![]() 2024年、東京都世田谷区教育委員会事務局は、区立小中学校の児童を対象に、策定中の「(仮称)世田谷区いじめ防止等対策推進条例」に子どもの声を直接反映させるため、参加型演劇「フォーラムシアター」を使ったワークショップを実施した。 フォーラムシアターとは、観客が舞台上の登場人物と入れ替わり、解決策を実際に演じて試す演劇手法である。このワークショップには、脚本家・演出家である私も進行役として携わった。ねらいは、いじめ対策の条例づくりに、当事者である子どもの声を可視化して、そこから生まれた意見を組み込むことにある。 いじめが起きるたびに、社会では「厳罰化」や対応マニュアルの徹底が議論される。そこには、大人が正解を決めて子どもに守らせることで問題を防げるという、これまでの発想がある。 しかし、大人が上から決めたルールを一方的に守らせるだけでは、教室の複雑な人間関係や、その背景にある濃淡のある関係性に対応しきれない。私は、いじめ対策の本質はルールの強化ではなく、その背景に手を伸ばすこと。また、当事者である子どもの声を制度の設計に組み込むことにあると考える。結論を先に言えば、大人が決めた“正解”を子どもに守らせる段階へと私たちの視点を転換していくフェーズに来ている。 文部科学省「令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、全国の小中学校が認知したいじめの件数は2023年度に約73万件に増え、過去最多を更新した。不登校の小中学生も約34万人に上る。この数字が示すのは、大人が決めた正解を押し付けるだけのアプローチが、いじめの解決や予防に至っていないという構造的な限界である。 本稿では、世田谷区が策定を進める「(仮称)世田谷区いじめ防止等対策推進条例」に向けたフォーラムシアターのワークショップを、脚本家・演出家としての実践から描き出す。なぜ演劇の手法なのか。子どもの声を制度に翻訳するとはどういうことか。現場で子どもが発した言葉を手がかりに、これからのいじめ対策を考える。私はこれまで演劇の力で社会課題に向き合ってきたが、この試みが持つ可能性と限界について、ともに考えていきたい。 ■リアルな声から脚本を制作し「大人の関わり方」に着眼 今回のワークショップの土台は、一本の脚本である。世田谷区教育委員会事務局が区立小中学校の子どもたちに実施したアンケートを元に、脚本家の中馬真弥さんが「アンチモデル(課題を含んだ物語)」を執筆した。アンケートは区立小中学校の児童・生徒を対象に実施された(対象校数・人数は世田谷区教育委員会事務局の公表資料に基づき明記する)。脚本はさらに、実際の現場の実態に合わせるため、教員経験者たちとの意見交換を重ねて練り上げられた。 当初、いじめの構図では「加害生徒」と「被害生徒」は固定されず、人間関係の中で入れ替わるケースが多いと見られていた。そのため、子ども自身に「どう解決するか」を考えさせる設計が検討された。 しかし、今回の目的は「いじめ防止条例の策定」にある。条例は基本的に、大人(学校や行政)の対応や責務を定めるものだ。だからこそ、「子どもの意見や実感をどう条例に反映させるか」という課題をクリアするため、ワークショップの構造を大きく見直した。 行き着いたのが、子どもが困ったときに「大人にどう関わってほしいか」という視点から、登場人物の先生役を演じる設計である。ポイントは、解決策を考える主体を、被害者でも加害者でもなく大人の側に置いたことだ。 ■子どもたちから見えたリアルな声と多角的な視点 この設計のもとで行われたワークショップには、区立小中学校の子どもたち13名が参加した。参加者からは介入の提案が次々と出て、時間で区切らなければならないほどだった。 子どもたちは「大人にどうしてほしいか」だけでなく、自分たちが人間関係やトラブルの中で「どう行動すべきか」を客観的に見つめ直す意見も多く出した。 劇の最中でも、誰が良い・悪いといった犯人探しや善悪の断罪に終始せず、「今、この場の目的は何か」を明確にして共有するアプローチが自然と実践された。例えば、「今は給食の時間だよ」と、その場の本来の目的を口に出して立て直す場面があった。声が大きく一見荒っぽい生徒への注意に対しては、「あの子も傷ついてはいけないのではないか」と、相手の背景や立場にも目を向けていた。 また、「保護者にはどう関わってほしいか」という問いには、「自分たちで解決したい。信じてほしい」と答えた子もいた。さらに、言葉のやり取りだけでなく、先生役としてあえて声のトーンを落ち着かせたり、話すときに間(ま)を取ったりする非言語の介入も行われた。教室の緊迫した空気を和らげ、安全な対話の場へ引き戻そうとする工夫である。 後半のグループワークでは、主人公の先生へのアドバイスだけでなく、周囲の人間関係や学校・教室に必要だと感じるルールについて、付箋を用いた話し合いが行われた。次のような具体的な声が引き出されている。 ![]() 「校長室や職員室は普段から入りにくいから、もっと物理的・心理的な敷居を下げて改善してほしい」 「相談してね」という言葉の無力さ: 「大人によく言われる『何かあったら相談してね』は、実際には子ども側にとってハードルが高すぎて、できないことの方が多い。相談箱などがあった方がいいのではないか」 教師の関わり方への要望: 「先生はみんなの前で全体指導をすることも大切だけど、それだけでなく、一人一人の児童と個別に向き合って話をしてほしい」 教員間の連携の提案:「先生一人が抱え込んだり悩んでしまったりしたときは、他の先生や周りの大人にどんどん頼ればいい」 また、SNSのグループチャットを巡るやり取りについても、「こうした方がいいのではないか」といった意見が書かれるなど、大人への要望にとどまらない主体的な気づきが数多く見られた。これらの声に共通するのは、大人が用意した正解を求めるのではなく、自分たちが納得できる形で問題に関わりたいという当事者意識である。相談窓口の設計、教師の関わり方、教員間の連携といった制度の論点が、子どもの具体的な言葉として示されている点に注目したい。 参加した小学5年生の児童は、「自分とはまったく違う対応の方法を取る子もいて、何が一番安全なのかを深く考えた。人に嫌な思いをさせてしまう子と今後どう関わっていくか、2学期からの自分自身の行動も変わりそうだ」と語った。 これらの発言から読み取れるのは、単なるルールの暗記ではなく、他者との関係性を自分事として捉え直す変化がこの対話の場から生まれているという事実である。 ■フォーラムシアターから「立法演劇」へ──子どもの声を制度につなぐ 演劇で社会課題を可視化し、それを実際のルールや法律の策定に反映させる手法は「立法演劇(Legislative Theatre)」と呼ばれる。観客が参加して対話し、その声を制度に翻訳しようとする点に特徴がある。フォーラムシアターの創始者であるアウグスト・ボアールがブラジル・リオデジャネイロの市議会で取り組んだように、演劇の場で交わされた対話や民衆のアイデアを、単なるワークショップの枠にとどめず、実際の法や条例という制度の形に翻訳していく。それは、市民の声を仕組み化する構造変革の実践である。 今回の世田谷区の試みは、この立法演劇の精神を自治体行政の中で具体化したものだ。フォーラムシアターは単なる座学の補完ではない。頭だけでなく心と身体を使い、正解を教えられても対応できない場面や、正論をぶつけるだけでは反発を招くジレンマを乗り越えるための実践と課題への構造理解である。 私が演劇の手法にこだわるのは、台本をなぞるだけでは他人事だった問題が、身体を動かし声を出すことで自分事に変わるからだ。正解を暗記しても行動は変わらない。役を演じ、失敗し、やり直す経験だけが、とっさの場面で人を動かす。 また、条例づくりに携わる世田谷区教委学校教育部の赤司祐介副参事も、「アンケート用紙の回収だけでは決して把握できない、子どものより深い本音や声を引き出すことができた。子どもたちが積極的に意見を出し合ってくれて手応えを感じている」と語る。 ここで「演劇にそんな効果があるのか」「一部の子どもの意見だけで偏らないのか」という疑問が浮かぶ。演劇は万能ではない。一度に参加できる子どもの数には限りがあり、声を上げやすい子と上げにくい子の差も残る。再現性にも限界がある。 だからこそ、付箋のワークと組み合わせ個人の意見を伝えやすくする設計をした。また、アンケートや日々の学校生活の観察、他の自治体の事例と組み合わせ、多様な声を重ねて制度に反映していく必要がある。 もちろん、既存の知識やマニュアルも人を助ける。しかし、子どもの自殺者数が高止まりしている現在、子どもの声に耳を傾け、意見を尊重することは、自己効力感を高め、「自分はこの社会の当事者である」という感覚を育むために欠かせない。 主権者教育にもつながるこのプロセスは、子どもが自分で考え、気づき、行動する力を育む。大人の役割は、子どもが安心して悩み、意見を交わし合える「対話の場」を設計し、そこで生まれた声を制度へつなぐことである。不確実な時代の教育に求められているのは、この設計力である。 ■これからのいじめ対策に求められるアプローチ 世田谷区の試みは、いじめ防止条例という公的制度に、当事者である子どもの声を直接取り込もうとする事例である。ワークショップで子どもから出た意見は、今後の条例検討資料として活用される予定だ。 大人が“正解”やマニュアルを決めて子どもに守らせる時代から、子どもが当事者意識を持ち、対話を通じて関係性を構築し直すアプローチへ。学校現場と行政が、その声を制度に翻訳していくこと。これがいじめ対策を更新するための一歩である。 葛木英(くずきあきら) 脚本家・演出家・シアタープラクティショナー 【関連記事】 ■会社の利益を無視した部下からの提案に、リーダーはどう返すか? 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