![]() 読売新聞の報道によると、文部科学省は2027年度予算の概算要求で、科学研究費助成事業、いわゆる科研費に4552億円を盛り込む方針を固めたという。2026年度予算の2479億円から、ほぼ倍増となる規模だ。 日本の研究力低下が長年問題になってきたことを考えれば、「ようやく研究にお金を出すのか」と歓迎したくなるニュースである。 しかし、ここで素朴な疑問がある。研究費を2倍近くに増やせば、日本の研究力も回復するのだろうか。 まず注意したいのは、4552億円は決まった予算ではないことだ。現時点では次年度予算の概算要求に盛り込む方針が報じられた段階で、今後の予算編成や国会審議を経て最終的な金額が決まる。 さらに今回のニュースには、金額の増加ほど目立たないが、研究現場にとって重要な制度変更も含まれている。 (参考・文科省の来年度概算要求、科研費を倍増要求へ…国際共同研究や若手研究者支援など拡充 読売新聞オンライン 2026/08/23) ■日本の研究力はどれくらい落ちているのか そもそも「日本の研究力が低下している」とは、何を意味するのだろうか。 文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)がまとめた「科学技術指標2025」によると、2021~2023年平均の自然科学系論文について、日本の論文数は世界5位だった。 一方、他の論文から多く引用されるTop10%補正論文数では13位、さらに引用度の高いTop1%補正論文数では12位だった。いずれも、国際共著論文について参加国数に応じて各国の寄与を割り振る「分数カウント法」による順位である。 論文の引用回数だけで一国の研究力すべてを測ることはできない。NISTEP自身も、こうした論文指標は「国の科学研究力」を一側面から見たものだとしている。 それでも、日本は論文を出していないわけではない一方、国際的に注目される論文では相対的に低い順位にあることが分かる。 政府もこの状況を問題視している。2026年3月に閣議決定された第7期科学技術・イノベーション基本計画では、Top10%補正論文数の国際順位を現在の13位から2035年に3位へ引き上げる目標を掲げた。 ならば研究費を増やせばいい。その考え方は分かりやすい。 研究には当然、お金が必要だ。しかし研究成果を生み出すには、お金だけでなく、それを使って研究する人と時間も必要になる。 (参考・科学技術指標2025 文部科学省科学技術・学術政策研究所) (参考・第7期科学技術・イノベーション基本計画 文部科学省 2026/03/27) ■科研費を2倍にしても、一日は48時間にならない ここで興味深い数字がある。 文部科学省の資料によると、大学等の本務教員の職務時間に占める研究活動の割合は、2002年度の46.5%から2022年度には32.2%まで低下した。 20年前には仕事時間の半分近くを研究に使っていたのが、現在は3分の1程度である。 さらに、研究パフォーマンスを高める上で「非常に強い制約」「強い制約」と回答した割合を見ると、研究時間は71.7%だった。研究資金は45.9%、研究人材は45.8%である。 この数字だけから「研究費より研究時間の方が重要だ」と因果関係まで断定することはできない。 しかし少なくとも、研究資金だけでなく、研究に使える時間を強い制約と感じる研究者が非常に多いことは分かる。 科研費は2倍近くに増やせる。しかし、研究者の一日は48時間にはならない。 教育、学生への対応、大学運営、学内事務などに時間を取られ、研究そのものに使える時間が減ったままであれば、研究費を増やすだけで研究成果も同じように増えるとは限らない。 政府自身も、第7期基本計画で一部の研究大学等について、教員の職務時間に占める研究時間を現在の32.2%から2030年度に50%へ引き上げる目標を掲げている。 つまり政府も、研究力の問題を「お金だけの問題」とは考えていないのである。 科研費の増額は必要だとしても、研究時間や人材など別のボトルネックも同時に改善しなければ、「予算増額」がそのまま「研究力回復」にはならない。 (参考・研究者育成に関する参考資料 文部科学省 2025/04/24) ■「倍増」以上に重要かもしれない基金化 今回の報道でもう一つ注目したいのが、全ての科研費を「基金化」する方針だという点だ。 基金化とは何か。 国の予算は基本的に年度単位で動く。しかし研究は、「3月31日になったから、ここで一区切り」と都合よく進んでくれるわけではない。 実験や調査が予定より遅れる場合もあれば、逆に研究が早く進み、翌年度に予定していた支出がすぐ必要になる場合もある。 現在の科研費には「補助金分」と「基金分」がある。 補助金分でも、交付決定時には予想できなかったやむを得ない事情がある場合の繰越制度や、調整金を利用した前倒し・次年度使用の仕組みがある。したがって「これまでは年度末までに全部使い切らなければならなかった」と説明するのは正確ではない。 基金分はもっと柔軟だ。 研究期間全体について複数年度で交付決定され、未使用分は事前の繰越手続きなしで翌年度以降に使える。研究の進み具合に応じた前倒しや、年度をまたぐ物品調達も可能になる。 研究を会計年度に合わせるのではなく、会計を研究の進み方に合わせやすくする仕組みである。 4552億円という数字は分かりやすい。しかし研究現場から見れば、必要な時に必要な研究費を使いやすくすることも重要だ。 今回の科研費改革では、「いくら増えるか」だけでなく「どう使えるようになるか」にも注目する必要がある。 (参考・科研費ハンドブック2026年度版 日本学術振興会) ■増やした科研費の成果をどう確かめるのか もう一つ考えておきたい。 科研費の研究課題を検索すると、一見して「なぜこれが研究なのか」と驚くテーマも見つかる。 例えば「ぬいぐるみを巡る言説からコミュニケーションを問い直す」という研究には、2023~2027年度で468万円が配分されている。 過去には「漫才の〈笑い〉に潜むオープンコミュニケーション構造の記述とモデル化」という研究もあり、2007~2008年度に310万円が配分された。 こうした題名だけを見れば、「日本の科学技術力を立て直すのに、なぜぬいぐるみや漫才なのか」と疑問に思う人もいるだろう。 ただし、この二つは科研費全体を代表する研究ではない。題名だけを見て「税金の無駄」と判断するのも早い。 ぬいぐるみの研究は、人間同士だけを前提としてきたコミュニケーションを、モノとの関係から捉え直す社会学研究であり、査読付き論文も発表されている。 漫才を扱った研究は知覚情報処理・知能ロボティクス分野の研究で、言葉だけでなく視線や身体動作を含めた対話を分析した。成果は査読付き論文として発表され、人工知能分野のセミナーでも取り上げられている。 科研費はそもそも、すぐ製品になる技術だけを支援する制度ではない。人文学、社会科学から自然科学まで、研究者の自由な発想による学術研究を支える競争的研究費である。 すぐ役に立つかどうかだけで研究を選べば、将来どこにつながるか分からない基礎研究を育てることは難しい。 だから問うべきなのは、「ぬいぐるみ研究に税金を使ってよいか」といった個別テーマの好き嫌いではない。 科研費を大幅に増やして日本の研究力向上につなげようとするなら、自由な研究を守りながら、その増額が本当に研究基盤の強化につながったのかをどう確かめるか、という問題である。 科研費では、研究期間中に実績報告書や実施状況報告書が提出され、KAKENでは研究実績や発表文献などを確認できる。研究終了後には、対象となる研究種目で研究成果報告書が提出され、その概要も公開される。特別推進研究などでは中間評価や事後評価も行われている。 つまり「科研費は使った後を確認していない」というわけではない。 むしろ大幅に増額するのであれば、既存の成果確認や評価に加えて、日本全体の研究環境や研究力が実際に改善したのかを継続して確かめることが重要になる。 日本の研究力を立て直すため、研究費を増やすことには十分な理由がある。 しかし、4552億円という数字だけを見て「これで研究力が戻る」と考えるのは早い。 研究者が研究する時間をどう取り戻すのか。研究の進み方に合わせてお金を使える制度にできるのか。そして、増やした公費が研究基盤を本当に強くしたのかをどう確かめるのか。 今回の「科研費倍増」で本当に問われているのは、予算を増やせるかだけではない。 増やした予算を、日本の研究力に変えられる仕組みを作れるかである。 九条丈二 独立研究者 【関連記事】 ■「科研費倍増」で日本の研究力は本当に戻るのか?(九条丈二 社会制度・政策研究者) https://sharescafe.net/ ■手術室に「副操縦士」はいるか? 京大病院事故が問う「止まる仕組み」(九条丈二 社会制度・政策研究者) https://sharescafe.net/63432097-20260823.html ■「玄米で認知症リスク低下」はどこまで本当か? 大学プレスリリースを読む5つのポイント (九条丈二 社会制度・政策研究者) https://sharescafe.net/63431863-20260823.html ■110万円の家賃を払う板野友美さんとヤクルト高橋奎二さんの判断が正しい理由。(中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/62674731-20250930.html ■世帯年収1560万円の共働き夫婦は、9540万円の湾岸タワーマンションを買えるのか? その1・生活費は800万? (中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー) https://sharescafe.net/61186482-20240125.html ■プロフィール 九条丈二 独立研究者 医療制度、公衆衛生、科学研究を中心に、制度や組織がどのようなインセンティブによって動き、なぜ問題を修正できないことがあるのかを研究・執筆している。行政資料、統計、学術論文などの一次資料を用いた検証を重視し、医療政策、感染症対策、研究評価、AIと学術、医療安全、安全保障などを扱う。アゴラ、note等で論考を発表し、英文学術誌への投稿やPubPeerでの公開後査読にも取り組む。 公式サイト https://georgekujo.com アゴラ: https://agora-web.jp/archives/author/george_kujo note: https://note.com/g_kujo_ir @g_kujo_ir X: https://x.com/cavid19w @cavid19w ORCID: https://orcid.org/0009-0006-6864-0145 シェアーズカフェ・オンラインからのお知らせ ■シェアーズカフェ・オンラインは2014年から国内最大のポータルサイト・Yahoo!ニュースに掲載記事を配信しています ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家の書き手を募集しています。 ■シェアーズカフェ・オンラインは士業・専門家向けに執筆指導を行っています。 ■シェアーズカフェ・オンラインを運営するシェアーズカフェは住宅・保険・投資・家計管理・年金など、個人向けの相談・レッスンを提供しています。編集長で「保険を売らないFP」の中嶋が対応します。 |

