![]() 忙しそうな上司に声をかけるよりも、手元のスマホでAIに打ち込む方が気が楽だと感じる従業員も増え、「AIの方が頼りになる」「AIの方が『人柄』もいい」とまで思われてしまう場面も出てきています。 このような状況は、部下の相談先が「上司や先輩」から「スマホの中のAI」に移っていくことを意味し、情報漏洩のリスクだけでなく、職場の心理的安全性やマネジメントそのものにも影響を及ぼします。 本記事では、社会保険労務士として、AIに相談して終わりではなく、「最後は人に相談したくなる」職場の条件について、実務での事例も交えながら解説します。 ■部下が「質問するのが怖くなる」職場とは 管理職研修で、部下とのコミュニケーションについて「部下の質問や報告に対して、相手の顔も見ず、仕事の手も止めずに返事していた」と振り返る方は少なくありません。 実際、「部下から顧客対応について質問を受けた時に、急ぎの資料作成で余裕がなかったので、画面から目を離さず、『前と同じでいいよ、メールで返しといて』とだけ答えたところ、その部下はその後、似たような案件では一切相談しなくなってしまい、意思疎通に支障をきたすようになった」という後悔を研修で打ち明けてくれた受講者もいました。 こうした経験が重なると、部下は「これくらい自分で何とかしないと怒られる」「忙しそうだし、AIに聞いて済むならその方がいい」と考えるようになります。 その結果、本来であれば早めに相談してほしい案件ほど、上司の耳に入らないという状況が生まれてしまいます。 上司や会社側がまず押さえておきたいのは、「この人に質問したら回答を得られるか」という相手の能力の問題以前に、「この人に聞いたら感情的に傷つけられるかも」という心理的安全性を疑う感覚によって、相談するかどうかが決まっているという現実です。 ■私物スマホでのAI利用にどう線を引くか また、近年静かに広がっているのが、従業員が私物スマホから無料のAIに業務のことを聞くという行為です。 たとえば、「取引先からこういうクレームが来たが、どんな対応が適切か」「社内の特定の人とのトラブルについて、どう伝えたらよいか」といった相談を、そのまま外部のAIに入力してしまうケースも見られます。 本人に悪意はなく、「少し相談しただけ」のつもりでも、会社の視点から見ると、入力内容がサービス側のサーバーに残ったり、学習に使われたりする可能性があり、取引先名や契約条件、人事・トラブル情報などが外部に残り続けるリスクがあります。 韓国のサムスン電子では、社員が社内のソースコードや会議内容をChatGPTに入力したことが原因で、機密情報の漏洩が問題となり、一時的に社内利用を禁止する事態にまで発展しました。 こうした事例は海外だけではなく、日本国内でも「生成AIを経由した社内情報の外部流出リスク」としてたびたび警鐘が鳴らされています。 このような中で、上司や会社がやるべきことは、「なんとなく危なそうだから禁止」という感覚的な対応ではありません。 まず、私物端末や無料版AIで入力してはいけない情報、たとえば個人情報、機密情報、具体的な取引内容や金額、社名や人名、社内トラブルの詳細などを明確に定義し、ガイドラインや就業規則の中で「ここから先はNG」と線を引くことが必要です。 そのうえで、企業向けの設定がなされたAIツールや社内専用のAIチャット環境を用意し、入力データが外部学習に使われない契約・設定を選ぶことで、「ここなら安心して使える」という公式な場を提供していきます。 こうした仕組みがあってこそ、「私物スマホでこっそり聞く」のではなく、「決められた環境で、決められた範囲のことを聞く」という健全な利用が広がります。 ■「質問しやすい上司」がつくる心理的安全性 では、上司個人としては、どのようなふるまいが「質問しやすさ」をつくるのでしょうか。 ポイントは、特別なスキルよりも日常のささいな態度の積み重ねにあります。 忙しい場面でも、部下に声をかけられたら一度は必ず顔を上げ、「今は手が離せないので、◯時から5分だけ時間をもらえる?」と具体的に時間を示して応じることで、「話しかけてはいけない人」という印象を和らげることができます。 質問の第一声に対して、内容より先に「来てくれてありがとう」「迷った段階で持ってきてくれたのは助かるよ」と声をかけることで、「迷惑をかけた」という罪悪感よりも、「相談してよかった」という感覚を残すことができます。 言葉の選び方も、心理的安全性に大きく影響します。 同じ状況でも、「なんでこんなことも分からないの?」と反応すると、部下は「もう聞くのはやめよう」と心を閉ざしますが、「どこまで分かっていて、どこからが不安か一緒に整理しようか」と返すと、「未完成な状態の自分でも受け入れてもらえる」と感じやすくなります。 また、上司自身の失敗談や迷いを適度に共有することも有効です。 「自分もこの手の案件は、最初は何度も確認していた」「この判断は今でも時々『これでよかったか』と振り返ることがある」といった話に、部下は「この人でも迷うのだから、自分も相談していいのだ」と安心します。 こうした日々のふるまいの積み重ねが、「AIより、この上司に聞きたい」という信頼につながっていきます。 ■AIにはできない「問いを一緒に磨く」関わり AIは、与えられた質問にもっともらしい答えを返すことには長けていますが、「そもそも何を聞くべきか」「本当に困っているのはどこか」を一緒に探ることは得意ではありません。ここにこそ、上司や先輩の存在価値があります。 たとえば、部下が「指導している後輩のやる気がなくて困っています」と相談してきたときに、「最近、どんな場面でそう感じた?」「そのとき、あなたはどう声をかけた?」と問いを重ねていくと、問題の焦点がコミュニケーションなのか、目標設定なのか、評価の仕組みなのかといった具合に徐々に絞り込まれていきます。 また、部下がAIで整理したメモを持ってきた場合には、「ここまで整理してくれたのはすごく助かる。会社の事情を踏まえると、こういう観点も加えておきたいね」と伝えながら、現場特有の事情や過去の失敗事例、経営陣やキーパーソンの価値観といった、AIには持ち得ない文脈を加えることができます。 言い換えれば、「AIは“答えの候補”を出すツール、人は“本当に問うべきこと”を一緒に見つけるパートナー」という役割分担を、上司の側が意識して体現していくことが重要です。 ■「まずAIで整え、最後は人に出す」を新しい常識に 最後に、上司個人の努力だけでなく、会社として「相談の公式ルート」を決めておくことが重要です。おすすめしたい新しい常識は、「まずAIで整え、最後は人に出す」というシンプルな合言葉です。最初からAIか人かを選ぶのではなく、「AIで荒く整理し、人と一緒に仕上げる」という二段構えを、組織のスタンダードにしてしまうのです。 具体的には、まず社内資料や公式なAI環境で自分なりに調べることを推奨し、そのうえで、自分でやってみた結果と迷っているポイントを簡単なメモにまとめてもらいます。必要であれば、その整理にAIを使うことも認めます。そして最終的には、そのメモを持って上司や先輩に相談してもらう、という流れを「うちの標準的な相談プロセス」として位置づけます。これが「まずAIで整え、最後は人に出す」という新しい常識です。 ■部下の質問や報告をAIに奪われないために AIは、部下の質問を整え、情報収集を助ける心強いツールです。しかし、AIが「質問しても怖くない相手」「一緒に考えてくれる相手」になってしまうと、本来なら上司に届けられるはずの小さな不安や違和感、初期相談が、人のところまで届かなくなってしまい、組織としてのリスクは高まります。 AIそのものが悪いわけではなく、「まず試してみる安全な相手」としては非常に有効ですが、だからこそ上司や会社側には、「質問しやすい関係」と「安全なAIの使い方」の両方を整える役割が求められているのです。 これからの上司や会社に求められるのは、部下の質問や報告を歓迎する態度を日常のふるまいで示すこと、私物スマホによる危険なAI利用に線を引きつつ、安全な活用環境を用意すること、そして「まずAIで準備し、最後は人に相談する」という流れを組織の新しい常識として認めることです。 その積み重ねが、「AIに聞けばいい」だけの職場ではなく、「AIで準備して、この人に相談したい」と思われる上司と職場を育てていくはずです。 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 【関連記事】 ■3次会でも「仕事のうち」? 初の労災認定から考える、飲み会セクハラと会社の責任 (李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62880815-20251224.html ■「自分で考えなさい」で部下を伸ばす上司とつぶす上司の違い(李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62857069-20251215.html ■首相発言から読み解く「寝てない」が自慢になる覚醒依存の日本社会 (李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー) https://sharescafe.net/62801603-20251123.html ■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/62674731-20250930.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/61186482-20240125.html ■プロフィール 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 早稲田大学卒業。1999年、宇都宮市にて李社会保険労務士事務所(現 メンタルサポートろうむ)を開業。2011年、産業カウンセラー登録。2012年、ハラスメント防止コンサルタント認定、(公財)21世紀職業財団ハラスメント防止研修客員講師に就任。2019年、健康経営エキスパートアドバイザー認定(第1期)。 官公庁から大手企業、教育機関まで幅広い分野で研修実績があるハラスメント対策のエキスパート。ハラスメント外部相談窓口の相談対応や、事案解決支援の経験を活かした実践的な指導には定評があり研修受講者からの満足度は90%以上。 法的知識とカウンセリングスキルを組み合わせた独自のアプローチにより職場のメンタルヘルスやハラスメント防止の分野で企業をサポートしている。岐阜県生まれ。 公式サイト https://yhlee.org/wp/ X: https://x.com/mental_sp_roumu @mental_sp_roumu YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCGilZsldcxBgu5k5vzqWptw シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |


