![]() 私が映画の取材を通じて、若者支援に携わる様々なNPO関係者の方々と対話を重ねる中で、印象に残った言葉がある。それは「信じられる大人がたったひとりでもいれば、子どもは前向きに生きていける」という言葉だ。 子どもたちが生きる力を取り戻すうえで、身近な大人の存在がいかに重要であるかを示している。 しかし、その土台となる大人自身が社会や職場から孤立し、他者と本音で繋がる心の余裕を失っていたらどうだろうか。 厚生労働省や警察庁の統計を見ると、全年代の自殺者数はピーク時(年間3万人超)に比べれば減少傾向にあるものの、日本の大人の自殺率は先進国の中でも依然として高水準にある。そして、小中高生などの「子どもの自殺者数」に至っては年間500人前後と過去最多水準の高止まりが続いている。 子どもを取り巻く環境は、いわば大人の社会の鏡像だ。大人自身が社会的な孤立や関係性の悩みを抱え、ゆとりを無くしている社会では、子どもをあたたかく包み込む「信じられる大人」という存在そのものが激減してしまう。 特にコロナ禍以降、リモートワークやデジタル化が進み、業務の効率化や利便性は格段に向上した。しかし、それと引き換えに職場での本音の会話や人間関係は一気に希薄化したと感じる場面も増えた。 以前、ある大手医療機器メーカーのオフィスを訪れたことがある。そこは成果主義であり、給与体系は能力別に細かく分類されていることを説明された。その価値観に納得できる人には非常に合理的なシステムであると言える。 オフィスは優秀なデザイナーによって人の動線や心理的安全性が考え抜かれ、偶発的なコミュニケーションが自然と生まれるよう演出された、極めてクリエイティブな空間設計が施されていた。しかし、その意図とは裏腹に、広い空間の中で社員たちがわざわざ互いに距離を置き、黙々と一人で作業している姿に言葉にしがたい違和感を覚えた。 成果主義のもとでは、チームメンバーであっても時にライバルとなる。不確実な働き方のなかで、「人間関係どころではない」と必死に作業に没頭することは、短期的には企業から望まれている在り方なのかもしれない。 また、ある日、フォーマルなホテルのレストランで年商数億円を誇る優秀な経営者と食事をした際、彼がポツリと「僕、本当に友達がいないんですよ」と漏らしたことがある。実は、経営者の仲間たちと話していても、会社員の友人と話していても、本音を語り合える友達がいないと口にする大人は決して少なくない。むしろ、あまりにも多いのが現実だ。 日本のビジネスシーンには「職場は厳格であるべきだ」「仕事で楽しんではいけない」という思い込みが根強く存在する。「人を幸せにするのは売上や成果である」と信じ、ひたすら数字を追い求めるビジネスパーソンも多い。さらに近年では、コンプライアンスを意識しすぎるあまり、ハラスメントのリスクを恐れて「職場では余計な話をしないこと」が最適解になってしまっているケースさえ見受けられる。 本当にそうだろうか。そうして関係性を閉ざした職場からはエンゲージメントが失われ、最終的には離職の増加や、ノウハウを持った優秀な人材をグリップし続けられなくなるという深刻な課題につながっていく。大人たちが関係性を閉じ、働くことを苦痛として耐える姿を見て、子どもたちは将来に希望を持てるのだろうか。 ■「人間関係が5%良くなると幸福度は収入2倍分」という事実 実は、職場内の人間関係をほんの5%改善するだけで、個人の所得(年収)が2倍に増えるのと同等の幸福度が得られるという。これはラテンアメリカで行われた大規模な社会科学データが示す驚くべき事実だ。給料を今すぐ2倍にするのは難しくても、職場の関係性を少し良くすることなら今すぐ取り組める。 多くの企業が社員の幸福を願い、社会貢献を掲げた素晴らしい理念を持っている。だが、日々の業務のなかでは目先の目標数値に追われ、そうした理念が置き去りになってしまっているケースも少なくない。 しかし、この「関係性の質」を高めることこそが、巡り巡って組織の「理念(存在意義)」の体現のみならず、数字としての「結果」にも繋がっていくことが分かっている。 米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダニエル・キム教授が提唱した組織の成功循環モデルでは、成果を上げ続ける組織は結果ではなく「関係の質」から着手すると理論づけられている。 1. 互いを尊重し合える「関係の質」が高まる 2. 思考が柔軟になり「思考の質」が向上する 3. 主体的な「行動の質」が生まれる 4. 最終的に高い「結果の質」へと結実する 反対に関係性を置き去りにしたまま結果ばかりを求めると、短期的な成果こそ出ても、やがて対立と不信感が生まれ、思考が停止してしまう。 この土台となる「心理的安全性」の重要性を提示したのが、米Google社が約4年間の歳月をかけて数百もの社内チームを分析した大規模調査「プロジェクト・アリストテレス」だ。膨大なデータ分析の結果、業績の高いチームに共通していた最大の要素は、個人の能力やスキルの高さではなく、「他者に対して気兼ねなく発言でき、素の自分を出せる環境(心理的安全性)」の存在であることが証明されている。 ■なぜ演劇に関わる人たちは、一度の共演で何年も仲間でいられるのか? では、組織内でどのようにチーム構築を進めていけばいいのだろうか。ここで一つのヒントになるのが、演劇の手法を社会課題に応用する「応用演劇」というアプローチだ。 演劇に関わる人たちは、アルバイトなどをしながら活動している人も多く、世間からはどこか「ギャンブラーな生き方」に見えるかもしれない。経済的な安定を求めて選ぶ人は少ない職業だが、彼らが何より生き生きとして見えるのは、圧倒的に「人との繋がり」が濃いからだ。一度作品で共演すれば、何年経っても固い絆で結ばれた仲間でいられることも多い。なぜなら演劇の現場には、初対面同士であっても一瞬で心の壁を取り払い、お互いを信頼して自分をさらけ出すための「コミュニケーションの仕掛け」が凝縮されているからだ。 ビジネスの現場でも、即興劇(インプロ)を用いた柔軟性を養う研修や、あらかじめ決められた役割を演じるロールプレイング研修といった手法が導入されつつある。しかし、ハラスメントや対立といった「複雑な人間関係」や「ネガティブな課題」に直接アプローチできる手法として注目されているのが、1970年代にブラジルで生まれた「フォーラムシアター(討論演劇)」である。 フォーラムシアターの核となるのは、ハラスメントやコミュニケーション不全といった「チーム内のネガティブな課題」を正面から扱い、心・身体・頭のすべてを使って参加者全員で解決策を探るプロセスだ。 一般的なロールプレイングとフォーラムシアターの違いを整理する。 一般的なロールプレイング: 1対1で行われることが多く、あらかじめ座学などで指示された「望ましい対応(正解)」を再現できるか、答えに沿った対応ができるかを問う文脈で使われることも多い。 フォーラムシアター: 「正解はこうです」という座学から入らず、参加者全員で「どうすればいいのだろう?」と考えるところからスタート。1対1ではなく複数人の複雑な関係性のなかで、劇を止めながらさまざまなアプローチを実験し、チーム全体で解を模索していく能動的な学び。 以前、営業のロールプレイング研修に対する恐怖から、開始前に泣き出してしまった社員さんがいた企業から相談を受けたことがあった。心や身体を使う研修は、心理的負荷が高いにも関わらず、アイスブレイクなどの下準備なく「やってみましょう」と無邪気に行われているケースも多い。さらに評価されるプレッシャーや正解を求められる負荷が加わることで、時に参加者の心を追い詰めてしまうのだ。 そのためフォーラムシアター研修では、「不参加の選択もOK」「苦しい時は途中退席や途中でやめるのもOK」というルールをあらかじめ共有し、必ず一度は発言を行った上で、極限まで心理的安全性を高めたうえで行う。 これまで実際に退席した人はいないが、真剣に心を使うからこそ、感極まって一時ストップすることはある。しかし、それも全体で肯定的に受け止められることで、別の関わり方で研修を前向きに学んでいける。 心を使い、間違いも正解もない安全な場であるからこそ「どうすればこの状況が良くなるか」について場に活発な議論が生まれ、その場にいる全員が当事者としてより良い方向を模索し始めるのだ。また、自ら身体を動かして相手のリアルな反応を体感しながら解決策を探るからこそ、「自分の関わり方がどう見えているか(メタ認知)」や「どうアプローチすれば状況が変わるか(自己効力感)」を脳と身体で深く獲得できる。 実際にあるクライアント企業で実施した際も、研修後に社員たちが「あのガイドラインまとめる時間、いつ取りますか?」と自ら主体的に動き出し、社長を驚かせた。 ■知識やスキルを超えて、まず「安心できる関係性」を耕すこと ビジネスの現場において、ロジカルシンキングで学んだ「正論」だけでは人間関係のトラブルを解決できないことが多い。人間は複雑であり、正面から正論でぶつかればハレーションを起こしやすいからだ。 フォーラムシアターのように、現実に起こり得るネガティブなトラブルや課題に対し、チームで思考と身体をフル活用して解決策を模索するプロセスは、いわば「組織の避難訓練」のような共通体験となる。あらかじめチームで課題に向き合った体験を共有しておくことで、有事が起きた際にとっさに連携が生まれる安心感が社内に醸成されていく。 どれほど優秀なスキルを磨いても、その土台となる職場に不信感や孤立感が漂っていては、人が持つ本来の力や発想は発揮されない。規律や成果にとらわれ、誰もが仕事で楽しむことや素の自分を見せることを諦めてしまう社会では、大人も子どもも生きづらさを感じやすくなってしまう。 趣味やプライベートで息抜きをするという方も多いだろう。しかし、私たち大人は人生の大半の時間を「仕事」に費やして生きている。現代の多くの企業は「人的資本経営」や「リスキリング」と称して個人のスキル向上には巨額の投資をするが、人生の大半を過ごす職場で「横の関係性を育む投資」は後回しになりがちだ。 1人が好きな人は、1人のままでいい。けれど、「いざとなったら助けてくれる人がここにいる」と誰もが信じられる場所(居場所)であることが働きやすさに繋がるのではないだろうか。 葛木英(くずきあきら) 脚本家・演出家・シアタープラクティショナー 【関連記事】 ■「若手が意見を言わない」と嘆く前に。なぜ組織は「正解のある」教育で、主体性を奪ってしまうのか (葛木英 脚本家) https://sharescafe.net/63368627-20260726.html ■支援に繋がらない子どもたちを無くすために―巨人の阿部元監督の親子トラブル報道から考える、私たちが「自分の物差し」を傍に置くべき理由 (葛木英 脚本家) https://sharescafe.net/63260205-20260607.html ■「どうしてもできない」と泣き出す新入社員にどう対応するべきか?早期離職を加速させる、効率化と正論の罠 (葛木英 脚本家) https://sharescafe.net/63247500-20260601.html ■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/62674731-20250930.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は年間800万? 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