![]() Aさんは40年勤めたベテラン社員であったにもかかわらず、提示された条件は月収でいうと数万円だったといいます。定年再雇用で給与が下がるのは一般的な慣習になっているとはいえ、この条件提示には驚く人も多いでしょう。 定年再雇用で会社から大幅な給与ダウンを告げられたらどうすればいいのか。会社に残る以外にどのような選択肢があるのか。社労士の視点から解説します。 ■制度はこう変わってきた――60歳から65歳までの年金と雇用保険からの給付 そもそも、定年再雇用とはどんな制度なのでしょうか。 1994年までは、厚生年金の支給開始年齢は60歳でした。60歳で定年を迎え、そこから年金で生活するという設計だったのです。ところが、1994年の厚生年金法の改正で、支給開始年齢が段階的に65歳まで引き上げられることが決まりました。 それに連動して、高年齢者雇用安定法(高年法)によって、60歳定年後の継続雇用が徐々に義務化され、2025年には65歳まで希望する人を継続的に雇用する義務が企業に課されました。 いままでは60歳から65歳までの生活設計は、(1)定年再雇用での給与 (2)年金 (3)雇用保険からの「高年齢雇用継続給付金」という3本柱で成り立っていたのです。 筆者が社労士になったのは1999年ですが、当時は60歳で定年を迎える人に対して、給与をいくらにダウンすれば、年金と高年齢雇用継続給付金を合わせて、定年前の手取りとあまり変わらない額にできるか、という計算を日常的に行っていました。給与を定年前の70%程度に減額しても、社会保険料や所得税のマイナスを合わせると、定年前と同じレベルの手取りにできる、という設計が可能だったのです。 しかし現在では、男性の場合、年金の支給開始年齢は65歳です。また、高年齢雇用継続給付金も、当初は賃金減額部分の25%が支給されていたのが、現在では10%になっています。 30万円の給与だった人が20万円に減額されると、高年齢雇用継続給付の支給はわずか1万円です。年金もなくなる中、この金額では家計の補填にはほど遠いでしょう。 60歳定年後の再雇用で給与を減額しても問題なかったのは、ほかに公からの支給があり生活が成り立ったからでした。現在では年金はゼロ、雇用保険からの支給はわずか、という制度になったのに、定年後は給与を減額するのが当然という流れが続いています。 このような経過を踏まえてパナソニックコネクトの定年再雇用の条件を見ると、その厳しさがより際立ちます。 ■会社との交渉ポイント――法令と判例を味方に もし、定年再雇用に際して会社から大幅な給与ダウンを告げられたとしたら、次のような方法で交渉することが可能です。 ・合理的な裁量の範囲か? 高年法第9条は、企業に「合理的な裁量」の範囲内で継続雇用条件を設定することを求めています。九州惣菜事件(福岡高裁 2017年判決)では、75%減額は「合理的とは到底いえない」と違法判決が出ました。 会社から大幅ダウンされた給与が提示されたら、「この減額率は合理的ですか?」と具体的な根拠を問うべきです。 ・手当の継続 定年再雇用の契約は、65歳まで更新される1年契約であるのがふつうです。そうすると、「有期契約労働者と無期契約労働者(正社員)との間で、労働条件に差異を設ける場合には、合理的な理由がなければならない」という、労働契約法第20条の規定が適用されることになります。 近年の判例では、有期契約だから、短時間だから、というだけで一律に手当をカットするのは、合理的な理由がないと判断され、違法とされています。資格取得や特定業務の遂行は、契約形態や勤務時間にかかわらず発揮される能力・コストであり、手当の再支給を求める根拠となります。この根拠をもとに、資格手当や職務手当、住宅手当、通勤手当などを「実際に業務を行う以上、支給が合理的」と主張できます。 ・労働条件の明文化を求める また、労働条件の明文化を求めることも重要です。勤務日数・時間帯・勤務地・評価方法などを具体的に書面化することで、将来のトラブルを防ぎつつ交渉力が増します。特に「半年後に再交渉」「給与見直し条項」を入れると安心です。 ■60歳からの働き方アイデア――選択肢を広げる 60歳を迎えたときの選択肢は、いまの会社で再雇用されるだけではありません。長年培ってきた経験やスキルを活かす道は、転職や副業、起業など複数あり、それぞれにメリットとデメリットがあります。 ここでは、代表的な3つの働き方について見ていきましょう。 (1)いまの会社で再雇用され、仕事を続ける 最も多くの人が選ぶのが、定年を迎えた会社でそのまま継続雇用される道です。慣れ親しんだ職場環境、信頼関係のある同僚や上司、蓄積された業務ノウハウをそのまま活かせるため、心理的なハードルが低く、スムーズに働き続けられます。 ・メリット: 慣れた環境で経験を活かせることは大きな強みです。新しい職場で一から人間関係を構築したり、業務フローを覚え直したりする負担がなく、定年前と同じ業務を担当できれば即戦力として活躍できます。 ・デメリット: 一方で、再雇用時には賃金が大幅にダウンするリスクがあります。定年前の給与から4~6割減も珍しくなく、生活水準の維持が困難になる場合があります。また、会社が提示する労働条件に納得できない場合、交渉に時間と労力がかかり、精神的な負担も大きくなります。さらに、いままでの部下の下で働くことになる等をストレスと感じる人もいます。 (2)転職する 定年を機に、新たな会社で働くという選択肢もあります。近年は人手不足を背景に、シニア層を積極的に採用する企業が増えており、「60歳歓迎」「定年後再就職支援」といった求人も目立つようになりました。特に、定年延長制度を導入している企業や、経験豊富なシニア人材を評価する中小企業では、前職の経験を高く評価してもらえる可能性があります。 ・メリット: 転職の最大のメリットは、市場価値に応じた適正な報酬が期待できることです。いまの会社では「再雇用だから」という理由で賃金を下げられても、転職市場では実力次第で高待遇を得られる可能性があります。勤務地や勤務時間の選択肢も増え、ライフスタイルに合わせた柔軟な働き方が実現できます。 ・デメリット: 他方、60代の転職市場は決して楽観できるものではありません。求人数自体が限られており、希望する職種や待遇の仕事が見つからない可能性もあります。また、新しい職場では人間関係をゼロから構築する必要があり、若い上司の下で働くことへの心理的抵抗を感じる人もいます。 (3)副業・起業で新たな道を切り拓く 定年を機に、副業や起業という形で自らビジネスを始める選択肢も注目されています。オンライン講師、在宅ライター、翻訳、コンサルタント、家庭教師など、自宅やオンラインで完結する仕事は増加傾向にあり、シニア層の経験や専門知識が高く評価される分野も多数あります。また、趣味や特技を活かして教室を開講したりするケースも増えています。 ・メリット: 副業・起業の最大の魅力は、自己裁量で働けることです。仕事の内容、時間、場所を自分で決められるため、ライフスタイルに合わせた柔軟な働き方が可能です。 ・デメリット: 一方で、副業や起業には初期投資やリスクが伴います。顧客開拓、営業活動、経理処理などをすべて自分で行う必要があり、会社員時代にはなかった負担が発生します。収入が不安定になるリスクもあり、特に起業の場合は軌道に乗るまで数年かかることも珍しくありません。 このように、60歳からの働き方には複数の選択肢があり、それぞれに長所と短所があります。大切なのは、自分の価値観、経済状況、健康状態、家族構成などを総合的に考慮し、最も納得できる道を選ぶことです。 ■今すぐできる3つのステップ 60歳以後に進む道を決めるためには、まずは、下の3つのステップを実践してみてください。 1.キャッシュフローをシミュレーション ・60~65歳の収入と支出を月単位で整理 ・退職金取り崩し計画も合わせて作成 2.スキル棚卸し&情報収集 ・定年前の経験・免許・資格を書き出し ・シニア向け転職サイトや副業プラットフォームをチェック 3.家族や専門家と共有・相談 ・家族と将来プランを話し、サポート体制を固める ・キャリアコンサルタントやファイナンシャルプランナーに相談する ■経験を武器に、未来を選ぼう パナソニックコネクト事件は、旧来の賃金ダウン前提の再雇用制度が、60歳以降の生活を直撃する現実を突きつけました。60~65歳は年金ゼロ・給付金縮小で給与が生命線です。法令や判例を味方につけ、手当復活や評価制度を駆使して交渉を有利に進めましょう。 また、転職や副業で自ら市場価値を高める道もあります。大切なのは、「65歳まで安心して働き続けられる」自分だけのプランを描くこと。これまで積み上げてきた経験と知識を最大限に発揮し、新たなスタートを切りましょう。 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 【訂正とおわび】 初出時の記事中に誤りがありました。 誤:高年齢継続雇用継続給付金 正:高年齢雇用継続給付金 本件は編集部による誤表記であり、執筆者によるものではありません。なお現在は修正済みです。お詫びして訂正いたします。 【関連記事】 ■河合塾の雇い止め訴訟が突きつける「名ばかり個人事業主」の危険性(李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62714620-20251017.html ■取得率0.9%の生理休暇はなぜ普及しないのか?使いやすさ3つのポイント(李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62702546-20251012.html ■能力不足でクビになるのはどんなケースか?(李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62662060-20250924.html ■変動金利は危険なのか?(中嶋よしふみ FP) https://sharescafe.net/60041384-20221223.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/61186482-20240125.html ■プロフィール 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 早稲田大学卒業。1999年、宇都宮市にて李社会保険労務士事務所(現 メンタルサポートろうむ)を開業。2011年、産業カウンセラー登録。2012年、ハラスメント防止コンサルタント認定、(公財)21世紀職業財団ハラスメント防止研修客員講師に就任。2019年、健康経営エキスパートアドバイザー認定(第1期)。 官公庁から大手企業、教育機関まで幅広い分野で研修実績があるハラスメント対策のエキスパート。ハラスメント外部相談窓口の相談対応や、事案解決支援の経験を活かした実践的な指導には定評があり研修受講者からの満足度は90%以上。 法的知識とカウンセリングスキルを組み合わせた独自のアプローチにより職場のメンタルヘルスやハラスメント防止の分野で企業をサポートしている。岐阜県生まれ。 公式サイト https://yhlee.org/wp/ X: https://x.com/mental_sp_roumu @mental_sp_roumu YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCGilZsldcxBgu5k5vzqWptw シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |


