unnamed
■年始の挨拶は、組織の通信簿である
「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。……ところで部長、少しお時間よろしいでしょうか?」

仕事始めの朝、最も冷や汗をかくのは経営者ではなく、現場を預かる中間管理職かもしれません。松の内の華やいだ空気が残るオフィスで、期待していた若手や中堅エースから切り出される、この「あけおめ退職」。それは、管理職にとって1年で最も重いストレスを伴う年始の儀式となっています。

マイナビが実施した意識調査(「年末年始休暇と転職に関する調査」」2025年12月発表)によれば、20代の41.1%が「同僚等の「あけおめ退職」を経験したことがある」と回答しています。もはや一過性の感情や、個人の根性の問題ではありません。避けられない構造的な社会現象、あるいは季節性病理とさえ呼べる事態です。

この現象に直面したとき、多くの経営陣は最近の若者は忍耐が足りないと突き放すか、現場のフォローが足りないと管理職に責任を転嫁しがちです。管理職も自分の立場の確保のためにも、採用そのものが失敗だったということで原因を他に追求します。

しかし、事の本質はもっと冷徹なところにあります。長期休暇という日常から切り離された空白の中で、社員が会社の提示する条件と自分の未来を天秤にかけ、極めて冷静に算盤を弾いた結果に過ぎないのです。

つまり、「あけおめ退職」とは、会社が1年かけて運用してきた人事制度が社員目線で評価された通信簿です。これを誰が辞めたかという視点で分析すれば、自社の制度が狙い通りに機能しているのか、あるいは致命的な欠陥を抱えて静かな沈没を始めているのかを測る、極めて正確なリトマス試験紙となります。

■思考の麻痺が解ける1月。なぜあの人は会社に来なかったのか?
1月に届く退職届は、社員が休暇中に会社の未来を冷静に査定し終えた結果であり、会社が1年かけて積み上げた待遇に対する最終回答です。では、なぜ1月なのでしょうか。

*日常という名の麻痺からの脱却
日々の業務に追われ、目前のタスクをこなし、迫りくる納期に対応し、会議の資料を作成する。その忙しさは、本来抱いている「この会社にいていいのか?」という根源的な疑問を覆い隠す麻痺剤として機能します。
しかし、年末年始の1週間程度の休暇は、この麻痺を強制的に解毒します。メールの通知が止まり、PCを閉じた瞬間に、日常の小さなモヤモヤが人生の大きな課題へと姿を変えます。

・今の会社で、1年後の自分はどうなっているか?
・3年後、隣に座っている課長のようになりたいか?
・今の給与の伸び率で、思い描く生活は送れるのか?

こうした具体的なシミュレーションが、静かな時間の中で繰り返されるのです。

*友人という残酷な鏡
休暇中の外部接触も、「あけおめ退職」を加速させるトリガーとなります。

久々に再会した地元の友人や大学時代の同期。彼らが最近、うちの会社はベースアップで5万円上がった副業が解禁されて、新しいスキルを試しているといった話を口にしたとき、自社の環境が相対化されます。

昨年末の評価面談で、上司からよく頑張った、期待していると褒められたものの、給与明細に反映された昇給額がわずか数千円だった若手社員を想像してください。忙しい最中にはそんなものかと自分を納得させていた彼も、友人の話を聞けば気づかざるを得ません。

褒め言葉はタダだが、自分の人生の時間は有限だ。この会社は、言葉では期待していると言うが、仕組み(報酬)では私を評価していない

この気づきが、1月の仕事始めに退職届を持参させる決定打となります。

■その退職は健全なデトックスか、それとも沈没の合図か
人事制度において、欠員は必ずしも悪ではありません。重要なのは、退職者の顔ぶれです。「あけおめ退職」には、制度が正しく機能したことによる良いデトックスと、制度のバグが露呈した悪い退職があります。

*良いデトックス:変革の痛み
会社が成長フェーズに合わせて制度を変革すれば、必ず歪みが生じます。例えば、私が支援したある成長過程のテクノロジー企業では、年功序列を廃して徹底した成果貢献に応じた評価・昇格制度を導入した翌年、年始にベテラン層が数名退職を申し出ることがありました。

