![]() タレントが個人事務所を作ると言えば、次に来る言葉は「独立」か「卒業」である。だが、今回の話は違う。主な活動の場を個人事務所へ移すが、現在の所属事務所であるカバーから卒業はしない。カバーは運営企業に出資し、独立と関係維持を両立させる新たな所属モデルを示したのである。 ここで見るべきは、独立したのに切れていない、という点である。個人で動きながら会社との関係も残し、しかも会社はその受け皿に出資までした。それはリクルートやDeNAにも見られる、組織が「ハブ」になるという生存戦略だ。これはただの芸能ニュースではない。会社とタレントの付き合い方そのものが変わり始めた、というニュースである。この新たな流れについて、中小企業診断士の視点から考えてみたい。 ■個人事務所設立は関係性の再設計 人気タレントの独立はタレント事務所にとって最大の痛手である。売上は減り、ファンも流れる。だから多くの会社は、必死でタレントを引き留めるが、辞めたら関係を切りサポートも停止する。 だが、今のVTuber業界は単純ではない。ファンは事務所よりも演者本人についている面が強いからである。この業界では、演者が事務所を卒業した後、別のキャラクターとして再デビューすることを「転生」と呼ぶ。しかも、転生してもファンがそのまま追いかけるケースは珍しくなく、実際に転生後にYouTube登録者数100万人を突破した例もある。 ここから分かるのは、事務所にとっての本当の損失は、演者が辞めること自体ではないということだ。演者の離脱と一緒に、ファンとの接点や、その先の案件、物販、ブランド価値まで外に流れてしまうことの方が痛い。 だから今回の星街すいせいの件は、流出を許した弱い会社の話ではない。カバーは、完全に失うより、外に出ても関係を残す方が得だと判断したのである。個人事務所の設立を認めたうえで出資まで行ったのは、所属という形そのものより、星街すいせいとの接点、IP、案件、ブランド、ファンとのつながりを残す方が企業価値につながると見たからだ。そこが残るなら、一部の収益が外に出ても、会社としては十分に勝負になる。 逆に言えば、卒業によって関係が完全に切れてしまう方が、会社にとってはよほど痛い。どれだけ人気のある演者でも、接点がゼロになれば、その先に生まれる価値は会社に戻ってこないからである。 私はこの判断を、単なる温情や例外対応とは見ない。囲い込みが通じない時代に合わせて、会社の仕組みを変えたのだ。人を辞めさせない会社が強い時代から、外に出ても戻ってくる関係を作れる会社が強い時代への転換である。 ■カバーが「独立」を許した本当の理由 昔の芸能界では、独立はほぼケンカ別れと同じ意味だった。事務所を出るなら関係は切れる、仕事も切れる。だから会社は、人気が出た人ほど手放したくなかった。これはある意味で当然である。育てるのに金も時間もかかるし、売れた後に抜けられたら、会社は投資を回収しにくいからだ。 その前提で見ると、星街すいせいの件はかなり異例である。普通なら、個人事務所を作るなら卒業に近づく話になる。ところが今回は卒業しないだけではなく、カバーは出資までした。つまり、出ていくなら切る、という昔のルールを自分から崩したのである。 ここで大事なのは、なぜカバーがそこまでしたのかである。答えは単純で、無理に囲い込んでも今の時代はうまくいかないからだ。力のある個人ほど、音楽、ライブ、企業案件、海外展開とやりたいことが増え、一つの会社の枠だけでは動きにくくなる。そこで会社が「全部うちの中でやれ」と縛れば、本人は苦しくなり、最後は完全に離れる。だったら守るべきなのは、名簿の上の所属ではなく、外に出ても一緒に仕事ができる関係である。収益の一部が外に出るのは痛いが、全部失うよりはいい。カバーはそこを感情ではなく計算で見た。私はそこに、今回の判断の冷静さを感じる。 星街すいせいほどの人気タレントになれば、会社の中だけで完結する方がむしろ不自然である。活動の幅が広がれば、本人の意思も強くなるし、外に作った方が動きやすい仕事も増える。だからカバーは、止めても意味がないと分かったからこそ、流出しても価値が戻る会社へ先に形を作り替えたのである。 ■リクルートやDeNAに学ぶ、組織を「ハブ」にする生存戦略 この考え方は、何もVTuber業界だけの話ではない。たとえばリクルートでは、退職者を卒業生と呼び、退職者の会合に現役社長が出席したり、資金提供を行っている(参考・リクルートが退職者を「卒業生」と呼んで大切にする4つの理由 HUMANWORK)。 外に出た人が活躍すれば、その人脈も情報も仕事も、また元の会社に返ってくる可能性がある。つまり、会社の外に出ることを損失ではなく、別ルートの資産に変えているのである。 DeNAでも、南場氏が「失いたくない人材から順にお尻を叩きに行こう」と語っている。普通の会社なら、辞めてほしくない人ほど囲い込みたくなる。だがDeNAはそこを逆に考えた。独立した人の会社に平均10%程度を出資し、資本の大半は本人に持たせる考えまで示している。さらに南場氏は、「コトを為す単位が会社ではなくプロジェクトになっていく」とも語っている。つまり、同じ会社にいるかどうかより、必要な仕事でまた一緒に組めるかどうかが大事だということだ。退職は関係の終わりではなく、関係の形が変わるだけだと見ているのである(参考・DeNA南場氏が語った「社員が卒業する寂しさ」経営者は退職にどう向き合うべきか? ログミーBusiness 2020/04/10) カバーの今回の動きもこれに近い。タレントが外で活躍しても、仕事やブランド価値、投資機会の一部が戻ってくる「ハブ」になった方が強い。リクルートやDeNAが人材で進めてきた発想を、カバーはVTuberでやり始めたのである。 ■組織の時代から個を活かす時代へ ここで多くの人が感じるのは、「こんな形を認めたら、ほかのタレントも次々に独立して、事務所が空っぽになるのではないか」という不安である。たしかに昔の考え方ならそう見える。会社の強さは、何人を内側に抱え込めるかで決まると思われてきたからだ。 だが今は逆である。無理に囲い込む方が、むしろ一気に切れやすい。本人に自由がなく、外に出る道もなく、関係の残し方もないなら、最後は全部切るしかなくなる。会社が失うのは、タレントだけではない。ファンも、案件も、話題も、一緒に外へ流れていく。 だから重要なのは、独立をゼロにすることではない。独立しても関係が続き、出たあとも戻れる道を作っておくことである。これからの会社に必要なのは、「うちを辞めるな」と言うことではなく、外に出た人が「またこの会社と仕事をしたい」と思える状態を作ることだ。そこができる会社は強い。できない会社は、人を縛るしかなくなる。 では、その魅力とは何か。分かりやすく言えば、個人では持ちにくい土台である。信用、ブランド、営業力、資本、案件、人のつながり。そうしたものを会社が出せるなら、外に出た人でも「この会社と組んだ方が大きな仕事になる」と考える。 優秀な個人が会社の外に出る流れそのものは、もう止められない。だからこれから強い組織は、「誰を抱え込めるか」で勝つのではない。「誰が外に出ても、また一緒にやりたいと思われるか」で勝つ。星街すいせいとカバーの関係は、新しい時代の始まりを示している。 濵口誠一 中小企業診断士 【関連記事】 ■「食えない資格」中小企業診断士が会社員に注目されるようになった理由(濵口誠一 中小企業診断士) https://sharescafe.net/62650313-20250919.html ■Switch2の落選地獄は任天堂の「品薄商法」なのか(濵口誠一 中小企業診断士) https://sharescafe.net/62572364-20250817.html ■UUUMの二の舞?VTuber事務所にみる“人で稼ぐ”モデルの崩壊リスク(濵口誠一 中小企業診断士) https://sharescafe.net/62472607-20250705.html ■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/62674731-20250930.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/61186482-20240125.html 【プロフィール 濵口誠一 中小企業診断士】 売上2〜5億で成長が止まりやすい「社長依存」企業向けに、勝ち筋の明確化・組織の方向づけ・仕組み化を一気通貫で支援。調剤薬局の売上を6億から30億へと成長支援した実績を持ち、社長が躓く成長の壁を二人三脚で一緒に乗り越える。 公式サイト https://billion-break.com/ X:https://x.com/hamatoukon @hamatoukon シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |



