![]() こうした案件増加を背景に、求人サイトやエージェントでは業務委託の高単価案件が目立つようになり、「同じITの仕事なら、正社員より業務委託のほうが高く稼げそうだ」という印象を持ちやすい状況が生まれています。 実は、そのような求人の中には、企業側が労働者保護にかかる経費を負担したくないがために考えられた、「偽装フリーランス(偽装請負)」が含まれているのです。多くの若手がそこに気づかぬまま不利な条件を受け入れています。 本稿では、労働法と社会保険のしくみを踏まえながら、数字のマジックやIT業界特有の構造を整理し、これからキャリアを築いていくエンジニアがどのように身を守り、選択していけるのかを考えていきます。 ■「フリーランスは稼げる」という錯覚を解体する IT業界では、業務委託の報酬は、同じような仕事内容であっても正社員の給与より高く見えることがあります。そのため、一見すると業務委託のほうが「お得」な働き方のように感じられることも少なくありません。しかし、これは企業側が負担すべきコストを労働者に転嫁しているだけに過ぎません。 正社員を一人雇用する際、企業は額面給与以外に多額のコストを支払っています。社会保険料の会社負担分は給与額の約15%に達し、雇用保険や労災保険、有給休暇のコスト、さらに企業によっては退職金積立や法定外福利厚生も含まれます。これらを考慮すると、額面30万円の正社員を維持するために企業が支出する実質的なコスト、いわゆる総人件費は月額約40万円から45万円に達します。 一方、業務委託で月40万円の報酬を提示した場合、企業側の支出は40万円で完結します。正社員の30万円より高額収入に見えますが、請け負う側はそこから国民健康保険、国民年金を全額自己負担で支払い、確定申告による所得税や住民税の納付、事務の手間なども発生します。 さらに、正社員にはある傷病手当金や労災保険がないため、万が一の際の経済的リスクを自分一人で背負うことになります。 経済学的に言えば、安定した雇用を手放す代わりに負う失業リスクや病気リスクには、本来リスクプレミアムとして上乗せ報酬が支払われるべきです。それにもかかわらず、正社員の総人件費を下回る水準の業務委託報酬で契約してしまうことは、自身の労働価値をディスカウントしているのと同じなのです。 目先の「額面の高さ」ではなく、生涯賃金と心身の健康、そして法的な権利を含めたトータルな報酬を見極める視点が不可欠です。 ■IT業界に蔓延する偽装請負のチェックポイント 契約書に「業務委託」と書かれていても、実態として以下のような状況にある場合、それは法的には雇用とみなされる可能性が高い偽装請負です。 第一に、指揮命令系統の存在です。「このコードをこの手順で、今日中に書き換えてください」といった具体的な作業指示を客先の社員から受けている場合、それは実質的な指揮命令下にある労働です。 本来、フリーランスは成果物の完成や善管注意義務に基づいた事務遂行に責任を持つのであり、日々の作業プロセスを細かく指示される筋合いはありません。 第二に、時間的・場所的な拘束です。「毎日9時に客先に常駐し、18時まで席で業務を行う」といった拘束も、労働者性を強める要因です。特に、遅刻や早退に対して報酬を分単位で控除する仕組みは、時給で働く労働者の特徴そのものです。 自前のPCやソフトを使用せず、客先から貸与された機器での作業を強制され、かつその使用方法に強い制約がある場合も、事業者としての独立性が疑われます。 2025年の河合塾講師事件では、「業務委託契約」の講師について、裁判所が労働者性を認め、復職と10年分以上の賃金支払いを命じる判断が示されました。名目上は個人事業主でしたが、授業時間、内容、進め方、勤務校舎などを学校側が詳細に指示していた点が重視されています。 この判決は、「契約書に何と書いてあるか」よりも、「誰がどこまで指示し、どのように働かされていたか」という実態が決定的だということを、改めて示したと言えます。 ITエンジニアの現場でも、自分の働き方がこのパターンに近づいていないか、定期的に振り返る必要があります。 ■若手エンジニアが自分のキャリアを作るために IT業界では、偽装請負ではないかと疑われる案件も少なくない中で、若手エンジニアはどのように自分のキャリアを作っていけばよいのでしょうか。 第一に、若手エンジニアにとって最大の武器は時間です。IT業界では2〜3年の実務経験があれば転職市場での立場が大きく変わります。今は選択肢が少なく見えても、そこで得たスキルと実績は確実にあなたの資産になります。重要なのは、「今この案件を受けることで、2年後の自分にどんなスキルが残るか」を冷静に見極めることです。単純作業の繰り返しでスキルが積み上がらない案件は避け、たとえ報酬が少し低くても、新しい技術に触れられ、ポートフォリオに載せられる実績が作れる案件を選ぶ――そんな「時間を味方につける」発想が、キャリアの中長期的な格差を生みます。 修行か搾取かを分ける基準は、「その経験が自分の市場価値を上げるかどうか」です。 第二に、一人で戦う必要はありません。 フリーランスエンジニア向けのコミュニティや、個人加盟が可能なユニオン、職能団体などは、あいまいな契約やハラスメント、報酬未払いなどの相談を受けつつ、企業の実態に関する情報も蓄積しています。 そうした場に参加すると、「あの企業は実際どうだった」「この単価は業界水準として妥当か」といった、求人票からは見えない情報にアクセスできます。 