「長年の貢献を無視するのか今のやり方にはついていけない」

こうした反発を伴う離職は、実は制度が変われない人は去るべき、あるいは報われないというメッセージを正しく届けた成功事例と言えます。新陳代謝が進み、浮いた人件費を若手やエースに配分できる余地が生まれるのであれば、それは組織の自浄作用です。結果、この会社は、昨年を大幅に超える業績、さらには予算達成率も120%を達成しました。

*沈没の合図:エースの静かな離脱
恐れるべきは、誰もが認める30代の次世代リーダーや、現場を支える優秀な中堅層が実家に戻ることになりましてと、爽やかに、かつ確固たる意志を持って辞めていくケースです。これは、先ほどの人事制度改革を行った会社の数年前にあった実話です。

彼は、自分が稼ぎ出した利益が、大した成果も上げず、新しいスキルの習得も拒むぶら下がり層の給与原資に回されている不公平な構造を、制度の細部から読み取っています。

この船に乗っていても、自分の取り分は増えない。それどころか、沈みゆく船の浸水を防ぐために自分の時間が浪費されるだけだ

休暇中にそう確信したエースは、議論も交渉もせず、ただ静かに船を降ります。これは組織が内側から腐り始めている決定的なサインであり、残された社員に沈没へのカウントダウンを予感させるのです。結果として、優秀な人ほど辞めていく連鎖が生まれ始めます。

■人事制度は拡声器。建前と本音がズレるほど、社員にバレる
優秀な人材が去る最大の原因は、社長が掲げる建前(ビジョン)と、人事制度に宿る会社の本音(仕組み)の乖離にあります。制度は、社長や幹部が知らず知らずのうちについている嘘を、社員の前で白日の下にさらしてしまう拡声器なのです。

*仕組みは言葉よりも饒舌である
社長が年頭所感で挑戦を求む! 失敗を恐れるな!と熱弁を振るったとしても、人事評価シートの配点の8割が減点主義評価であれば、社員は会社の本音は現状維持だと即座に悟りますし、挑戦しない方が得だと社員の行動も自然と変わります。

働く側にとって人事制度は、会社の本音を読み解くためのツールです。何を言っているかではなく何に金を払い、誰を昇進させているかこそが、その会社の価値観があらわれます。

*手触り感のない評価の罪
筆者がこれまで多くの企業を支援してきた中で目にしたのは、社長の発言と制度の致命的な歪み・捻じれです。

•若手を抜擢すると言いながら、昇格要件に勤続10年以上という縛りが残っている。
•成果に報いると言いながら、報酬の上限が低く、どれだけ利益を出してもボーナスに数万円の差しかつかない。
•結局は、社長の目に入りやすい部署や、お気に入りの中間管理職の下にいる人間が優遇される不透明な政治が横行している。

これらは実際に著者が人事制度の支援した企業に起きていた事例です。

優秀な社員ほど、この手触り感のなさに敏感です。君の頑張りは見ているよという精神論の嘘を制度が暴いたとき、彼らの忠誠心は霧散します。

■なぜ平等という名の放置が組織を破壊するのか
日本企業に根深く残る平等主義が、実は最も残酷に優秀な社員を追い詰め、組織の通信簿を赤点に染めているという事実に、多くの経営者は無自覚です。

*優秀な人から順に絶望する仕組み
本当の意味で良い人事制度とは、社員全員に優しいものではありません。それは、会社が本当に大事にしたい人に、絶対に絶望を与えない仕組みのことです。

頑張っても頑張らなくても、給与に差がつかないという平等は、意欲のない人間にとっては聖域ですが、意欲ある人間にとっては監獄です。「あけおめ退職」でエースを失った組織に残されるのは、仕事が忙しくなることへの不満ではなく、あの優秀な人が見限った会社に、自分はしがみついていていいのか?という沈没船への深刻な疑念です。

*評価の三本柱を一本の串で刺す
健全な組織では、人事制度の3本柱(等級・評価・報酬)が一本の串で刺さっています。

1.等級: 会社があなたに何を期待し、どのレベルの役割を求めているか。
2.評価: その期待に対して、どのような基準でプロセスの妥当性を判断するか。
3.報酬: 判断の結果、どのような対価で報いるか。

この流れが透明であり、社員が自分のキャリアをコントロールできているという実感を持てること。それこそが、現代のビジネスパーソンにとって最大の安心材料となります。「あけおめ退職」を季節のトラブル程度に片付ける経営者は、体温計を壊して熱がないから健康だと言い張るのと同じ、極めて危険な状態にあります。

■中間管理職が握る翻訳者としての鍵
あけおめ退職は、残念ながら経営者だけの問題ではありません。実は、「あけおめ退職」を防げるかどうか、あるいはその離職を糧にできるかどうかの鍵は、中間管理職の翻訳力にかかっています。

*管理職の8割は制度を語れない
筆者が数多くの企業で行う評価者研修において、衝撃的なデータがあります。自社の評価シートにある各項目の趣旨を、自分の言葉で部下に説明できる管理職は、わずか2割以下に過ぎません。

多くの管理職は、会社から降りてきた評価シートをただの事務作業として処理しています。フィードバック面談でも、会社がこう決めたから平均がこれくらいだからと、制度の裏側にある経営のメッセージを伝えることを放棄しています。上司が制度を信じておらず、その趣旨を語れないのであれば、部下がそこに自分の未来を投影できるはずがありません。

*制度を手触り感のある言葉に変える
「あけおめ退職」を食い止めるためには、管理職が人事制度を単なる査定の道具ではなく、部下との対話のプラットフォームとして使いこなす必要があります。

「この評価項目は、君のこういう行動を会社が評価したいから存在している」
「今の君の等級ではここが足りないが、ここをクリアすれば、これだけの報酬とチャンスが約束されている」

こうした手触り感のある対話こそが、休暇中にスマホで転職サイトを眺める部下の指を止める唯一のブレーキとなります。

■採用強化の前に、社員に選ばれ続ける本音の経営を
「人が辞めたから、求人広告を出そう」

そう考える前に、まずは去っていった人が残した無言のメッセージを直視してください。

今のままの制度、今の建前、今のままの管理職の無関心が放置された組織に、どれだけ高いコストをかけて新しい人材を迎え入れても、結果は同じです。また次の年始には、同じような「あけおめ退職」の連鎖が繰り返され、組織のレベルは着実に下方修正されていきます。そして、企業情報に関する口コミサイトには辞めていった社員のため息が蓄積されていきます。その情報を観た、候補者は果たして入社するでしょうか?

採用とは、企業が人を見定める選ぶ行為から、毎日社員から選ばれ続ける行為へと変化しました。特に労働力人口が減少の一途をたどるこれからの日本において、人事制度は単なる社内規定ではありません。それは、社員一人ひとりと交わす経営理念の契約書そのものです。

「あけおめ退職」という年始の儀式を、ただの頭痛の種で終わらせるのか。それとも、自社の本音を問い直し、エースが誇りを持って働ける組織へと作り変える契機にするのか。

経営者、そして管理職の皆さんが、自社の制度を自分の言葉で語り始めたとき、初めてその組織のデトックスは完了し、新たな成長への道が開かれます。


村井庸介 株式会社番頭 代表取締役・人事制度コンサルタント


【関連記事】
■「なんちゃってジョブ型」で失敗する企業の共通点 (村井庸介 人事コンサルタント)
https://sharescafe.net/62991952-20260207.html
■「地獄への道は親の愛情で舗装されている」受験トラウマを負った医師の正直な思い (蓮池林太郎 医師)
https://sharescafe.net/62970196-20260129.html
■「教育」という凶器で我が子を痛ぶらないために親が持つべき「全体最適」の受験戦略 (蓮池林太郎 医師)
https://sharescafe.net/62967661-20260128.html
■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー)
https://sharescafe.net/62674731-20250930.html
■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は年間800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー)
https://sharescafe.net/61186482-20240125.html


■プロフィール 村井庸介 株式会社番頭 代表取締役・人事制度コンサルタント
murai
大学卒業後は株式会社野村総合研究所に入社し、通信業・製造業の経営コンサルティングに携わる。その後リクルート、グリー、日本IBMに転職。その中で、グリー株式会社にて人事制度設計に携わった。2015年に独立後は、社員30名のベンチャー企業から5,000名を超える大企業まで幅広く人事制度設計や導入伴走に携わる。顧客業種は製造業、サービス、IT企業が中心。経営理念・事業戦略から逆算した人事制度構築を得意とする。Xで情報を発信中。

X:https://x.com/shagaibanto @shagaibanto

この執筆者の記事一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ
シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています
シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。
シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。
シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。