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日本経済新聞社がまとめた2026年の賃金動向調査で、人件費の総額が前年より増える見込みと答えた企業は78.6%にのぼった。定期昇給とベースアップを合わせた平均賃上げ率は5.4%だった。

これは「景気のいい会社が気前よく給料を上げている」という話だけではない。人が採れない。辞められると困る。だから、先に条件を整えざるを得ない会社が増えている、という話でもある。

人件費はもちろんコストである。損益計算書を見れば、利益を押し下げる支出として目に入る。だが、コストの一行としてだけ見ると、採用条件や働き方の見直しが後回しになる。社員が辞めそうな空気や、応募者に選ばれない理由は、損益計算書にはすぐ出てこないからだ。

筆者はIT、建設、人材、金融の領域で事業をつくり、失敗も重ねてきた。人を採れない苦しさも、幹部が去っていく怖さも知っている。いま、社長は人件費をどう捉えるべきなのか、経営者の視点から考えてみたい。

■社員と応募者は、もう比べている
社長が見ている数字と、働く人が見ている数字は違う。

社長は売上、粗利、販管費を見る。その中に人件費がある。毎月の資金繰りもある。数字としては正しい。
一方で、社員は外の求人を見る。応募者は他社の条件を見る。給料だけではない。働き方、任される仕事、社長の言葉、会社の空気まで見ている。そこで「ここに残る理由があるか」「ここに入る理由があるか」を判断する。

帝国データバンクの「2026年度の賃金動向に関する企業の意識調査」では、2026年度に賃金改善を見込む企業は63.5%だった。理由のトップは「労働力の定着・確保」で74.3%である。景気が良いから払うというより、人を失わないために払う会社が増えている。

つまり、人件費増は単なる支出増ではない。会社が働く人から選ばれ直しているサインである。

■「利益が出たら上げる」では遅い
社長が「利益が出たら人に回す」と考えるのは自然だ。原資がなければ賃上げは続かない。無理をして上げれば、会社そのものが危うくなる。

ただ、採用の現場では順番が逆になることがある。利益が出る前に、人が足りなくなる。人が足りないから売上を伸ばせない。売上が伸びないから給料を上げられない。この循環に入ると、求人広告を増やしても苦しくなる。

応募が来ない。内定を出しても辞退される。社員が静かに転職サイトを見る。その段階で慌てて条件を見直しても、相手の心はもう別の会社に向いていることがある。

人件費をコストとして見るな、という意味ではない。コストとして見たうえで、人が残るか、人が来るかを同時に見る必要がある、ということだ。

■求人広告150万円で、採用ゼロだった
筆者にも、人の問題で痛い失敗がある。

IT人材を企業に紹介する事業を立ち上げたとき、求人広告に150万円をかけた。YouTubeにも大きく投資した。外部の支援会社には月60万円を払い、求人も面接も営業まで任せきりにした。BBQや麻雀大会、ゲーム大会も試した。

結果は、採用ゼロだった。

当時の筆者は、採用を広告やイベントの問題だと思っていた。実際は違った。誰が経営の顔として立つのか。どんな案件を選べるのか。働く人が納得できる仕組みになっているのか。そこを見られていた。

転機は、「エンジニアじゃない人に人生は預けたくない」という言葉との出会いだった。筆者自身はエンジニアではない。だからこそ、エンジニアの共同代表と組み、案件を選べる仕組みをつくり、経営の顔をエンジニア側に寄せた。地道に営業し、地道に採用した。そこから事業は動き、4年で売上5億円まで伸びた。

これはきれいな成功談ではない。採用できなければ事業が死ぬ、という防衛の話だった。人件費は、最後に削る費用ではなく、社長が先に覚悟を決める投資だったのである。

■AIで、人件費の中身も変わる
いまは給料だけを見ていれば済む時代でもない。AIの導入で、誰が何を担当するのか、どの仕事を人が持ち、どの仕事をAIに任せるのかまで変わり始めている。

日経クロステックは、AIエージェントの普及でIT部門と人事部門の境界が曖昧になり、AI関連費用をシステム費ではなく人件費として捉え直す動きがあると報じた(参考:「情シスが人事に」「AI費用は人件費に」、AI社員誕生 火付け役はOpenClaw 日経クロステック 2026/06/02)。フリマアプリのメルカリも2026年6月、人事とAIの責任者を一体化し、働き方や組織の仕組みをAI前提で組み替えると発表した。

これはAI担当部署がある会社だけの話ではない。小さい会社でも、AIを入れれば仕事の分担は変わる。人を増やすのか、仕事を減らすのか、今いる社員の役割を変えるのか。そこを決めないままツールだけ入れても、現場は楽にならない。

人件費は、給料の総額だけではなくなっている。人とAIをどう組み合わせて、どの仕事で利益をつくるかまで含めて考える時代になっている。

■社長が説明できる会社に、人は残る
もちろん、人件費を上げれば利益は減る。その不安は正しい。資金繰りが苦しい会社ほど、きれいごとでは済まない。

だから社長が決めるべきなのは、金額だけではない。どの事業で利益をつくるのか。どの仕事をやめるのか。価格をどこまで顧客に説明するのか。AIで何を変えるのか。そこまで含めて、社員に説明する必要がある。

会社員のあなたも、給料の額だけを見ているわけではないはずだ。なぜ上げるのか。なぜ上げられないのか。来期は何を変えるのか。社長がそこを自分の言葉で話しているかどうかで、会社への見方は変わる。

人件費増のニュースは、社長にとって「いくら上げるか」だけの話ではない。社員と応募者に、会社がもう一度選ばれているという話である。

2026年、人件費をコストとしてだけ見る会社は苦しくなる。人に払うお金を、採用、定着、働き方、AIの使い方まで含めて考える会社は、採用でも定着でも強くなる。最後に問われるのは、社長がその理由を説明できるかどうかだ。


都築博志 株式会社グリーンイノベーションズホールディングス代表取締役


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■プロフィール 都築博志 株式会社グリーンイノベーションズホールディングス代表取締役
tsuzuki
IT、建設、人材、金融領域で5社のグループ会社を経営し、23年間で累計売上816億円超、最高年商76億円を達成。エンジェル投資23社。数々の新規事業と失敗を経験しながら、挑戦する人を応援する経営者コミュニティ「BIZFIT」を運営している。


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