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長らく、ビジネスの世界では論理力が重視されてきました。感覚やセンスと結びつく「アート」の分野はその対極とみなされ、相容れないものだったのです。しかしいま、NTTデータ、凸版などの国内大手企業でも、アートのプロセスに着目した取り組みが実践されています。

それは、ビジネスを取り巻く環境(社会)が、論理だけでは太刀打ちできない複雑性と速い変化を持つようになったからだといえます。

この記事では、美術教育やアート事業を展開する経営者の立場から、アートがどのように企業や社会の課題を解決できるのか、その可能性について考えてみたいと思います。

■「アート思考」は課題解決につながるか
「アート思考って言葉を聞くけど、具体的に何ができるの?」最近、こんな質問を受けることが増えました。

アート思考とは、アーティストが創造活動を行う際の思考プロセスのことです。現代のビジネスでは、アイデアやイノベーションなど創造的な思考が強く求められます。そこで、アート思考をビジネスにも応用できないか、という視点が近年注目されているのです。

かつての私は、正直、アート思考がどこまで実践に結びつくのか懐疑的でした。社会課題と呼ばれるものはどれも根深く、制度や仕組みの限界もあります。そのなかで「絵を描いて何が変わるのか」という疑問を拭いきれなかったからです。

しかし、美術予備校の学生や子どもたちのアートに取り組む姿を見て、また企業でアートを取り入れたプログラムを行うなかで、アートの持つ「問い直す力」「視点を他者と共有しながら考え続ける力」を再認識しました。こうした力はまさにこれからの社会で求められているものであり、課題解決につながると考えるようになったのです。

■アートで養われる能力とは
私は美術予備校を経営しています。美術予備校というと、デッサン力をはじめとする美術のテクニックを鍛える場をイメージするでしょう。たしかに、基礎技術は重要です。しかし、より重要なのは問いの立て方や自己の観察、伝えたいテーマの整理といった、思考力を伸ばすことなのです。

作品をつくる際には「何をつくるか」「どう表現するか」「なぜそれを描くのか」といった問いを何度も自分に投げかけながら、答えのないプロセスを通じて、独自の視点が少しずつ研ぎ澄まされていきます。

正解がない問題との向き合い方こそが、アートで養われる力なのです。

また、アートは人と人との垣根を取り払い、他者との協働関係を創り出します。

この春、渋谷の北谷公園で、子どもたちと桜の木を模したアート作品を制作するワークショップを開催しました。目的は、単に「綺麗な桜」を完成させることではありません。「どんな桜を咲かせたいか?」「どんな未来を描きたいか?」という問いを起点に、自由な発想を広げることです。

大人の視点で考えれば、「桜とはこういうものだ」といった“常識”が先に浮かびがちですが、この場ではそうした枠組みをすべて取り払い、幹や骨組みだけを用意しました。どんな花が咲くのかは、すべて子どもたちの発想に委ねられました。

花びらの形や色、質感を自由に想像しながら素材を選び、ひとつずつ丁寧に取り付けていく。その自由さは静かに伝染し、他の子の工夫に刺激を受けて「自分もこんなことをしてみたい」と自然に手が動き始める様子が印象的でした。創造が創造を呼ぶ、そんな場が生まれていたのだと思います。

「自由につくっていい」という空間は、人の姿勢や言葉の選び方すら変えていきます。子どもたちは、自分の発想が誰かのきっかけになることを体感しながら、次第に「教える/教えられる」や「企画する/参加する」といった、私たちと子どもたちとの役割の境界を越えていきました。

問いを共有するなかで、関係性そのものが編み直されていく瞬間が、そこにはありました。

このようにアートは、創造する行為だけでなく、「場」や「関係性」を変える力を持っています。大人の常識や社会の“当たり前”が、無意識のうちに個性や自由を制限してしまうことは少なくありません。けれども、それを一度手放してみることで、思いもよらない表現やつながりが立ち上がってくるように思います。

■学力と創造力は必ずしも比例しない
実際に教育の現場でも、こうした能力が重要視されつつあります。

OECD(経済協力開発機構)は、先進国を中心に教育や経済政策を調査・研究する国際機関で、加盟国に対して様々な指標を通じて現状と課題を可視化する役割を担っています。

なかでもPISA(国際学習到達度調査)は、15歳を対象に「読解力」「数学」「科学」などを測定する国際的な学力調査で、各国の教育の質や方向性を比較するための重要な指標として活用されています。

2022年のPISA調査では、初めて「クリエイティブ・シンキング(Creative Thinking)」が評価項目に加わりました。これは、新しいアイデアを生み出し、他者と共有し、改善する力を測るものです。

この回の調査に日本は参加しておらず、クリエイティブ・シンキングについて、日本の具体的なスコアを知ることはできません。それでも、参加国の結果を見ると興味深い傾向が浮かび上がります。

例えば、チェコ、香港、マカオなどは、従来の学力テストでは上位でしたが、クリエイティブ・シンキングでは平均を下回りました。一方、フィンランド、エストニア、オーストラリアなど、学力は中位でも創造性のスコアが高い国もあります。

さらにシンガポール、韓国、カナダといった国々は、学力・創造力の両面で高い成果を出しており、そこには学びの質や問いのあり方に関する重要な示唆が含まれているのではないでしょうか。

私自身、これまで学力が高ければ創造力も高いと考えていました。しかし、今回のデータが示すことは、従来の教育が重視してきた「正解に早くたどり着く力」だけでは、これからの複雑な社会には対応しきれないということです。

むしろ「答えのない状況にどう向き合うか」「他者とどのように問いを共有し、新たな意味を編み出していくか」といった力が、今後ますます求められるでしょう。

■ビジネスでも「アート思考」が必要に
ビジネスの現場でも「アート思考」が求められるようになってきています。

NTTデータでは、東京大学大学院との共同研究を通じて、アート制作のプロセスに着目した新たな発想法の探究が行われています。そこでは、作品を生み出す過程に内在する「思考の幅」や「発想の飛躍」といった要素を、ビジネス課題の解決に応用することが試みられており、創造性を再定義する取り組みとして注目されています。

また、凸版印刷では、アーティストとの共創プロジェクトを通じて、社員の感性や創造力を育む取り組みが実践されています。

異なる分野の視点や表現に触れることが、組織内のコミュニケーションや価値創出のあり方に新たな視点をもたらしているといいます。

国際的には、MoMA(ニューヨーク近代美術館)がGoogleやIBMなどと連携し、アート作品の鑑賞と対話を通じた研修を提供しており、創造性や観察力、対話力の育成に活用されているそうです。

企業でアート思考が求められるようになった背景には、近年の企業環境の変化があると考えられます。価値観が多様化し、論理的な説明だけでは伝わらない場面が増えるなかで「共感力」や「想像力」を備えた人材の重要性が高まっているのです。

ある企業の人事担当者は「論理的に説明できるスキルだけでは、これからの組織は作れない」と話していました。

私が企業向けに実施する、アート思考を取り入れたプログラムでは、参加者が絵画作品を前に、それぞれの感じたことや気づきを言葉にして共有し合います。

最初は戸惑いながらも、対話を重ねるうちに、自分が普段どのような観点を大切にしていて、何を見落としているかが少しずつ明らかになっていきます。

このプロセスは、単なる感性のトレーニングではなく、観察し、内省し、言語化するというサイクルを通じて、自分の思考の癖や“当たり前”を見直すことにつながります。まさに、こうした体験こそが「問いを立て直す力」や「共感力・想像力」を育みます。

成果や効率が優先されがちな社会だからこそ、予測不能な問いや、未定義の余白と向き合う力は、むしろ競争力の源泉になるでしょう。

■アートが普遍的な思考力を持つ背景
アートは常に、時代の変化に応じて自らを問い直してきた歴史を持っています。

たとえば、19世紀、写真技術の登場によって、絵画が担ってきた「写実」の役割は急速に揺るぎました。

「もう絵を描く意味はない」とまで言われたなかで、印象派や抽象表現といった新しい潮流が生まれ、アートは表現手法や価値観を再構築しながら生き延びてきたのです。

現代もまた、スマートフォンやSNSの普及により、感性や情報の伝わり方が劇的に変化しました。アートの世界では、誰もが発信者になれる社会のなかで、表現の意味を模索する動きが広がっています。

一方、ビジネスの現場でも、情報発信や組織のあり方が変わり、多様な感性や価値観を受け止める柔軟な思考が求められるようになっています。

さらにAIの進展は、芸術とビジネスの両分野にインパクトを与えています。AIが画像を生成し、構図を提案する時代となり、アーティストは創造性の本質を見直す必要に迫られています。同様に、ビジネスでもAIによる最適化の進展が、効率性の裏でイノベーションや多様性を損なうリスクを孕んでいます。

こうした変化の波に直面するたびに、アートは「表現とは何か」「創造とは何か」「人間らしさとは何か」といった根源的な問いに立ち返ってきました。

私は、今こそ、ビジネスの現場でも、このような根源的な問い直しの視点が必要だと感じています。だからこそアートは変化の激しい時代を生き抜くための思考のツールとして大きな意味を持ち続けているのです。

■STEAM教育が重要な一歩
私たちが直面する社会課題は、一つの正解で解決できるような単純なものではありません。だからこそ、多様な問いを共有し、対話と創造のなかから新たな関係性や価値を生み出す力が求められています。

そんな状況にあって、美術を含むSTEAM教育(Science, Technology, Engineering, Arts, Mathematics)を広く展開していくことは、論理と感性、思考と表現を統合的に育む人材を育てるうえで重要な一歩となるでしょう。

正解が見えにくい時代だからこそ、アートが持つ思考の柔軟性や創造力が、未来を切り拓く指針になると、私は考えます。

尾竹仁 有限会社金沢アトリエ 代表取締役

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【プロフィール】
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尾竹仁 有限会社金沢アトリエ 代表取締役
2011年、慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、博報堂プロダクツに入社し、CM制作事業本部で多岐にわたるクライアントのTVCM制作に携わる。2016年、有限会社金沢アトリエに入社し、2018年より経営に参画。数年来の赤字を組織改革で黒字化に導く。2024年6月、代表取締役社長に就任。「美術は世界を変えられる」をコーポレートアイデンティティーとし、コングロマリット企業への変革に取り組む。

公式サイト https://shonabi.jp/

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