「自分だけが不利な条件を飲まされているのではないか」という不安を共有し、時には集団で声を上げることも可能になります。 ■2024年施行「フリーランス保護法」と公的・専門的な相談先 2024年11月に施行されたフリーランス・事業者間取引適正化法(いわゆるフリーランス保護法)は、取引の適正化を目的とし、報酬の支払期日の設定や一方的な報酬減額の禁止、ハラスメントの防止などを定めています。 ただし、この法律が保護するのは、あくまで「実態として独立した事業者として働くフリーランス」であり、実態としては雇用にあたる働き方までカバーするものではありません。現場で日々の業務指示を受け、時間と場所を拘束されるような働き方であれば、本来守られるべきは労働基準法や労働契約法、労働者派遣法などです。 「自分の働き方はどちらに近いのか」を確かめるために、公的な相談窓口を活用することができます。 厚生労働省は「労働者性に疑義がある方の労働基準法等違反相談窓口」を労働基準監督署に設置し、契約名目と実態が食い違うケースについての相談に応じています。 各都道府県の労働局が設置する総合労働相談コーナーも、雇止めや残業代、ハラスメント、偽装請負など、幅広い労働相談を無料で受け付けています。 個人加盟が可能な地域ユニオンやIT系の職能ユニオンは、団体交渉権を持つ主体として、企業側との話し合いの場を作り、偽装請負の是正や労働条件の改善を迫った事例も報告されています。一人では会社に物を言いにくくても、組合を通じてであれば声を届けやすくなる、という現実的なメリットがあります。 ■キャリアの自律とは何か 最後に、「キャリアの自律」という言葉について考えてみたいと思います。「フリーランス」という言葉の響きにある「自由」は、強い自律心と最低限の法的知識、不当な要求を拒絶する勇気があって初めて成立するものです。 企業に時間も場所も業務内容も管理され、その一方で保障だけを切り捨てられる状態は、自由でも独立でもありません。不適切な市場には参加しない、あるいは参加するとしても「本来要求されるべき単価」から安易に値引きしないという態度が、長期的には自分自身と後輩世代の市場価値を守ることにつながります。 今は厳しい状況でも、時間と戦略を味方につければ未来は変えられます。今すぐ環境を変えられなくても、2年後の自分を見据えて、スキルを積み、日々の指示や勤怠の記録を残し、コミュニティやユニオンで仲間とつながり、必要に応じて公的機関の力を借りる――そうした一つ一つの行動が、キャリアの土台を確かなものにしていきます。 エンジニアのキャリアを守るのは、エージェントでもクライアントでもなく、正しい情報と外部資源を活用しながら自律的な職業観を持つという、自身の姿勢なのです。 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 【関連記事】 ■退職代行の利用は個人のわがままではなく職場環境の機能不全~その処方箋とは(李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62999061-20260210.html ■終業後の自己研鑽は労働時間か? (李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62975675-20260201.html ■「逆パワハラ」は立派なパワハラ―「部下だからおとがめ無し」なワケがない (李怜香 社会保険労務士) https://sharescafe.net/62970425-20260130.html ■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/62674731-20250930.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/61186482-20240125.html ■プロフィール 李怜香 社会保険労務士・産業カウンセラー・ハラスメント防止コンサルタント 早稲田大学卒業。1999年、宇都宮市にて李社会保険労務士事務所(現 メンタルサポートろうむ)を開業。2011年、産業カウンセラー登録。2012年、ハラスメント防止コンサルタント認定、(公財)21世紀職業財団ハラスメント防止研修客員講師に就任。2019年、健康経営エキスパートアドバイザー認定(第1期)。 官公庁から大手企業、教育機関まで幅広い分野で研修実績があるハラスメント対策のエキスパート。ハラスメント外部相談窓口の相談対応や、事案解決支援の経験を活かした実践的な指導には定評があり研修受講者からの満足度は90%以上。 法的知識とカウンセリングスキルを組み合わせた独自のアプローチにより職場のメンタルヘルスやハラスメント防止の分野で企業をサポートしている。岐阜県生まれ。 公式サイト https://yhlee.org/wp/ X: https://x.com/mental_sp_roumu @mental_sp_roumu YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCGilZsldcxBgu5k5vzqWptw シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |


