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「演劇は、平和じゃないとできない」

表現に関わる多くの人が口にする言葉だ。しかし、かつて演劇が「不要不急」とされたとき、劇作家である私はこの言葉の意味を問い直さざるを得なかった。アイデンティティを否定されるような感覚に陥った表現者も多かったはずだ。

演劇が社会に貢献できることは何か。その問いが、すべての始まりだった。 役に立たないことが価値とされる舞台芸術の世界で、あえて「いかに役に立つか」を考え始めた。

仲間からの誘いで少年院での演劇ワークショップを始めることになり、知見を深めるべく劇作家仲間に相談した。そこで紹介されたのが、イラクで紛争解決を目指す団体「ピースセルプロジェクト(PCP)」の平丸久美子氏だ。IS(イスラム国)の影響を受けた元少年兵の社会復帰や、被害者との対話という過酷な現場で、演劇は「関係性を編み直す技術」として機能しているという。

私は、フォーラムシアター(観客が途中で劇に介入し、登場人物の課題解決を一緒に探る演劇手法)の師である花崎攝(せつ)氏がこのプロジェクトに携わっていることもあり、活動のヒントを探るべく、国内で開催されたPCPのイベント「探求フェス」にアシスタントとして参加した。

■「囚われ」を可視化する小さなゲーム
PCPが現地イラクの子どもたちと行っている手法は、シンプルだが人間の本質を鋭く突くものだ。 例えば「キャンディワーク」。ファシリテーターが山盛りのキャンディをわしづかみにし、残ったわずかな分を参加者に分配させる。参加者は残りをどう分けるか話し合うが、最初に多くを独占した者に対して「それはおかしい」と声を上げる者はほとんど現れない。

あるいは「無人島のワーク」。島に流れ着いた他者を家族として受け入れられるかを想像してもらう。平丸氏が日本でこれを行った際、「血の繋がりがなければ家族ではない」と言い切った少年がいたという。しかし、彼に「犬は家族だと思う?」と尋ねると、迷わず「家族だ」と答えたそうだ。「犬は血が繋がっていないけれど、家族なんだね」と問い返されたとき、彼の表情にハッとした気づきが生まれたという。

一方で、現地イラクの子どもたちの反応は全く異なるそうだ。イラクでは「一緒にご飯を食べたら家族」という声がほとんどで、他には「二人暮らしは人数が少なすぎて家族とは言わない」といった意見が出たという。

また特に印象的だったのは、「ニワトリが家族になったら、犬は家族になれない」という子どもの発言だったそうだ。理由を聞くと、「犬はニワトリを傷つけるから。家族を傷つけたらもう家族じゃない」という答えが返ってきたという。

イラクは男性優位の社会であり、国際機関の調査でも家庭内暴力(DV)の深刻さが指摘されている。実際、家庭内で妻が夫に暴力を振るわれるといったケースも多い。子どもたちの言葉には、そうした家庭内の現実が地続きで投影されているのだ。

これはただのレクリエーションではない。自分が無意識のうちに何を当然とし、誰を「排除すべき他者」として境界線を引いているか。あるいは、いかなる環境に囚われているか。その「囚われ」を自覚する体験なのだ。

■身体を通る「他者の言葉」の衝撃
昨年の「探求フェス」では、参加者と共に朗読劇を行うワークショップを実施した。演目は『敵の声を聴く~ガザ・イスラエル~』。 プロの俳優が演じ、観客が楽しむエンターテインメントとしての朗読劇に対し、今回のような「アプライド・シアター(応用演劇:演劇の技術を社会課題の解決や教育に活用する手法)」の文脈での朗読劇は、性質が全く異なる。物語の完結ではなく、他者の置かれた状況を自分の身体を通して検証する「プロセス」に重きを置くからだ。

ワークでは、部屋の大部分をイスラエル、隅の狭い一部を「ガザ」と見立てた。私たちは地図でガザの狭さを確認し、網の張られた膝高ほどの仕切りで区切った。心理的安全性を担保するため、いつでも離脱できるレストスペースも設けた。他者の人生に肉体を貸し出す行為は、それほどまでに強い体感を伴う。

私はガザの人の声を担当した。ほんの数行、自分たちの家族が酷い目に遭っている様子を読む。そこへ、安全な場所にいる遠い国の人間から、他人事としての心無い言葉が浴びせられる。現地の言葉を読み上げたとき、想像を超えた「息が詰まるような身体感覚」に襲われた。肉体を通すと、殺戮の悲惨さと世界に見放される孤独が皮膚の上を走る。

■圧倒的な断絶に「橋」を架ける
こうした表現や対話を使った「身体的な気づき」は、イラクの過酷な社会課題へのアプローチとして試行錯誤されている。現地では元少年兵の社会復帰が大きな壁となっており、被害を受けた村では、殺したいほどの憎しみが渦巻く断絶状態にある。

PCPとドホーク大学が協力して行うワークショップは、心理的安全性を確保することに重きを置いている。ここには、異なる宗教、宗派、民族、部族が共存しており、それぞれのアイデンティティが強固に形成されている。

それに加えて、度重なる紛争が、修復不可能と思えるほどに分断を深めてしまっているのだ。イスラム過激派が暴虐の限りを尽くし、加害者と被害者に分断されてしまったイラク第2の都市モスルでは、さらに慎重さが求められる。

PCPが実施している職業訓練では、コミュニティの若者と少年院出身の元子ども兵が肩を並べて学ぶ。しかし、ここでもお互いの背景を明かさず、共通の目的(技術の習得)を果たすことに集中してもらう。立場は違えど、同じ年代の若者の悩みは、貧困や失業問題が大きいからだ。

また、地元の人権団体が実施したという対話ワークショップの事例も非常に興味深い。元IS兵士の妻たちと、地元の村の女性たちを一緒に対話させる際、最初はお互いの背景を一切明かさない。

まずは「夫の愚痴」といった他愛もない雑談や、お化粧、ファッションのワークから始める。そこから少しずつ、夫による暴力や支配といった深刻な悩みの共感へと進み、段階的に距離を縮めていくのだ。相手が自分と同じ人間であることを肌で感じ、共通の悩みや楽しみを共有した後で、ようやく相手の背景を明かしていく。 「仲良くなってから正体を知る」という手法に、私は強い衝撃を受けた。

拒絶や攻撃は、ある意味で心を守るための防衛反応だ。だが、相手の「個別の事情」に触れることで、その防衛の壁に綻びが生じる。 敵だと思っていた人は、もしかすると自分だったかもしれない。正義と信じるものを問い直す。劇薬のような方法だが、そこに断絶を超える糸口がある。分かりあうことは難しくても、知らない相手に想像で貼った「ラベル」を剥がすことには繋がるはずだ。

️■劇作家が社会の中で求められる「役割」とは
探求フェスにはイスラエル演劇の研究者・村井華代氏も参加され、朗読劇のあとに現地の話を伺った。その際、師の花崎氏が「劇作家です」と私を丁寧に紹介してくれた。村井氏もまた、姿勢を正して応えてくださった。

イスラエルにおいて、劇作家は大きな存在感を持つ職業だという。

ユダヤ文化圏には、単にお金になるスキル以上に、精神的・思想的な営みを重んじる土壌があるそうだ。作家や劇作家、芸術家はその象徴的な存在でもあった(ただし、現在のイスラエルではその空気も変化しつつあるという)。

朗読劇の終盤、ガザの狭い囲いの中にいた私の耳に、イスラエル側のエリアから劇作家たちの言葉が届いた。それは、この朗読劇の台本に組み込まれていた、イスラエルの文化人ら1300名余りが出した声明「ガザの恐怖を止めろ」の一節だった。

【イスラエルの文化人・芸術家による声明】
『「私たちイスラエルの文化人・芸術家は、自分たちの意志と価値観に反し、イスラエル市民としてガザにおける恐ろしい出来事──特に子どもたちと民間人の殺害、飢餓、住民排除、そしてガザの都市への無意味な破壊への──責任を共に負っています。私たちはこの政策を作り実行するすべての人々に訴えます──止めてください!違法な命令を出したり、従ったりしないでください! 戦争犯罪に加わるリスクを犯さないでください!人間的道徳の原則とユダヤ教の価値感を放棄しないでください!ガザの恐怖を、止めてください!」』

ただ文字として目で読んだ時とは、全く違う衝撃だった。実際の当事者たちの苦しみには到底及ぶはずもないが、「ガザ側」の役としてその声を浴びたとき、言葉は痛烈な体感を伴って迫ってきた。境界線の向こうから響く声は、単なる政治的メッセージを超えて、こちらの命のために叫ばれた祈りのように私の肉体に突き刺さったのだ。

私たちは言葉を交わすとき、本来そこにあるはずの心や肉体を、どこかに置き去りにしているのかもしれない。「敵の声を聴く」というタイトルの真意を、そこで噛み締めた。

■演劇は平和をたぐり寄せられるか
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「平和だから演劇ができるのか、あるいは演劇が平和をたぐり寄せられるのか」 イラクの活動を知り、探求フェスを経験し、少年院や企業や行政のプログラムを創る中で、そしてキャラクターミュージカルの劇作に携わりながら、私は今、その問いの前に立っている。

人が人である限り、他者との関わりの悩みは尽きない。エンターテインメントであれ芸術であれ応用演劇であれ、心と肉体を使う表現とコミュニケーションには人と人を結ぶ強力な力がある。私はたとえ劇場が破壊されても、分断された対話の試行として演劇を続けていく。

自分とは違う考えの誰かの声を肉体に通し、背景を感じること。その「不快なほどの共感(エンパシー)」こそが、引き金にかけた指を止めさせる、最も強固な防波堤になるはずだ。

イラクで活動するメンバーたちは、一人ひとりの心の中に「平和の細胞(ピースセル)」を増やす地道な営みを続けている。平穏ではない場所だからこそ、エンパシーを育み続ける。どんな職業でも自分と違う他者の背景に想いを馳せ、手を差し伸べることは出来る。その微かな「細胞」の増殖こそが、新しい関係性を編み直す道となるのではないだろうか。


葛木英(くずき・あきら) 脚本家・演出家・Stage Connect代表


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■プロフィール 葛木英(くずき・あきら) 脚本家・演出家・Stage Connect代表
kuzuki
25年のキャリアを持つ現役脚本家。エンターテインメント作品の他、応用演劇の手法“フォーラムシアター”を使った少年院での更生支援や、行政の人権ワークショップ、企業の組織開発研修を実践。表現コミュニケーション教育の持つ「答えのない世界で生き抜く力」を、具体的なワークショップや研修プログラムへと落とし込む。パワハラ予防士、折れない心を育てるいのちの授業認定講師。いしかわ観光特使。

公式サイト http://www.stage-connect.com
X https://x.com/kuzukiakira @kuzukiakira
公式サイト(個人) http://www.kuzukiakira.work

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