![]() 絵本作家のぶみさんが作詞した「あたしおかあさんだから」の歌詞について、子育て世代の母親を中心に避難が殺到し炎上した、という話を耳にした。 ■騒動の概要
歌詞を確認すると、確かに、出産前はオシャレを楽しみ多忙な仕事をこなしていた女性が、出産を機にこども優先の生活をおくるという描写がなされている。それに対し、「子育てを最優先にする“献身的な“お母さん像を「呪い」のように押し付けている、さらには母親が一人きりで子育てに取り組む「ワンオペ育児」を賛美している、母親ではない女性たちも軽視している」(前掲記事)というのが主たる批判の内容のようだ。 ■「あたしおかあさんだから」は「炎上した」のか? 筆者はのぶみさんと同じく「おかあさん」ではない。今回の騒動で気分を害した「おかあさん」の気持ちが100%理解できるわけではないが、「おとうさん」という現役子育て世代の当事者として、本件を考えてみたい。 「あたしおかあさんだから」が炎上した、とのことだが、確かにTwitter等のSNSを中心に批判的な意見が散見されている。しかしながら、のぶみさん自身のFacebookに寄せられるコメントを見ても賛否両論の状況であり(自身への応援歌と感じ涙した、といった肯定的な意見も複数確認できる)、あたかもすべての人が否定的に受け止めているという論調はややミスリードではないかと思われる。 これについては、特にネット上での批判的な意見はトーンが強くなりがちなこと(「炎上」騒動の場合、賛同者の意見が取り上げられることは少ない)や、特にウェブメディアを中心に「炎上」という表現が使用されがちなこと等に起因しているものと思われる。歌詞の内容が「育児あるある」的なものであることを考慮すれば、本件は「賛否両論」状態であった、と捉えるのが妥当ではないだろうか。従来からのファンを中心に共感する意見も多く見受けられるのだ。 ■我々は主観の世界に生きている 歌は「もしも おかあさんになる前に 戻れたなら 夜中に遊ぶわ ライブに行くの 自分のために服買うの それ ぜーんぶやめて いま あたしおかあさん それ全部より おかあさんになれてよかった あたしおかあさんになれてよかった(※3回繰り返し)だってあなたにあえたから」と結ばれている(「※」は筆者が加筆)。 のぶみさんは、この歌の真意は「いままさに頑張っているおかあさんを応援すること」であり、子を思う母の気持ちを歌詞に載せた、と主張している。事前に母親の悩みをリサーチし、自身の想像が及ばない現状を承知しようとしたとのことであり、おかあさんのリアルな心情を理解しようと努力したという。 この手の主観(属人的な状況、価値観やスタンス)によっていかようにも解釈できる内容は、賛否が激しく分かれやすいのは確かだろう。特に、「育児」や「働き方」といった世代間のギャップが激しく社会問題化しているテーマは、非常に「燃えやすい」内容と言える。 「そうだよなあ、毎日大変だけど子供を持つって幸せだよな」と感じる人もいれば「あるべき母親像を上から目線で押し付けられた」と感じる人もいる。これは我々が主観の世界を生きている限り、また、人が自分の常識等の心理的なバイアスを持つ限り、常に起こり得るものであり、やむを得ないことだ。いくら入念にマーケティングしたとしても、一定の批判は避けがたいだろう(もちろん、楽曲の発表にあたっては複数の関係者を媒介したであろうに、誰も騒動を予見できなかったのだろうか、という率直な疑問は抱くが)。 言い換えれば、本件に関する共感と嫌悪感は、主観に基づくという意味では同種のものだ、ということになる。各々の感想を抱いた当事者は、真逆の意見を理解できないのは常なのだが。 「子を思う母の気持ち」は、捉え方が人それぞれであり、どのように歌い上げたとて一定の批判は免れない、ということになる。仮に自由奔放にふるまうお母さんを歌詞にしたとしても、非難の声は出たことだろう。表現者は、あらゆる批判を想定したうえで作品を世に出す気概が必要だ、というのが現状なのではないか。 ■サザエさんはなぜ炎上しないのか 個人的に不思議なのは、「あたしおかあさんだから」が炎上したとされる一方で、「サザエさん」や「シンデレラ」が(一定の批判はあるのかもしれないが)広く受け入れられているということだ。 アニメのサザエさんについては、主人公のサザエさんが専業主婦という役割を押し付けられ、子供やきょうだいの面倒を任され、日々育児や家事に忙殺されているわけだし、シンデレラに至っては美人だという前提がなければ成立しない物語だ(無論、前者は原作の歴史的な背景があり、後者は継母からのモラハラ等日々苦労はしているわけではあるが)。 あたしおかあさんだからの歌詞に比べても、同等以上に性的役割の強要や(うがった見方をすれば)女性蔑視的な設定がなされているようにも思われるが、それらについて子供に触れさせたくないという意見は目にしない。 また、筆者が、保健センターが行う子供の健康診断に同席した際、質問事項に「お母さんの体調」「お母さんが悩みを相談できる相手の有無」等があってもお父さんのそれが一切ないことに気が付いた。 勿論、検診に訪れる圧倒的多数は母親と子供があり、父親が来たとしても母子と同伴が常である。父親と子供だけという組み合わせは、極めて少ないのが現状だろう。行政サービスとして、最大多数を想定して行うことは当然のことではある。 ただし、これも一種のバイアスがかかった行為とは言えまいか。「男女共同参画」という言葉はもはや使い古されている感があるし、近年の「女性活躍推進」という政策もあるが、父親は育児の主体として想定されていないということだ。父親が育児ノイローゼになることを想定すれば、父親の心身の健康もチェックする必要があるのではないか。 ■自分の主観は他人に強制できない 今回の炎上騒動も、「おかあさんだから」という理由だけで育児(しかも苦行的な)を担うのが当然という感想を抱かせたという点においては、残念ながら作詞者のセンスに至らない点があったのかもしれない。 ただし、本件については「この歌詞が受け入れがたい、気持ち悪い」と感じるのは自由だとしても、作詞者や歌い手に対し人格を否定するような言動を行うのは一線を越えているのではないか、というのが実感だ。作品のクオリティへの批判であれば、端的に冷静に行えばよいのであって、表現者としての命まで奪うような行為は許されるべきではないだろう。 賛否両論、ということは、否もあればまた賛もあるということだ。「自分は歌詞を受け入れられない、この歌を好きなんてどうかしている」という意見を押し付けることはできないと同時に「感動した!この歌が嫌いなんて根性が曲がっている」という意見もまた、だれにも強制できるものではないのである。 我々カウンセラーの基本的姿勢として相手を「受容」し、「共感」的姿勢で臨む、というものがある。相手の意見をまずは批評せずには受け止めて、あたかも相手になったつもりで考える、というものだ。 ある出来事に遭遇した時、自分と全く真逆の感情を覚えている人が確実にいる。基本的なことであるが、我々が改めて認識しなければいけないのではないか。ダイバーシティといっては大げさかもしれないが、必ずしも、他人は自分と同じ感覚を持つとは限らないのだ。それゆえ、他人とともに生きる我々は、想像力や共感力を鍛えなければならない。 【参考記事】 ■「給料より休暇が大事」は「自分ファースト」なのか。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント) http://goto-kazuya.blog.jp/archives/21650519.html ■「男性の育休取得率100%」は良いことなのか。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント) http://goto-kazuya.blog.jp/archives/23246014.html ■「新入社員が2日で辞めた」を防ぐ術は、NHK歌のお兄さん交代に学べ。(後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント) http://sharescafe.net/51056896-20170412.html ■「就活に有利な資格ってありますか?」と問われたら。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント) http://sharescafe.net/50823928-20170310.html ■国会議員の皆さん。朝5時から国会前に並ばなくて良いので、しっかり睡眠を取っていい仕事してください。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント) http://sharescafe.net/52366900-20171102.html 後藤和也 産業カウンセラー キャリアコンサルタント ![]() シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |