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■なぜか行く先々で「嫌な人」が現れる現象
「人間関係が理由で転職したのに、新しい職場でもまた同じようなタイプの人に悩まされる……」こうした悩みを持っている人は少なくありません。ときに「私は仕事ができない人間なんだ」などと思いつめてしまうかもしれません。

しかし実は、このような「どこに行っても同じような悩みが繰り返される」背景には、個人の性格や資質とは別に、脳の仕組みが関係しています。それは脳の「自動保存」です。古い記憶を消そうとすればするほど、より記憶が強化されてしまう仕組みが脳には備わっているのです。

なぜ、行く先々で「嫌な人」が現れるという現象が起こるのか? どうすれば嫌な記憶を引きずらず、新しい環境で快適に過ごすことができるのか? 脳が備えている特定のシステムと、そこから派生するエラーのメカニズムを解き明かし、同じ悩みを繰り返さないための具体的なアクションを、精神科医の立場からお伝えします。

■脳のシステムには「削除ボタン」がない
人間の脳はよく情報処理を行うパソコンに例えられます。しかし、パソコンと違うのが、特定の記憶だけを選択して消去する機能がないことです。それどころか、「記憶を消そう」と試みるほど、脳はその対象を強く認識する傾向があります。

神経科学における記憶抑制の研究(※1)によると、特定の記憶を意図的に消そうとする際、脳の前頭前野などの領域が活性化します。この領域は不要な思考を制御しようと機能しますが、このプロセスが働くこと自体が、かえって脳内での検索回数を増やし、忘れたい記憶をさらに定着させやすくするエラーを引き起こすことが分かっています。

これは、脳が過去の経験に基づいて不利益を回避しようとする生物学的な防衛システムなのですが、意図に反して記憶を強化してしまう側面を持っています。

■過去のデータに基づく「警戒モード」の継続
脳は一度「周囲から不利益を被った」と学習すると、環境が変わってもそのデータを引き継いで稼働し続けます。

理化学研究所の研究(2014年)によると、強いストレスや恐怖を経験すると、不安や危機管理を司る脳の「扁桃体」に、強固な神経ネットワークが形成されます。生存確率を高めるためのシステムとして、脳は一時的な快感よりも、生命や立場を脅かすリスクに関する情報を優先的に保持する特性があるためです(※2)。

このメカニズムにより、新しい職場に移った後も、脳はバックグラウンドで「周囲にリスク要因はないか」と監視し続けます。その結果、他人の何気ない一言や、なんとなく不機嫌そうな他人の様子を、脳の認知システムが「自分に対する攻撃の兆候」として過剰に受け取りやすくなります。

環境を変えても同じ悩みが続く場合、それは環境だけの問題ではなく、脳の情報処理システムが過去のデータベースに基づいて過剰に作動しているという、構造的な因果関係が考えられます。

つまり、こうした脳の仕組みにより、一度不利益を被ったタイプの人間の記憶を脳が保持してしまうのです。それにより、新しい職場に行っても同じタイプの「嫌な人」に過剰に反応してしまうという現象が起こります。

■回路は消去せず「上書き」で対応する
この脳のシステムによる認知のエラーに対応するためには、古い記憶を消去しようとするのではなく、別の神経回路を活性化させて「上書き」する方法が有効です。

具体的なアプローチとして、1日の終わりに「その日に起きた、快適な瞬間」を能動的に思い出します。「同僚がスムーズに業務を引き継いでくれた」「昼食が口に合った」など、快適だった事実を言葉にします。感覚としては負担なくできたことですが、「ない」ことは脳が新たな情報として認識しないので、あえて 「快適な事実」と表現しています。

脳の可塑性(かそせい)という性質により、神経回路は「繰り返し電気信号が流れるルートほど結合が強化される」という仕組みを持っています。意識的に別の事実に焦点を当てる時間を増やすことで、その認知ルートが優先され、作動回数の減った古い警戒回路は徐々に回路が弱まっていきます。

悩みのループは、性格や能力の問題ではなく、過去のデータからリスクを過剰識別する脳の防衛システムが原因です。

古い記憶を消そうとするのではなく、「快適な瞬間」を言葉にすることで、神経回路を書き換えることができます。そうすることで、悩みのループは断たれるでしょう。

【参考】
(※1)嫌な記憶を忘れる脳のメカニズム 前頭前野による海馬抑制
Anderson MC, Ochsner KN, Kuhl B, Cooper J, Robertson E, Gabrieli SW, Glover GH, Gabrieli JD. Neural systems underlying the suppression of unwanted memories. Science. 2004 Jan 9;303(5655):232-5.

(※2)怖い体験が記憶として脳に刻まれるメカニズムの解明
Joshua P. Johansen, Lorenzo Diaz-Mataix, Hiroki Hamanaka, Takaaki Ozawa, Edgar Ycu, Jenny Koivumaa, Ashwani Kumar, Mian Hou, Karl Deisseroth, Edward Boyden and Joseph E. LeDoux, "Hebbian and neuromodulatory mechanisms interact to trigger associative memory formation", Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 2014


西川晶子 精神科専門医・産業医・医学博士・公認心理師


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■プロフィール 西川晶子 精神科専門医・産業医・医学博士・公認心理師
早稲田大学大学院(心理学修士)を修了後、外務省に入省。その後、スタンフォード大学大学院にてコミュニケーション学修士号を取得。国際協力の現場でメンタルケアの重要性を再認識したことを機に、より直接的に人を癒やす道を志して滋賀医科大学へ学士編入学。卒業後、医師となってからは、精神科医として臨床に携わり、産業医として「働く現場」の快適な環境づくりをサポートしている。現在は、認知心理学と脳科学の知見を統合し、脳への「入力情報」をかえて、コンディションを整える独自のメソッドを共同開発中。「もっと頑張りたい」とか「頑張れない」と思う人々の心の安定性と快適さを引き出し、しなやかなパフォーマンスの発揮を追求している。

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