社長から「よくやった」などと称賛され、感動の涙くらい流すのかもしれない。そしてその時新入社員は発作的に思うのだろう。「4か月間頑張ってよかった」と。

しかしその安ど感は、単に軟禁状態から解放された安心に過ぎない。一時充実感を感じたとしても、野蛮な行為は認めてはいけないのだ。仮に振り込め詐欺の被害者がその経験から何かしら(防犯意識の向上等)を学んだと感じたとしても、振り込め詐欺という行為自体を肯定すべきではないのと同様のロジックだ。

■人材育成にかかわるすべての人へ
人間は愚かなもので、のど元を過ぎれば熱さを忘れる生き物である。「もう受けたくない研修」と思ったとしても、自身が受講生でないとしたら、若手の育成のため等と理屈をつけて、今度は担当者として当該研修を実施できてしまう。

毎年体調不良者が発生し、担当者も参加したくないと感じ、仮に近年問題視されているパワハラ的な内容が含まれているものだとしたら、なぜ漫然と研修は続いたのだろうか。背景には本来会社側で負担すべき責任や社員における当事者意識の欠如、また、自身がしたつらい経験を下の人間にも味わってほしいという、いわゆる下士官根性とでもいうべき意識が連綿と重なり、悲しい結果となったと思えてならない。

ある名の知れた研修会社のHPを閲覧すると「オーダーに応じて『厳しめの指導も致します』」という文字が躍っていた。そもそも「厳しさ」とは何かを達成するための手段であり、厳しくすること自体が目的ではないはずだ。無論、最初から厳しく指導するという前提ありきではなく、研修の目的や新入社員のキャラクターに応じて、指導方法はオーダーメイド的に考えるべきなのだ。

業務上、一線を越えた指導はパワハラとなるということには異論はないはずだ。しかしながら、研修という閉ざされた空間となった瞬間、「教育・指導」の名のもとに、パワハラ的な言動が許容されるというのは何とも不可思議ではないか。

本件は外部業者が担当した内容が問題視されているが、そもそも研修のコーディネート役、プロデューサー役は実施した会社にある。研修中の前途ある若者の自死という事態を、人材育成にかかわるすべての人間は重くとらえるべきだ。

最後になりましたが、亡くなられた男性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【参考記事】
■「給料より休暇が大事」は「自分ファースト」なのか。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)
http://goto-kazuya.blog.jp/archives/21650519.html
■「男性の育休取得率100%」は良いことなのか。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)
http://goto-kazuya.blog.jp/archives/23246014.html
■「新入社員が2日で辞めた」を防ぐ術は、NHK歌のお兄さん交代に学べ。(後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)
http://sharescafe.net/51056896-20170412.html
■「就活に有利な資格ってありますか?」と問われたら。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)
http://sharescafe.net/50823928-20170310.html
■電通新入社員自殺、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。 (後藤和也 産業カウンセラー/ キャリアコンサルタント)
http://sharescafe.net/49739049-20161010.html
後藤和也 産業カウンセラー キャリアコンサルタント

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